LeBlog

レブ郎が自由に書くブログです。

歴代選手名鑑 #1

こんにちは、先日フォロワー3000人に達していたアカウントを誤って再起不可状態にしてしまい、1からやり直したレブ郎です。

それで改めて沢山の方にフォロー頂いたわけなんですが、NBA勉強中な方が多いなぁと感じたところから今回の記事を書く決意をするに至ります( ¨̮ )

と言っても、某雑誌のような堅苦しいデータまみれなものではなく、アバウトに、読みやすく、覚えやすいものとなればと思ってます。

色々なブログを書いておられる方がいますが、僕ほど過去のNBAばかりを題材に書いてる変わり者はいないでしょうから笑

というわけで、今回はNBAの長い歴史の中でも特に重要な偉人達をピックアップし、紹介しましょう(・ω・)

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George Mikan

ジョージ・マイカン (1949-1956)

208cm 111kg C

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NBAの歴史を語る上で欠かせない存在がこのマイカンだ。

バスケットボールというスポーツそのものを進化させたと言ってもいい、NBAの元祖スターと呼ばれており、数多くの功績を残している。

180cm以下の選手が主流だった時代にリングより上でボールをプレイするという当時誰も想像しなかった離れ業を披露、相手が放ったシュートをリング通過寸前のところで次々と叩き落とすマイカンのブロックはバスケ界に衝撃を与えた。『ゴールテンディング』や『ペイントエリア拡大』などルール変更を余儀なくされたほど圧倒的な支配力を誇っていた。

彼の成功を追いかけるべくリーグには大勢のビッグマンが加入し、それまでは不要とされてきたビッグマンの必要性をバスケ界に知らしめたのは紛れもなくマイカンである。

所属したミネアポリスレイカーズではNBA最初の王朝を築き、マイカン加入から6年間で5度の優勝(3連覇と2連覇)を果たし、唯一優勝しなかったシーズンの敗因はマイカンの足の骨折だった。

その後、マイカン対策としてローペースな試合展開にする作戦がリーグ全体に蔓延したことで、協会は24秒ショットクロックを導入。

満身創痍だったマイカンは今後ゲーム展開の早さについていけないと悟り引退した。

だが彼の偉大な功績は引退後も続く。

NBAのライバルリーグ ABAの初代コミッショナーとして青・白・赤の3色ボール導入と、エンターテインメント性を求め3Pラインを導入。

さらにミネアポリスレイカーズがロサンゼルスへ移転したことを受け、ミネソタでチーム誘致活動を行い、結果的にミネソタ・ティンバーウルブズを誕生させた。

さらに彼が学生時代に行っていた『マイカン・ドリル』という練習方法は現代でも有効なトレーニングとして名を残している。

彼がバスケ界に遺した財産は数え切れないほどだ。

『Mr.Basketball』という愛称も納得出来るだろう。

 

Bill Russell &

Wilt Chamberlain

ビル・ラッセル & ウィルト・チェンバレン

(1957-1969 / 1960-1973)

208cm 102kg / 216cm 125kg   C / C

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NBA史上屈指のライバル関係だったこの2人。彼らはセットで紹介しないといけないほど、激しく熱いライバル関係だった。

プレイスタイルも

 守護神   対  破壊神

ラッセル 対 チェンバレン

という対極の2人だが、歩んだ道のりも全く異なる。

まずはラッセルから紹介しよう。

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彼はNBA史上最も成功した選手と言っても良い。

セルティックスの選手として11度の優勝を経験、その中で8連覇というプロスポーツ史上でも類を見ない王朝を築き、NBA史上初の黒人HCにもなった。

芸術とまで評価されたブロック、利他的でありながらチームを勝利へ導くリーダーシップ、ガードと同程度の身体能力を活かし、守備型センターながらチームを牽引。さらに史上有数のクラッチプレイヤーであり、ラッセルがPOで経験したシリーズ最終戦は11試合全てで勝利を収め、普段よりも高いスタッツを残している。

史上2位となる1試合51リバウンドを記録し、1959年ファイナルでは平均29.5リバウンドという歴代最高記録を残した。

さらに黒人として初のスター選手と言われており、彼の活躍を目にしたGM達は次々と黒人の加入を勧めたことから、NBAが人種差別の壁を超えるきっかけを与えた1人でもある。

ちなみに彼の名前はファイナルMVPの名前に使われており、正式名称は『Bill Russell NBA Finals MVP』となっている。これは11度の優勝を経験しながらも、当時ファイナルMVPという賞自体存在せず1度も受賞しなかった彼を讃える為のものである。

差別とも戦いながら厳しいキャリアを積んでいたのは事実だが、選手としての功績だけを見ればかなり華やかな道を歩んできたのも確かだ。

その一方で、ラッセルの栄光の影で中々勝者になれなかったのがチェンバレンだ。

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当時としては珍しい216cmという脅威の長身ながら大学時代には走高跳で優勝するほどの身体能力も持ち合わせていた。

ポストプレイヤーとしてのスキルも豊富で、フィラデルフィア・ウォリアーズにいた際にはシーズン平均 50.4得点という歴史上ダントツのスコアリングを見せている。

1試合100得点、1試合55リバウンド、史上唯一のダブル・トリプル・ダブルとクアドラプル・ダブル・ダブルなど、残した記録はいずれも今後達成不可能なほどにかけ離れた記録ばかり。

だが、彼はラッセルと直接対決した8回のPOのシリーズのうち、1回しか勝利していないのだ。

その理由の1つに、ラッセルがクラッチプレイヤーだったのに対し、チェンバレンは少し勝負弱い部分があった。

ラッセルとチェンバレンら直接対決の時、POになるとRSから大幅にスタッツを伸ばすラッセルに対し、チェンバレンは平均の得点・リバウンドの両方でRSより低かった。

また、個人プレイを多発するタイプで、スタッツ面だけ見れば怪物だったと言えるが、勝利に導けないことも多く、彼を成功者ではないと評価する人も少なくない。

だが、彼もマイカンと同じくペイントエリア拡大をリーグが行うほど支配力が大きかった選手であることは間違いない。

さらにディフェンスに厳しいHCのもとでプレイした2シーズンではオールディフェンシブ1stチームに選ばれ、さらにパスを回すよう指導されたシーズンにはアシスト王にも輝くなど、とにかく秘めたる能力は高かった。

 

そんな彼ら2人の対戦は

" Battle Of Titans "

"巨人達の戦い" 

と呼ばれていた。

よりによって数年違いの年に生まれたのが縁で、チェンバレンは僅か優勝1回だけに留まっている。何年もPOでラッセルに阻まれたが、今でも歴代最高のセンターを議論する際は2人とも必ず候補に挙がるほど、史上屈指の選手だったことには違いない。

ちなみに彼ら、とあるファイナルでの試合中にチェンバレンが負傷退場した際にラッセルが『彼は逃げた』と発言したのがきっかけで絶縁状態に。20年後にラッセルが公の場で謝罪したことでようやく関係は修復した。

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Julius Erving

ジュリアス・アービング (1972-1987)

201cm 95kg   SF

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長い滞空時間を活かした空中プレイで人々を魅了し『ジョーダン以前のジョーダン』と呼ばれている。

彼が学生の頃、カレッジバスケ界ではダンク禁止というルールがあったことで彼の才能は存分に発揮されなかった。だが1971年にNBAのライバルリーグ ABAに加入すると華麗な空中プレイを披露、2年目から3年連続でMVPを獲得するなど瞬く間にABAの頂点に上り詰めた。

だがそのABAは1976年に経営難からついにNBAに吸収されることとなった。

これによりNBAに加入したアービングだが、噂では「NBAアービングが欲しくてABAを吸収した」とまで言われている。人格者だった彼は麻薬が蔓延していたNBAでも紳士的なメディア・ファンへの対応を見せ、プレイだけでなくリーグの顔としてもNBAのイメージ向上に貢献している。

また彼のダンクは後のジョーダンやカーターなどにもその系譜が引き継がれ、多くの歴代スター選手達の憧れの存在とも言える。

ヴィンス・カーターやジョーダンと並んで史上最高のダンカーの議論には必ず彼も候補に挙がるだろう。

 

Magic Johnson

         & Larry Bird

マジック・ジョンソン & ラリー・バード

(1980-1996 / 1980-1992)

206cm 97kg / 206cm 99kg  PG / SF

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NBAの歴史上最も人気が低迷していた70年代、暗黒時代とすら呼ばれるほど悲惨な状態だったリーグを救った救世主の2人。数奇な巡り合わせによって大学のファイナルで戦った彼らはそこで全米から注目を浴びた。そしてその注目をそのままにNBAへ加入、人々の目をNBAへと向けることが出来たのだ。大学時代からライバル関係とされていた彼らがNBAにおける名門(当時から既にライバル意識があった)のレイカーズセルティックスに加入したことで、更にヒートアップ。以降、NBAは風前の灯火だった人気が再燃するきっかけとなった。

そんな彼ら2人を順に紹介しよう。

 

まずはアービン・"マジック"・ジョンソン。

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彼のマジックという名はあくまで本名では無く、彼のプレイスタイルが由来となった愛称である。

意表を突くパスを得意とし、チームメイトの位置の把握とパスの正確性に加えて華のあるプレイが多い。現役ではレブロンが近いスタイルだが、レブロンと少し異なるのは、パスの前に織り交ぜるフェイクやドリブルの複合性だ。YouTubeなどで見たことのある方が多いだろうが、とにかく見ていて飽きないくらい、多彩な動きをする。

まるで魔術師のようなパスからマジックとなったのだ。

1年目からチームの軸となり、カリーム・アブドゥル=ジャバーと共にファイナルで大活躍。さらに怪我で欠場したアブドゥル=ジャバーの代わりに先発センターとして出場し、42得点 15リバウンド 7アシストという大車輪の活躍を見せ、ルーキーながらファイナルMVPを獲得という史上唯一の偉業を成し遂げている。その後、『ショータイム・レイカーズ』と呼ばれていたマジックを中心とした速攻を含む華やかなオフェンスで一世を風靡した。

計5回の優勝と3度のシーズンMVPを受賞しており、史上最高のPGを語る上で欠かせない人物の1人である。

 

一方、ラリー・バードもSFにおける史上最高の選手を議論する時に必ず現れる名前である。

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彼ほどスーパースターながら身体能力が低い選手は稀である。ましてSFならある程度の速さも求められるポジションだが、鈍足かつジャンプ力も無かった。

だが彼は並外れた闘争心とIQを持ち合わせ、NBA加入以降も年々技術を向上させ、歴代屈指のSFへと変貌したのだ。3年連続のシーズンMVPと3度の優勝を達成したバードを『白人の希望』と呼ぶ声もあった(本人はこの愛称が気に入らなかった)。

ビル・ラッセルの登場以降、黒人スターが増加していた。身体能力で優位に立つ黒人選手を相手に、身体能力で劣ってながらも対等以上に戦うバードの姿が、文字通り白人の希望だったのは事実だろう。こうしてファイナルで3度に渡り対戦した彼らは人種を超えたライバル関係、そしてプライベートでは友好関係を結び、全米の注目を集めたことでNBAの人気再燃の大きな火種となった。

 

Michael Jordan

マイケル・ジョーダン (1985-2003)

198cm 88kg SG

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言わずと知れた"バスケの神様"。

彼ほど世界中で認知されているNBA選手は間違いなくいないだろう。

成績だけを見れば、現役のレブロン・ジェームズの方がよりオールラウンドだし、シュート力だけを見ればステフィン・カリーの方が優秀だろう。

では、何故ジョーダンは神様と呼ばれたのか?

理由多々あるだろう。

1つはプレイの魅力だ。

長い滞空時間を活かしたダンク、美しいフォームから放たれるジャンプシュート...

どの姿を取っても基本に沿ったお手本のようなムーブでありながら、速さと高さと強さを兼ね備えている。

特に空中でのプレイは他の選手が真似出来ないレベルのムーブが多く、"Air"という愛称もジョーダンでないと合わないだろう。

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加えてもう1つ、ジョーダンがここまで成功した理由は紛れも無いジョーダン自身の努力である。

もちろん並外れた才能も持っていただろうが、深夜だろうが早朝だろうが思い立ったら専属トレーナーを呼びトレーニングするというストイックぶりで鍛え上げられた強靭な肉体と、それを100%活かせるだけの技術を身に付けるべく、とにかくバスケットに人生を費やしている。

そしてその努力を行う原動力となっているのが、NBA史上でも最高と言っても過言ではないほどの負けず嫌いぶりだ。

友人にゴルフで負けただけでも、家に押しかけては勝つまで勝負を申し込み、負けたくないという一心で練習し続けるジョーダンを心理専門家は「狂乱状態だ」とまで思ったらしい。

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勝利に対する執念こそ、ジョーダンが成功した1番の理由だろう。

優勝した回数は6回と、先述したビル・ラッセルには劣るものの、驚異的なクラッチシュートを数々沈め、出場したファイナル全てで優勝(6回)を果たしている。

だがラッセルの時代と比べ、ジョーダンの時代は歴代有数のスター選手が数多く存在し、ライバルが数多くいた中でこれほど王朝を築けたのは極めて異例だろう。

 

だがジョーダンが世界に認知されたのは他にも理由がある。

その大きな理由がオリンピックにNBA選手が初めて参加した1992年ドリームチームだろう。

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各国の代表相手に圧倒的な実力差を見せつけ、中でもジョーダンはその美しいプレイで一気にNBAブームを巻き起こした。またアメリカではケーブルテレビが普及、観る機会が増えたことも人気に拍車を掛けた。

ジョーダンほどスポーツ界の人間が世界的に成功した例は珍しく、スポーツ界のみならずアメリカ文化そのものに多大な影響を与えた人物として、バスケットボールを超えた存在とも称されている。

ちなみに、昨年12月に発表された生涯収入ランキングでは、タイガー・ウッズを超えて1位に輝いている。

これは現在でも人気があるジョーダンブランドが大きく影響しているが、ジョーダンは選手としての年棒などは当時のNBAの経済的な状況により15年間のキャリアで9380万ドルと決して高くない。現役最高選手レブロンが4年 1億5800万ドルをLALと先日結んでおり、如何に当時とリーグの金銭感覚が違うか分かるだろう。

にも関わらず、ジョーダンは生涯収入ランキングで首位を取った。これは選手としての給料を遥かに上回る副収入の多さだ。現に当時の日本でもジョーダンが出演するCMがあったのだから。

世界的人気を持ち、バスケの頂点を極めながらビジネス面でもアスリート史上最高級の成功を果たし、多くのアスリート達から尊敬されている。

試合でのスタッツこそ、時代の流れと共にレブロンやカリーら現在のスター達に記録を塗り替えられたりしているが、これほどの功績を残し世界に影響を与える人物が今後NBAに現れる可能性は限りなくゼロに近い。

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今回ピックアップしたマイカン、ラッセル、チェンバレンアービング、マジック、バード、ジョーダンはNBAの歴史を語る上で特にターニングポイントとなる人物だ。

今回は第1回ということでメジャーな選手達を取り上げていますが、今後は少し違う視点から見たものも作成する予定なので是非愛読頂けたらと思います。

 

ありがとうございました。