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LeBlog

レブ郎が自由に書くブログです。

バスケの起源と最初の日本人

バスケットボールはジェームズ・ネイスミスが考案した、そんな程度でこの記事は終わりません。そこからもう少し掘り下げて、バスケットボールのルールが現在に至るまでの過程、なぜバスケットボールと呼ぶのか、そして日本人がバスケットボールというスポーツに初めて触れたのはいつ頃なのか。

余談ですが、僕がこのLeBlogを復活させた一番の理由が今回の記事です。どんなスポーツにも歴史があり、それらを知る事で得るものは必ずあります。

ということで、長くなるであろう今回の記事を書き始めます...

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1.新たなスポーツの創造

アメリカ マサチューセッツ州のYMCAトレーニングスクールでは、冬の体操中心のプログラムに全米のYMCA学生達は意欲が無く、競技的要素のあるプログラムを求められていた。そこで体育部主事が5人の体育教官を集め話し合い、『新たなスポーツを創るしかない』という結論に達した。その5人の内の1人であったネイスミス(ちなみにカナダ人)はアメフト・サッカー・ラクロスを屋内で行おうとしたが失敗に終わる。

そこでネイスミスは各スポーツからいくつか要素を取り出すことにする。

まずボールの使用、そしてラフプレーを防ぐ為にボールを持ったまま走ることの禁止(実質タックルの禁止です)、安全性を重視しゴールを頭上に設置。これらがいわゆるバスケットボールの原型である。

ちなみに新たなスポーツを創造するという点に関して、たった1人で初期の形を作り上げたという前例は非常に少ない。

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2.最初の試合と名称

1891年12月21日、新たなスポーツの試合が行われた。この試合では各チーム9人で11×15mのコートを使用。ネイスミスは45cm四方の箱を求めたが用意出来ず、代理として桃を入れる籠を使用、そしてボールはサッカーボールとした。籠が設置された高さは3.05m、つまり現在まで変更されていないのである。

ちなみにこの9人にはポジションがあり、ゴールキーパー1人・ガード2人・センター3人・ウイング2人・ホーム1人(ホームとはどこなのかは不明であるが...)と決まっていた。

試合は開始から約1時間後に初のゴールが決まって終了となっている。

その後、学生とネイスミスの間でこのスポーツの名称について議論。とある学生が『ネイスミス・ボール』と提案したが、当のネイスミスがそれを拒み、籠を使っていることからバスケットボールとしたという。

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3.バスケットボールの進化

翌年、ネイスミスは競技として全国のYMCAに取り入れるべく13のルールを制定。これらが基礎となり現在までに250以上のルールが制定されている。

ちなみにネイスミスの13のルールには人数は明確に規定されておらず、同人数ならば良いとされていた為、とある大学では50 on 50という大規模な試合が普通の体育館で行われ、担当した教師が「体育館が破壊されかねない」という名言(?)を残している。

 人数に関しては1894年にコート面積に応じて5/7/9人と細かく設定され、1897年に現在と同じコートの面積 5人体制に定められた。

そしてもう1つ、バスケットボールの由来である籠も当然進化している。

籠である最大のデメリットは何だろうか?

入ったボールが落ちてこないのである。笑

当時はシュートが決まると、梯子や棒を使い取り出していたという。そして金属製円筒になり、少しずつ改良を続けた末、1913年あたりでようやくネットの底を通り抜けられる現在の形となった。

長い過程で進化しているリングだが、1つだけ最初から完成していたものがある。リングの内径である。ネイスミスが最初に要求したのが45cm四方の籠、現在のリングも内径45cmなのである。つまりネイスミスが考え出したこの大きさが誕生以降1度も変更する必要なく現在に至っているのである。

そしてここで1つ見て頂きたい。

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当時の籠を体育館で3.05mに付けるとこの位置である。例えば贔屓のチームに勝たせたいという強い気持ちで上のギャラリーから見ている客は何ができるのか。手足や棒で邪魔するのである。

もう勘のいい方は気付かれているだろう。それを阻止するべく誕生したのが、バックボードである。現在ではレイアップなどあらゆるシュートに使われるボードだが、実は全く違う理由で取り付けられたのである。設置当初は金網を設置、1904年から木の板になったが、こうなるとギャラリーからは入ったのか判別がつかない。そこで透明のプラスチック板になったのである。

ちなみにバックボードは当時エンドライン上にあったが、リングが61cm内側に設置されることになり、自動的にバックボードもコート内に設置されるようになっている。

 

このように進化に次ぐ進化を遂げてきたバスケットボールだが、僕は以前この事を知り、それ以来ジェームズ・ネイスミスさんを尊敬している。誕生直後から既に現在にある程度近い状態であることに驚いたからだ。どんなスポーツでも時間と共に進化しているとは思うが、何も形の無い状態からスポーツをほぼ1人で作り上げるのは相当困難だろう。

ちなみに1892年に正式にバスケットボールと名称が決定した際は

『Basket ball』となっていたが、

『basketball』に1921年に改名されている。

 

さて、そのバスケットボールを最初にプレイした日本人は誰なのか。

ここで石川源三郎という知る人ぞ知る名前が現れる。

彼はいつバスケットボールを初めてプレイしたのか。

 

1891年12月21日である。

 

何の日かご存知だろうか?

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どうですか?気付きましたか?

それでは...

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石川源三郎が初めてプレイした日は、

ネイスミスが最初の試合を行った日である。

実は彼は渡米しておりマサチューセッツ州のYMCAトレーニングスクールに通っていたのである。そしてあの冒頭で登場した初の試合の18人の1人である。

ちなみに最初のゲームのスケッチというのが残っているのだが、これを書いたのも石川源三郎である。

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少し付け加えると、日本にバスケをもたらした人物という点に関しては、1908年に大森兵蔵という人物が同じくマサチューセッツ州YMCAから帰国した後に東京のYMCAでバスケットボールを紹介したのがきっかけとされている。石川源三郎が初の試合後に帰国しバスケットボールを日本にもたらしたという説もあるが、石川源三郎が帰国した時点ではバスケットボールを広めるだけの設備や器具などの環境が日本に無かったとされており、大森兵蔵説が一般である。

ありがとう、大森兵蔵さん。

(笑)

_____________________

 

と、長々と書き綴りましたが、どうだったでしょうか?

バスケを愛している・NBAを愛している方でも意外に知らない点は多かったのではないでしょうか?

こんな歴史を知ったところで何の役にも立たないかもしれません。

 しかし、ジョージ・マイカンのように選手の立場からバスケットボールを進化させた人物も多く、彼らの存在と業績を現代の僕達が知る事は過去の偉人達に感謝をすることになると僕は思います。

 

今『ジョージ・マイカンって誰だよ』となった方、安心してください。

またそのうちマイカン記事も書きます(・ω・)

 

と、いうことで今回の記事、実は3000字超えました(ブログ初心者の僕にしては頑張ったはず)。

Twitterにリプでもブログ内にコメントでも良いので感想を頂けると有難いです。

 

他の記事(まだ実質2つ目)はともかくこの記事は色んな方に楽しんで頂けるかなと思ってますので...

 

RT沢山して頂けることを

祈ってますね!

 

そして最後に...

ここまで読んで下さった方、本当に嬉しい限りです。頑張って書いた甲斐がありました。

本当にありがとうございます。

読破おめでとうございます。笑

 

また近々新記事書かせて頂きます!

 

それではまた...

Log Out !!

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