LeBlog

レブ郎が自由に書くブログです。

歴代選手名鑑 #1

こんにちは、先日フォロワー3000人に達していたアカウントを誤って再起不可状態にしてしまい、1からやり直したレブ郎です。

それで改めて沢山の方にフォロー頂いたわけなんですが、NBA勉強中な方が多いなぁと感じたところから今回の記事を書く決意をするに至ります( ¨̮ )

と言っても、某雑誌のような堅苦しいデータまみれなものではなく、アバウトに、読みやすく、覚えやすいものとなればと思ってます。

色々なブログを書いておられる方がいますが、僕ほど過去のNBAばかりを題材に書いてる変わり者はいないでしょうから笑

というわけで、今回はNBAの長い歴史の中でも特に重要な偉人達をピックアップし、紹介しましょう(・ω・)

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George Mikan

ジョージ・マイカン (1949-1956)

208cm 111kg C

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NBAの歴史を語る上で欠かせない存在がこのマイカンだ。

バスケットボールというスポーツそのものを進化させたと言ってもいい、NBAの元祖スターと呼ばれており、数多くの功績を残している。

180cm以下の選手が主流だった時代にリングより上でボールをプレイするという当時誰も想像しなかった離れ業を披露、相手が放ったシュートをリング通過寸前のところで次々と叩き落とすマイカンのブロックはバスケ界に衝撃を与えた。『ゴールテンディング』や『ペイントエリア拡大』などルール変更を余儀なくされたほど圧倒的な支配力を誇っていた。

彼の成功を追いかけるべくリーグには大勢のビッグマンが加入し、それまでは不要とされてきたビッグマンの必要性をバスケ界に知らしめたのは紛れもなくマイカンである。

所属したミネアポリスレイカーズではNBA最初の王朝を築き、マイカン加入から6年間で5度の優勝(3連覇と2連覇)を果たし、唯一優勝しなかったシーズンの敗因はマイカンの足の骨折だった。

その後、マイカン対策としてローペースな試合展開にする作戦がリーグ全体に蔓延したことで、協会は24秒ショットクロックを導入。

満身創痍だったマイカンは今後ゲーム展開の早さについていけないと悟り引退した。

だが彼の偉大な功績は引退後も続く。

NBAのライバルリーグ ABAの初代コミッショナーとして青・白・赤の3色ボール導入と、エンターテインメント性を求め3Pラインを導入。

さらにミネアポリスレイカーズがロサンゼルスへ移転したことを受け、ミネソタでチーム誘致活動を行い、結果的にミネソタ・ティンバーウルブズを誕生させた。

さらに彼が学生時代に行っていた『マイカン・ドリル』という練習方法は現代でも有効なトレーニングとして名を残している。

彼がバスケ界に遺した財産は数え切れないほどだ。

『Mr.Basketball』という愛称も納得出来るだろう。

 

Bill Russell &

Wilt Chamberlain

ビル・ラッセル & ウィルト・チェンバレン

(1957-1969 / 1960-1973)

208cm 102kg / 216cm 125kg   C / C

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NBA史上屈指のライバル関係だったこの2人。彼らはセットで紹介しないといけないほど、激しく熱いライバル関係だった。

プレイスタイルも

 守護神   対  破壊神

ラッセル 対 チェンバレン

という対極の2人だが、歩んだ道のりも全く異なる。

まずはラッセルから紹介しよう。

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彼はNBA史上最も成功した選手と言っても良い。

セルティックスの選手として11度の優勝を経験、その中で8連覇というプロスポーツ史上でも類を見ない王朝を築き、NBA史上初の黒人HCにもなった。

芸術とまで評価されたブロック、利他的でありながらチームを勝利へ導くリーダーシップ、ガードと同程度の身体能力を活かし、守備型センターながらチームを牽引。さらに史上有数のクラッチプレイヤーであり、ラッセルがPOで経験したシリーズ最終戦は11試合全てで勝利を収め、普段よりも高いスタッツを残している。

史上2位となる1試合51リバウンドを記録し、1959年ファイナルでは平均29.5リバウンドという歴代最高記録を残した。

さらに黒人として初のスター選手と言われており、彼の活躍を目にしたGM達は次々と黒人の加入を勧めたことから、NBAが人種差別の壁を超えるきっかけを与えた1人でもある。

ちなみに彼の名前はファイナルMVPの名前に使われており、正式名称は『Bill Russell NBA Finals MVP』となっている。これは11度の優勝を経験しながらも、当時ファイナルMVPという賞自体存在せず1度も受賞しなかった彼を讃える為のものである。

差別とも戦いながら厳しいキャリアを積んでいたのは事実だが、選手としての功績だけを見ればかなり華やかな道を歩んできたのも確かだ。

その一方で、ラッセルの栄光の影で中々勝者になれなかったのがチェンバレンだ。

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当時としては珍しい216cmという脅威の長身ながら大学時代には走高跳で優勝するほどの身体能力も持ち合わせていた。

ポストプレイヤーとしてのスキルも豊富で、フィラデルフィア・ウォリアーズにいた際にはシーズン平均 50.4得点という歴史上ダントツのスコアリングを見せている。

1試合100得点、1試合55リバウンド、史上唯一のダブル・トリプル・ダブルとクアドラプル・ダブル・ダブルなど、残した記録はいずれも今後達成不可能なほどにかけ離れた記録ばかり。

だが、彼はラッセルと直接対決した8回のPOのシリーズのうち、1回しか勝利していないのだ。

その理由の1つに、ラッセルがクラッチプレイヤーだったのに対し、チェンバレンは少し勝負弱い部分があった。

ラッセルとチェンバレンら直接対決の時、POになるとRSから大幅にスタッツを伸ばすラッセルに対し、チェンバレンは平均の得点・リバウンドの両方でRSより低かった。

また、個人プレイを多発するタイプで、スタッツ面だけ見れば怪物だったと言えるが、勝利に導けないことも多く、彼を成功者ではないと評価する人も少なくない。

だが、彼もマイカンと同じくペイントエリア拡大をリーグが行うほど支配力が大きかった選手であることは間違いない。

さらにディフェンスに厳しいHCのもとでプレイした2シーズンではオールディフェンシブ1stチームに選ばれ、さらにパスを回すよう指導されたシーズンにはアシスト王にも輝くなど、とにかく秘めたる能力は高かった。

 

そんな彼ら2人の対戦は

" Battle Of Titans "

"巨人達の戦い" 

と呼ばれていた。

よりによって数年違いの年に生まれたのが縁で、チェンバレンは僅か優勝2回だけに留まっている。何年もPOでラッセルに阻まれたが、今でも歴代最高のセンターを議論する際は2人とも必ず候補に挙がるほど、史上屈指の選手だったことには違いない。

ちなみに彼ら、とあるファイナルでの試合中にチェンバレンが負傷退場した際にラッセルが『彼は逃げた』と発言したのがきっかけで絶縁状態に。20年後にラッセルが公の場で謝罪したことでようやく関係は修復した。

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Julius Erving

ジュリアス・アービング (1972-1987)

201cm 95kg   SF

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長い滞空時間を活かした空中プレイで人々を魅了し『ジョーダン以前のジョーダン』と呼ばれている。

彼が学生の頃、カレッジバスケ界ではダンク禁止というルールがあったことで彼の才能は存分に発揮されなかった。だが1971年にNBAのライバルリーグ ABAに加入すると華麗な空中プレイを披露、2年目から3年連続でMVPを獲得するなど瞬く間にABAの頂点に上り詰めた。

だがそのABAは1976年に経営難からついにNBAに吸収されることとなった。

これによりNBAに加入したアービングだが、噂では「NBAアービングが欲しくてABAを吸収した」とまで言われている。人格者だった彼は麻薬が蔓延していたNBAでも紳士的なメディア・ファンへの対応を見せ、プレイだけでなくリーグの顔としてもNBAのイメージ向上に貢献している。

また彼のダンクは後のジョーダンやカーターなどにもその系譜が引き継がれ、多くの歴代スター選手達の憧れの存在とも言える。

ヴィンス・カーターやジョーダンと並んで史上最高のダンカーの議論には必ず彼も候補に挙がるだろう。

 

Magic Johnson

         & Larry Bird

マジック・ジョンソン & ラリー・バード

(1980-1996 / 1980-1992)

206cm 97kg / 206cm 99kg  PG / SF

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NBAの歴史上最も人気が低迷していた70年代、暗黒時代とすら呼ばれるほど悲惨な状態だったリーグを救った救世主の2人。数奇な巡り合わせによって大学のファイナルで戦った彼らはそこで全米から注目を浴びた。そしてその注目をそのままにNBAへ加入、人々の目をNBAへと向けることが出来たのだ。大学時代からライバル関係とされていた彼らがNBAにおける名門(当時から既にライバル意識があった)のレイカーズセルティックスに加入したことで、更にヒートアップ。以降、NBAは風前の灯火だった人気が再燃するきっかけとなった。

そんな彼ら2人を順に紹介しよう。

 

まずはアービン・"マジック"・ジョンソン。

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彼のマジックという名はあくまで本名では無く、彼のプレイスタイルが由来となった愛称である。

意表を突くパスを得意とし、チームメイトの位置の把握とパスの正確性に加えて華のあるプレイが多い。現役ではレブロンが近いスタイルだが、レブロンと少し異なるのは、パスの前に織り交ぜるフェイクやドリブルの複合性だ。YouTubeなどで見たことのある方が多いだろうが、とにかく見ていて飽きないくらい、多彩な動きをする。

まるで魔術師のようなパスからマジックとなったのだ。

1年目からチームの軸となり、カリーム・アブドゥル=ジャバーと共にファイナルで大活躍。さらに怪我で欠場したアブドゥル=ジャバーの代わりに先発センターとして出場し、42得点 15リバウンド 7アシストという大車輪の活躍を見せ、ルーキーながらファイナルMVPを獲得という史上唯一の偉業を成し遂げている。その後、『ショータイム・レイカーズ』と呼ばれていたマジックを中心とした速攻を含む華やかなオフェンスで一世を風靡した。

計5回の優勝と3度のシーズンMVPを受賞しており、史上最高のPGを語る上で欠かせない人物の1人である。

 

一方、ラリー・バードもSFにおける史上最高の選手を議論する時に必ず現れる名前である。

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彼ほどスーパースターながら身体能力が低い選手は稀である。ましてSFならある程度の速さも求められるポジションだが、鈍足かつジャンプ力も無かった。

だが彼は並外れた闘争心とIQを持ち合わせ、NBA加入以降も年々技術を向上させ、歴代屈指のSFへと変貌したのだ。3年連続のシーズンMVPと3度の優勝を達成したバードを『白人の希望』と呼ぶ声もあった(本人はこの愛称が気に入らなかった)。

ビル・ラッセルの登場以降、黒人スターが増加していた。身体能力で優位に立つ黒人選手を相手に、身体能力で劣ってながらも対等以上に戦うバードの姿が、文字通り白人の希望だったのは事実だろう。こうしてファイナルで3度に渡り対戦した彼らは人種を超えたライバル関係、そしてプライベートでは友好関係を結び、全米の注目を集めたことでNBAの人気再燃の大きな火種となった。

 

Michael Jordan

マイケル・ジョーダン (1985-2003)

198cm 88kg SG

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言わずと知れた"バスケの神様"。

彼ほど世界中で認知されているNBA選手は間違いなくいないだろう。

成績だけを見れば、現役のレブロン・ジェームズの方がよりオールラウンドだし、シュート力だけを見ればステフィン・カリーの方が優秀だろう。

では、何故ジョーダンは神様と呼ばれたのか?

理由多々あるだろう。

1つはプレイの魅力だ。

長い滞空時間を活かしたダンク、美しいフォームから放たれるジャンプシュート...

どの姿を取っても基本に沿ったお手本のようなムーブでありながら、速さと高さと強さを兼ね備えている。

特に空中でのプレイは他の選手が真似出来ないレベルのムーブが多く、"Air"という愛称もジョーダンでないと合わないだろう。

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加えてもう1つ、ジョーダンがここまで成功した理由は紛れも無いジョーダン自身の努力である。

もちろん並外れた才能も持っていただろうが、深夜だろうが早朝だろうが思い立ったら専属トレーナーを呼びトレーニングするというストイックぶりで鍛え上げられた強靭な肉体と、それを100%活かせるだけの技術を身に付けるべく、とにかくバスケットに人生を費やしている。

そしてその努力を行う原動力となっているのが、NBA史上でも最高と言っても過言ではないほどの負けず嫌いぶりだ。

友人にゴルフで負けただけでも、家に押しかけては勝つまで勝負を申し込み、負けたくないという一心で練習し続けるジョーダンを心理専門家は「狂乱状態だ」とまで思ったらしい。

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勝利に対する執念こそ、ジョーダンが成功した1番の理由だろう。

優勝した回数は6回と、先述したビル・ラッセルには劣るものの、驚異的なクラッチシュートを数々沈め、出場したファイナル全てで優勝(6回)を果たしている。

だがラッセルの時代と比べ、ジョーダンの時代は歴代有数のスター選手が数多く存在し、ライバルが数多くいた中でこれほど王朝を築けたのは極めて異例だろう。

 

だがジョーダンが世界に認知されたのは他にも理由がある。

その大きな理由がオリンピックにNBA選手が初めて参加した1992年ドリームチームだろう。

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各国の代表相手に圧倒的な実力差を見せつけ、中でもジョーダンはその美しいプレイで一気にNBAブームを巻き起こした。またアメリカではケーブルテレビが普及、観る機会が増えたことも人気に拍車を掛けた。

ジョーダンほどスポーツ界の人間が世界的に成功した例は珍しく、スポーツ界のみならずアメリカ文化そのものに多大な影響を与えた人物として、バスケットボールを超えた存在とも称されている。

ちなみに、昨年12月に発表された生涯収入ランキングでは、タイガー・ウッズを超えて1位に輝いている。

これは現在でも人気があるジョーダンブランドが大きく影響しているが、ジョーダンは選手としての年棒などは当時のNBAの経済的な状況により15年間のキャリアで9380万ドルと決して高くない。現役最高選手レブロンが4年 1億5800万ドルをLALと先日結んでおり、如何に当時とリーグの金銭感覚が違うか分かるだろう。

にも関わらず、ジョーダンは生涯収入ランキングで首位を取った。これは選手としての給料を遥かに上回る副収入の多さだ。現に当時の日本でもジョーダンが出演するCMがあったのだから。

世界的人気を持ち、バスケの頂点を極めながらビジネス面でもアスリート史上最高級の成功を果たし、多くのアスリート達から尊敬されている。

試合でのスタッツこそ、時代の流れと共にレブロンやカリーら現在のスター達に記録を塗り替えられたりしているが、これほどの功績を残し世界に影響を与える人物が今後NBAに現れる可能性は限りなくゼロに近い。

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今回ピックアップしたマイカン、ラッセル、チェンバレンアービング、マジック、バード、ジョーダンはNBAの歴史を語る上で特にターニングポイントとなる人物だ。

今回は第1回ということでメジャーな選手達を取り上げていますが、今後は少し違う視点から見たものも作成する予定なので是非愛読頂けたらと思います。

 

ありがとうございました。

LeBronを振り返る会

こんにちは、ファイナルGame 4前夜に少しTwitterで事故を起こしたレブ郎です...(-ω-)

 

毎年LeBron在籍チームの総括をしようと思っていたんですが、今年はとりあえずLeBronだけを振り返ろうかなと...

(キャブス全体の統括は後ほど...)

 

1.レギュラーシーズン総括

とりあえずキャリア初の全試合出場お疲れ様です、といった感じですかねぇ。

これは私視点の感覚的なだが、もうバスケを極めた人のように感じてしまった。どのスキルをとっても優良(FTは平均以下レベル)、チームを牽引し必要な役割をその場で果たす万能性、そして何より極めた人間に見える1番の理由は『徹底的に効率性を求めたプレイメイク』でしょう。その結果ボールムーブが悪くなったり、他の選手が立ち止まる場面が多いのは事実ですが、LeBron戦術はやはり有効だと思い知らされる場面も多かったでしょう。

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加えて、アシストやダンクで度々ハイライトにも名を連ね、健康管理の徹底具合と、衰えるどころか年齢に適した進化を遂げている印象。

ただ出てる時間が長いとはいえ、歩く姿が目立つのはLeBronファンとはいえ好かないですねぇ。そうするくらいならあと10分出場時間を減らしてでも、コートに立つ間は全力プレイであってほしいものです。

まぁこれは昨季にも言ってたことだが...

ともあれキャリアでもベストなシーズンと言えるLeBronの姿はすごく印象的でした。f:id:LBJ1107ryo:20180609220607j:image

 

2.プレーオフ総括

勝つべき場面でしっかりギアを上げてくる感じは流石ファイナルに7年連続出場中なだけあるという感じでしたね。

ブザービーター2本に加え、BOSとのシリーズでも最後の最後でキングとして圧倒していた姿は惚れ惚れしましたなぁ。

個人的にはファイナル進出出来ればもう十分と思ってしまっていたので、満足なシーズンではありました。

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ただ、やはり今年はサポートの乏しさがとにかく目立った。

ファイナルではGame 1で歴史的パフォーマンスを見せるもチームメイトの失態と誤審に泣かされた部分があるとはいえ、流石にLeBronが圧倒するのもGSW相手では限界がありましたね。

これまでは周りに恵まれた状態でファイナルに来ることが多かっただけに、今年の『周りもっと頑張ってくれ!』という気持ちは例年よりも強く感じてしまった...

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ただハッキリ言うとGame 1の敗戦後に自爆骨折してしまったのは勿体無いですね。同情の余地はありますが、今後の試合に悪影響を及ぼしたのは大黒柱としてダメですね。

正直、その点も含めてGame 1で決着がついてしまっていたのは事実。

終わり方こそ残念ではありますが、LeBronの功績だけを見ると充実したシーズンだったのでは?と思います。

 

3.今後どうなる?

前置きしておくと、当然レブ郎はただの一般人であり、情報通でも何でも無いので。

 

移籍が噂されるLeBronですが、僕は移籍しようが何しようが構いません(GSWに入るようなことだけは支持しませんが)。笑

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優秀なハンドラーの下でのプレイを希望しているという話もあったので、もし新たなプレイスタイル(オフボール時間大幅増加?)のLeBronが見れたら楽しめそうで良いなぁとは思っています( ¨̮ )

何はともあれ、未だ現役最強と言われ続けることが私は嬉しいですね。

引退までその地位が続いてほしい...

 

今年は2K19のカバーに選ばれましたしね!!

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epilogue:レブ郎について

ご存知の方が多いと思いますが、Twitterでフォロワー3000人ほどだったレブ郎なんですが、先日『一気にフォローバックしよう』と沢山していたところロックされてしまいました。笑

しかもメルアドも電話番号もきちっと登録してなかったもので、復帰できず。笑

ということで新生レブ郎が誕生致しました。

アカウント名はこちらなのでまだフォロー頂いてない方はぜひ

【  @LeBron_1984  】

 

今回も愛読頂きありがとうございました!

他にもオススメ記事山ほどあるので是非...!

 

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【号外】8年連続FINALS進出!

こんにちは、レブ郎です。

IND、TOR、BOSと破り結局今年もLeBronはファイナルへ上がってきましたね。

 

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流石に今年は危機感を感じた...

今回はちょっとPOを振り返れたらと思い、号外記事にしました。

久々の記事更新なので、誤字脱字は勘弁願います....

 

ということで、まずは...

 

1st Round  

vs INDIANA PACERS

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正直ヒヤヒヤしましたね。

想像以上の守備の堅さ、厄介なランスに加え、サボニスやボグダノビッチらの奮起。勝っても負けても1桁差の試合が多く、CLEはLeBronの孤軍奮闘状態。

対するINDは決してスーパースターを擁するわけではないが、ボグダノビッチやランス、オラディポらが要所要所で流れを引き寄せCLEを苦しめた。

そして苦戦した要因の一つに、CLEの不振が挙げられるだろう。

シュート精度も低く、精彩を欠いたプレイが続くチームメイトをLeBronが何とか勝利へと導いた形となった。

このシリーズでLeBronは40得点以上を3度も記録。例年のCLEならLeBronがそれだけ大量得点すれば圧勝するパターンが有り得るはずだが、LeBronが40得点を記録した試合がいずれも1桁得点差での勝利と、いかに孤軍奮闘状態だったかが伺える。

結果的にシリーズを制したのはCLEとはいえ、平均2桁得点を記録したのが7人いたINDに対し、CLEはLeBronが34得点 Loveが11.4得点で2人のみと、援護が乏しく厳しいシリーズとなった。

INDにとっては来季に期待を寄せられる貴重な経験となったことたろう。

 

2nd Round

vs TORONTO RAPTORS

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シリーズ開始直前まで、「TOR最大のチャンス到来」と言われたこのシリーズ。

それもそのはず、これまで何度も行く手を阻んだLeBron率いるCLEは1st Roundで安定感の無さを露呈し、対するTORはRSでイースト首位に加え、LeBronを倒す為とも言えるチーム強化をシーズンを通して行ってきたのだから。

だが結果は昨季に続くスウィープ敗退。

アービングが抜けた今季はハッキリ言って戦力ダウンしているCLEに対し、リーグ屈指とも言える2ndユニットを揃えたTOR。

私からすれば、Game 1がシリーズを左右したように思える。

序盤からリードを保ち続けていたTORだが、4Q終盤にORから立て続けにシュートを放つもことごとくミス。そしてLeBronに同点にされるとOTへ突入。

ホームでのOTは必勝だが、1点差でCLEが勝利。続くGame 2ではLeBronが4Qに覚醒。次々とフェイダウェイを沈め、もはや誰にも止められない状態に。

結局FG 67% 43得点を記録したLeBronに対抗する術は無く、CLEはアウェイ2連勝。

元々ホームに強いCLEは続くGame 3でブザーと同時に難しいショットを沈め劇的勝利。Game 4ではもはやTORに気迫が感じられなかった。

CLE側はベンチ陣も含め全員が奮起し、特にKorverは今シリーズ中の3Pが56%とかなり好調だった。Loveもミスマッチとなった状態でのポストプレイにおいて高確率でリングにねじ込めており、RS以上に存在感を見せていた。

これらも含め、TORにとっての敗因は色々あるだろう。

だが簡潔にTORの敗因を表すならそれはLeBron Jamesだと思う。

特に私が気になったのはGame 1のOTでのある場面。

※ここからは私の記憶で記述するので間違っていたらスイマセン。

残り少ない時間帯のTORボール。

ラウリーがトップでボールを持つ。

この時ラウリーのマークをしていたのはLeBron。

するとラウリーは全く攻める姿勢を見せずそのままパスを出した。

特にミスマッチが起きているわけでもなく、穴を突けるポジションは無かった。

ショットクロック的にもここはアイソレーションかP&Rで攻めると私は予想していた。確かにLeBron相手にアイソレーションやP&Rは分が悪いかもしれない。だが、越えられぬ壁を越えるには、ホームゲームのオーバータイムで相手のエースを前にして点を取るくらいの気迫が必要だと思う。明らかに避けているその姿勢がシリーズを暗示していた気がしてならない。

倒す倒さないの前に、LeBronに正面から立ち向かえていないように感じてしまった。

ラウリー同様にデローザンもどこかRSとは違う物足りなさがあった。

特にGame 3では低調な上に終盤にはベンチから試合を見届けるなど、とてもエースとしての役割を果たせていない状態だった。また2ndユニットも正直リーグ屈指と言われていたほどの厚みは感じられなかった。

試合中のTORの采配もやや気になる点はあり、これではHCが解雇されるのも無理は無い。ラウリー&デローザンのコンビは解散説も囁かれているが、はっきり言って解散でも残留でも、現時点で正解は分からない。

1つ確かなのは、LeBronによる東の解体作業がまた1つ行われたということだけだ。

 

Conference Finals

vs BOSTON CELTICS

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このシリーズはCLEにとってかなり厳しい試練だったと言える。

頭脳明晰なスティーブンスHCによる見事な結束力を突きつけられ、崖っぷちまで追い詰められながらもLeBronという存在が最後まで冷静に勝利に漕ぎ着けたシリーズだった。

Game 1で嘘のように大敗したCLEは、続くGame 2でもLeBronが40得点TDという成績を残しながらも13点差で敗戦。

BOSがホーム戦に強いこともあったが、それ以前にCLEのメンバーがアウェイに弱すぎたという印象だ。

これまでの8年間でこのシリーズほどホームコートアドバンテージを欲したシリーズは私は無かったほど、アウェイ戦が厳しかった。

ホームに戻ってからは立ち直ったサポーティングキャスト達の奮闘もあり、2連勝を飾ることが出来た。一方BOSはどうも浮き足立ったプレイが目立っていたが、ここで気になったのはその状態が試合が終わるまで続かなかったことだ。

序盤にミスが目立った試合でも、必ず後半には取り戻して普段通りのプレイを行えていた。序盤の差が詰められなかっただけで、立て直すことは出来ていたのだ。

そして迎えたGame 5、CLEのメンバーはホームで取り戻した自信を再びTDガーデンで失い、火力不足で敗戦。

Game 6では再びCLEが勢い余るプレイぶりで勝利したものの、Loveが脳震盪プロトコルにおかれるという大きな不安材料を抱えての終戦となった。

そして迎えたGame 7、共に重たい立ち上がりを見せ、39-43というロースコアで後半へ。

だが後半によりロースコアにハマっていくのはBOSだった。3Qで僅か13得点に終わり、勢いを失ってしまったのだ。

4Qでこそ勢いを取り戻したが、残り6分時点から約2分おきに1点しか取れなかったBOSに対し、CLEはLeBronがクローズアウト。

経験の差が浮き彫りになったのは紛れもない事実だ。

だが、BOSはアービングとヘイワードを欠いてこれだけの功績を残せたのは来季へ繋がる期待を十分に膨らませただろう。特にテイタムはLeBron越しにダンクを決めるなど、単なる有力新人という枠には収まらないようなインパクトを残せたと言える。

確実な成長の道程をCLEとの対戦で残しただろう。

一方CLEは、アウェイでの弱さを露呈しただけでなく、Game 7でのLeBronフル出場など、思い切ったLeBron依存を見せていた。

アービングを失った代償を大きく感じるのみでなく、頼れる仲間がいないことをより証明する結果となった。

プラス要素があるとすれば、リーグトップレベルに堅固な守備を相手にした実践練習が出来たことと、Nance jrが少し存在感を見せてくれたことくらいだ。

 

NBA FINALS

vs GOLDEN STATE             WARRIORS

正直CLEファンはもうファイナルへ辿り着いたことで今季に満足しているかもしれない。この時点で期待されていたことは全て成し遂げた感がある。

それほどに、優勝は絶望的と言っていい。

イグダーラが欠場し、GSW自体も昨季ほど貫禄のあるプレイぶりでファイナルへ上がってきたわけではない。それでも、HOUとのシリーズを見ていると、要所要所での王者としての地力の差を見せつけ、結局は4年連続のカードとなった。

仮にカリーとKDをHillとLeBronがある程度抑えたとして、残りの優秀なユニット達をどうやっても抑えられない。

攻めあぐねてLeBron頼みになるオフェンスと、度々破られる脆いチームディフェンスによる大量失点が脳裏をよぎる。

LeBronがいる限り奇跡を信じたい、

が今回ばかりはそんな希望の光もあっさり打ち砕かれる可能性が高い。

 

CLEファンとして、なによりLeBronファンとして、最後まで王者に立ち向かう東のKINGの勇姿を諦めずに見届けよう。

【緊急】ファイナルの連続進出は途絶えるのか?

どうも、LeBlog総合編集長兼管理人のレブ郎です。

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全国でタイガーマスク運動が広がり、なでしこJAPANが初の世界一となり、スティーブ・ジョブズ金正日総書記が亡くなり、世界人口が70億を突破した2011年。

 

この年以来、LeBron Jamesは毎年NBA FINALSに進出している。

実力やチーム情勢などの様々な要素を差し引いて、単純に考えると1チーム15人としても450人のNBA選手の中から30人しかFINALSへ辿り着けない。

それを8年連続で達成していると考えると、実に素晴らしい功績である。

 

だが今季、FINALSへ向けて直近8年で最も不安要素満点のシーズンを送っている。

シーズン開幕前はRose、Wadeらを筆頭にスター軍団と称されたネームバリューなら満点のチームを形成したものの、いざ開幕すると試合内容は散々に。

DFではリーグ最低クラスな上に、後手に回り続けるばかり。さらにチーム内で揉め事が起きるとついには新加入メンバーが揃ってトレードに出される始末。

そんな中でPOに向けて3位という順位を確保したあたりはLeBron Jamesという揺るぎない地盤があったからとしか言いようが無い。

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今回のこの緊急記事はこれまでの7年間のFINALSとその道程を振り返りつつ、今季のPOの展開を考察してみたい。

 

 

2011 PLAYOFFS

MIA 3KINGS結成初年度だったこのシーズン、RSでは連携ミスが目立ち、安定感を欠いたまま終盤になっても改善される気配が無かった。だがPOに突入するとそれまでが嘘のような強豪らしい貫禄ある試合展開を魅せた。

1st RoundでPHI相手に4-1で勝利すると、長年LeBronの壁となり続けていたBOSを2nd Roundで撃破。

続くCFではこのシーズンに最年少MVPという称号を受けたDerrick Rose率いる東首位のCHIと対戦。

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Game1で21点差で敗れファンに不安を抱かせたが、ここから怒涛の4連勝。

優勝を求めて結成された3KINGSは、1年目にしてそのチャンスを手にしたのだった。

 

2011 FINALS

対戦相手はNowitzki率いるDALだった。

KiddやTerryなどベテラン勢が揃うDALに対し、WadeやBoshらノリに乗る全盛期まっしぐらのヒール軍団という絵に書いたような構成はDAL応援派を間違いなく増やしただろう。

Game1で見事勝利したMIAは続くGame2でも4Q 7:14時点で15点差とMIA優位に展開。

だが勝利を早くも確信してしまったLeBron&WadeがDALベンチ前で挑発に値するようなモーションを行ったことが歯車を狂わせた。

これに怒ったDALはここから3分間MIAを無得点に抑えながら8連続得点を決め一気に流れを掴む。

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そして同点で迎えた残り24.5秒のタイムアウト明け。DALにとって試合最後のポゼッションで残り3.6秒を残しNowitzkiがドライブから逆転レイアップに成功。タイムアウトが無かったMIAはウェイドが28フィート先から3Pを放つも外れ敗戦。大事なホーム2連戦において1つ落としたMIAはここから失速。

最終的に4-2でDALに優勝を譲ってしまうこととなるのだが、接戦続きだったGame3~6を落とした最大の要因が『LeBronの失速』だった。

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Game3~6においてLeBronは17,8,17,21得点と、RSの平均26.7得点に対し全試合で下回っている。

今でこそ批判の対象とならなかったがこのFINALSシリーズにおいて、重要なポゼッションで他選手にボールを譲る場面が多く、そもそもタイムアウト明けのスローインで始まる場面でパサーに回るなど、とにかく消極性が目立った。

LeBronのこのFINALSにおける失速は、MIA選手達がRSで悪役に徹していたことも相まって一気に批判の的となってしまった。

だが、このFINALSこそがLeBron Jamesという無冠の帝王を"真のKING"へと進化させる糧となったのだ。

 

2012 PLAYOFFS

前季の悔しさをバネに進化を果たしたLeBronはほぼ全てのスタッツを向上させ、Wadeとエースの座を共有してきた前季とは違い、MIAの絶対的大黒柱としてチームを牽引。

CFではBOS相手に2連勝した後に3連敗を喫し、先に王手をかけられた状態でBOSホームでGame6と絶体絶命の窮地に立たされるもLeBron JamesがFG 73%で45得点を記録し、続くGame7では4QにLeBron&Wadeの個人技が炸裂。

2年連続のFINALS進出を決めた。

 

2012 FINALS

MVPを受賞したリーグ最高峰選手LeBronと若き得点王KDのマッチアップが注目されたこのFINALS、Game1では序盤こそMIAが優勢だったものの、後半にはOKCが攻守共に勢いを増し、4Qには3年連続の得点王が実力を発揮。

3QまでにBattierやLeBronのマークを受けながらも19得点を記録していたKDが4Qに17得点とゲームを支配。一方のLeBronは4QにはSefoloshaに徹底マークされたこともありFG成功数は僅か2本。前季FINALSと同じく終盤での失速が批判を浴びた。

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続くGame2、故障によりPOでベンチ出場していたChris Boshが自ら先発志願。

ダブルダブルを記録したBoshに続きWadeとLeBronも終盤まで攻守で実力を発揮し見事勝利。

この時点で既にSefoloshaのLeBron封じの効力が薄れてしまっていたのは事実だ。

Game3では両者共に苦しい試合運びとなり、お互いに精彩を欠く場面が目立ったものの、4Q残り7:11からMIAの15得点全てを3KINGSが記録し決定力を見せつけた。

Game4では決死の攻撃を見せるOKCに一時17点リードを許すも、2QからLeBron&Wadeを中心にMIAの反撃が開始。

次々に決まる3Pを軸にして簡単に逆転。

だが残り5:15でLeBronが左脚の痙攣を起こす緊急事態が発生。

1度はコートに戻り3Pを沈めるもDFを出来るような状態では無かった為に交代。ここで立ち上がったのがChalmersだった。Wadeに『俺にパスをくれ』と伝えるとLeBronが離脱した残り55秒から連続5得点、このChalmersのギアアップが勝利をもたらした。

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王手で迎えたMIAホームのGame5、3KINGSの圧倒的な攻撃に加えて、

Mike Millerが3P 7/8と圧巻のパフォーマンス。前半こそ食らいついたが、優勝を目前にギアを上げるMIAに、OKCは為す術ない状態だった。

こうして無冠の帝王と言われたLeBron Jamesはついに優勝とFINALS MVPいう新たな称号を手にしたのだ。

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そして、LeBronにとって初の連覇への挑戦権を手にした。

 

 

2013 PLAYOFFS

連覇を目指すこのシーズンは開幕前にRay AllenとRashard Lewisを獲得。

だが前季優勝という経験はチームにとって貫禄と称号をもたらすが、一方でモチベー低下をもたらすこともある。

前半こそ守備の綻びが目立つ事もあったが、後半にギアを上げたMIAは2/3〜3/25まで脅威の27連勝と貫禄を見せつけていた。

POでも1st RoundのMILをスウィープ、2nd RoundのCHIとは初戦こそ黒星を喫したものの、その後4連勝。

CFでのINDとはGame1でLeBronがブザービートの逆転レイアップで劇的勝利を飾るとその後どちらも連勝・連敗することなくGame7まで縺れる熱い展開に。

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だがこの最終戦で相手のエースだったGeorgeがまさかの失速で7得点に終わり、対してLeBronは32得点。

2年連続MVPとしての貫禄を見せ、FINALSへと辿り着いた。

 

2013 FINALS

個人技のMIA、チームプレーのSASとなったFINALSはMIAホームのGame1、Parkerが自身で『幸運だった』と語るラッキーショットを沈め、まさかのMIAホーム初戦黒星。するとここから熱戦の連続。互いに修正力が高いチームだったこともあり、連勝・連敗することなく行方はGame6へ。

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MIAホームで行われたGame6は終盤まで接戦となるも勝負所でLeBronが痛恨のTO。

だがLeBronの3P、LeonardのFTミス、そしてFINALSの歴史に残るAllenの同点弾によりOTに。

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3点ビハインドのSASはGreenのラストショットに賭けるもBoshが決死のブロック。

Game7も熱い接戦の末にLeBronが37得点 12リバウンド 3P 5/10と大活躍を見せ連覇達成。

LeBronにとっては、

2年連続優勝とFINALS MVPを手にした。

 

連続進出記録中のFINALSシリーズの中では、最も実力が均衡したまま終戦を迎えたという意味で、最後まで分からないFINALSだったと言える。

 

2014 PLAYOFFS

3連覇という史上稀に見る挑戦権を手にしたMIAは1st RoundでCHAをスウィープ。

続く2nd RoundではRSで苦戦したBKNとの対戦となったものの、4-1であっさり粉砕。CFではリーグトップの守備力を兼ね備えたイースト首位のINDと対戦。だが守備力ではMIAも劣らず、ロースコアゲームを展開。

結果的に地力の差が出始め、MIAが4-2で勝利。

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3連覇への挑戦は最終ステージまで辿り着いた。

 

2014 FINALS

2年連続での対決となったこのカード、Game1では空調が故障し、サウナ状態の中でプレイし続け、LeBronが足の痙攣により終盤に離脱。ここからスコアリングランを仕掛けたSASが勝利。

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だが続くGame2ではLeBronがSASの守備を切り裂き続け35得点 10リバウンドと逆襲し勝利。

Game3でホームに帰ったMIAはここから勢いを増したいところだが、この試合でSASは1Q FG 86.7%を記録。2Qでも衰えず前半をFG 75.8%という歴代最高記録でハーフタイムへ。後半にはMIAも巻き返しを見せたが追いつけぬままゲームセット。

この試合こそKawhi LeonardがSASのエースとして、前季からの成長を見せつけた瞬間だ。LeBron相手にキャリアハイの29得点を叩き出したのだから。

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復調を図りたいMIAホームで迎えたGame4、SASの鉄壁を崩せないMIAはLeBronが孤軍奮闘する事態に。

結局4Qでも点差を埋められない展開にホームのファンからはついにブーイングすら出る始末。

結局Game2が唯一の白星に終わったMIA。Leonardは前季の自身のFTミスから逆転優勝されてしまったことが糧となり大きく成長を見せ、SASは彼を中心としたバスケットボールの理想とも思える美しいチームプレイを披露。

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対するMIAはLeBronの孤軍奮闘が続くだけのシリーズとなってしまい、FINALS期間中のWadeの不調は「もはや衰えた」と評されることとなった。加えてシーズン終了後には「このシーズンは楽しめなかった」とWadeとBoshが語るなど、3連覇を目指すという重圧とモチベーションの維持の難しさが3KINGSの時代に終焉をもたらすこととなった。

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2015 PLAYOFFS

KINGの離脱によりどん底を1度経験したCLEは、4年間の間にIrvingという新たな希望を手にしていた。チームの完成度こそ高くなかったが若手の成長を促そうとする矢先、2014年のオフシーズンに街の英雄が帰郷したのだ。

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瞬く間に優勝候補の一角となったCLEは補強を急ぎ、悪戦苦闘しながらもRSを東2位で終えたCLEは優勝へ向けて順調に歩んでいた。

しかし1st Round BOSとの対戦でアクシデントが。

3-0で迎えたGame3、開始6分あたりでOlynykと腕が絡んだKevin Loveが左肩の脱臼。これによりシーズンアウトとなってしまったのだ。

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それでもBOSをスウィープしたCLEは続く2nd RoundでCHIに苦しみながらも4-2で勝利。

CFで待ち受けるのはCLEを抑えて東首位となったATLだった。

『東のスパーズ』とすら称されたATLはその名の通りチームプレイを武器にRSで高い勝率を誇っていた。

シリーズの幕が開ける前は決してATLを支持する声も少なくなかった。実際RSの成績ではATLが勝ち越しており、Loveの離脱に加えてIrvingも膝の状態が悪いという不安要素も抱えていた。

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だが結果はCLEのスウィープ勝利。

1番の原因は絶対的エースの不在だった。

シリーズ平均30.3得点 11.0リバウンド 9.3アシストと真価を発揮するLeBronと張り合える選手がATLにはおらず、ATLが試合の流れを掴みそうになるとLeBronに遮断されるという場面が目立ったシリーズだった。

そして彼らはCLE悲願の優勝に向けて最後の舞台に辿り着いた。

 

2015 FINALS

Steve Carrの見事な指揮によりFINALSに辿り着いたGSWの強みは何と言っても『Strength in number(数の強さ)』と言われたチーム力だった。

迎えたGame1、OTまでもつれ込むもIrvingが膝の故障により離脱したのに加えGSWのベンチポイントの高さが勝因となった。

IrvingとLoveを欠き、もはやスウィープ敗退の予想が出回ったCLE。

だがKING率いるCLEはそこまで甘くは無く、2試合連続となるOTの末にアウェイ戦でまさかの勝利。39得点 16リバウンド 11アシストと大車輪の活躍を見せたLeBronの孤軍奮闘をベンチ陣が上手くサポートした形となった。

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ホームに戻ったCLEはGame3でも試合を優勢に運ぶ。後半に息を吹き返したCurryを中心に20点差を1点差まで詰め寄られたCLEだったが、ここからMatthew Dellavedovaが攻守で輝きを放ち見事勝利。

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初戦黒星&Irving離脱という絶望的状態からの2連勝は番狂わせを予感させる程の快進撃だった。

Game4の開始前、Carrは『先発は変更しない』と公言していた。だが実際の先発メンバーには、それまでベンチスタートだったIguodalaがいた。

このスモールラインナップへの変更は層の薄いCLEにこれまで以上の疲労を与えるのみならず、攻撃力の向上という効果もあった。

Game1~3で123得点を稼いでいたLeBronもGame4では20得点に終わり、試合後に疲労感があったことを認めた。

結局GSWのスモールラインナップへ具体的な対策を立てられなかったCLEはLeBronの孤軍奮闘が目立つ結果となり、Game5,6で完敗。

GSWの層の厚さと修正力が際立ったシリーズとなった。

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2016 PLAYOFFS

前季ではPO初出場にして無念の離脱を余儀なくされたLoveとIrving。さらにチームの大半が前季の悔しさを胸にRSを戦ってきたこともあり、HC解任劇がありながらも東首位をキープ。

1st RoundでDETをスウィープすると、

2nd RoundではATL相手にGame2で3P 25本成功というPOにおけるNBA新記録を樹立。

前季の雪辱を晴らしたいATLだったが、CLEがそのままスウィープを決めるという圧倒的強さを見せつけた。

CFではTORとの対戦。TORにとってはCF進出は球団史上初であり、勢いに乗っていた。

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Game5まではホームチームが勝利するという意地の張り合いのようなシリーズ展開だったが、TORの主力であるKyle Lowryがアウェイ戦では平均得点が半減するという異様な落ち込みが響いていたのは間違い無かった。

そして迎えたGame6。

TORホームではあったが、4Qに14-5のスコアリングランを見せたCLEが白熱のシリーズを制した。

KING率いるCLEは万全の状態でリベンジのチャンスを迎えたのだ。

 

2016 FINALS

NBA新記録となる73勝を達成したGSWは、CFでOKCに1-3まで追い詰められるまさかの展開となっていた。

だがそこから得意の3Pの豪雨により、OKCは焦りを隠せずミスを連発。

結果的にMVPのCurryを中心に怒涛の反撃を見せたGSWがシリーズ勝利。

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前季と同じGSW vs CLEのカードとなった。

Game1、ベンチポイントで45-10と大きくCLEを上回ったGSWはCurry&Thompsonの不調に代わりLivingstonがFG 80%の20得点と試合を決める。

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Game2、Curry&Thompsonを引き続き徹底マークすることで2人の得点を抑えたものの、その分フリーになりやすくなった他選手が躍動。さらに見事な連携による鉄壁を展開したGSWはPOで25試合連続20得点を記録していたLeBronを19得点に抑えるなど、CLEにとってはシリーズの行方を占うような手痛い黒星となった。

迎えたGame3、LoveがGame2で脳震盪の症状を起こしたことにより欠場。

LeBronをPF起用し、SFにはベテランのRichard Jeffersonを先発起用。

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これによりオフェンスの効率を上げたCLEは120-90と大勝し、優勝に向けて何とかホームでの黒星を免れただけでなく、CLEファンに希望を見せた。

迎えたGame4、CLEとしてはここで勝利しシリーズタイに戻したい場面だったがCurryが本来の輝きを取り戻し、まさかのCLE敗戦。Loveが脳震盪から復帰し勢いに乗りたかった矢先の1-3で逆王手は絶望という言葉にふさわしい状況だった。

GSWにとってはホームで連覇達成するチャンスを得たことでお祭り状態。

だが前季の悔しさを背負うチームはまだ希望を失っていなかった。

Game5で41得点と大活躍したのは2人、LeBronとIrvingだった。

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Game4での累積フレグラントファウル数によりGreenが不在だったことに加え、Bogutが3Qに負傷離脱。2人の守備の要の離脱はLeBronとIrvingがドライブから容易に得点を重ねることができる要因となった。

Game6、2試合連続で41得点を記録したLeBronが奮闘。18連続得点を1人で上げるなど、試合を支配していた。

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『次はこの世で1番素敵な言葉   "Game7"だ』 LeBron James

そう会見で話すLeBronには笑顔すら見られた。互いに王手をかけており、次がアウェイ戦でありながら余裕を見せる貫禄はCLEファンに期待を持たせるには十分だった。

 

そして迎えたGame7、NBA史上前例の無い1-3からの優勝を試みるCLEと、RS 73勝という歴史的快挙に加え連覇達成を目指すGSW。どちらが勝っても歴史的なシリーズとなるこのFINALSの最終戦は決して美しい試合展開とはならなかった。

Game7らしく重苦しい展開が続く中、4Q 4:39から89-89のまま膠着状態に突入。Curry、Iguodala、LeBron、Irvingら役者揃いでありながらシュートを落とし続けるという状態が続き異様な雰囲気に。

だが1:50秒時点、均衡を破るべくDRから速攻を繰り出したGSWはIguodalaのレイアップに託す。

だがここからLeBronが正確に狙い済ましIguodalaの手から離れボードに当たるまでの0.3秒間のボールを完璧にブロック。

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ここからさらに1分間の無得点の末についに均衡を破ったのはIrving。

0:53で右45度からCurryとの1on1で3Pを沈め事実上の決勝点とした。

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『この勝利はクリーブランドのものだ』と試合後に語ったLeBron Jamesは移籍時の約束を果たし、クリーブランドという街にとって50年以上無かったプロスポーツチームの優勝を成し遂げた。

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Game7で27得点 11リバウンド 11アシストと史上3人目となるFINALS最終戦でのトリプルダブルを達成し、さらにシリーズ平均において主要スタッツ5部門全てで両チーム合わせて1位がLeBronという史上初の記録を樹立した。

 

このFINALSがLeBronにとってキャリアベストのシーズンだったとレブ郎としては思う。

 

2017 PLAYOFFS

連覇を狙ったCLEはPOで12-1と圧倒的成績でFINALSまで勝ち上がる。

このシーズンはもはやドラマ的展開に欠けるPOの勝ち上がり方だったので、省略...

 

2017 FINALS

CLE相手にまさかの3連敗を喰らい連覇を阻まれたGSWはオフにリーグトップレベルのスコアラーであるKDを加えた。

3年連続のカードでありながら圧倒的GSW優位が予想されたこのFINALSはもう最近NBAを見始めた人達でも知ってると思うのでこちらも省略。

ただ、1つだけ言うならこのシリーズでは悲願の自身初優勝を手にしたKDの気持ちの強さがとにかく現れるシリーズだった。

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如何でしたか?

 

これまで優勝候補として常に挙げられ続けてきたLeBron James在籍チームですが、正直今年はレブ郎はシーズン開幕前から諦めてます。『流石にこんな寄せ集めチームじゃ無理だ』と。

それどころか寄せ集めた選手も解体、もうFINALS進出すら危うくなってきましたね。

だがLeBronは何故か今季キャリア初の全試合出場に加え、ほとんどのスタッツでキャリアベスト級の数字を残すなどむしろ進化したと言ってもいい。

果たして今年も結局LeBronのFINALS進出を阻止するチームは現れないのか。

 

 

それでは皆さん、

PLAYOFFS楽しみましょう( ¨̮ )

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1984-1985 SEASON

今でこそ数多くの国で放送され、NBAに在籍する選手も、アメリカ人選手が占める割合は10年前と比べても大幅に減少している。

だがそんなNBAも長らくアメリカのみで広まっていたスポーツの1つであり、白人のみがプレイしていた時代から黒人選手が大半を占めるようになり、やがて外国籍選手が現れる。

驚くことに1970年代ではリーグ創設から20年以上経っているにも関わらずファイナルすら生放送は無く、深夜帯の録画放送のみだったのだ。

そんなNBAが世界に広まったきっかけは?

どうやって広まったのか?

なぜ爆発的な人気を得たのか?

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そんな疑問を浮かべながら探ると行き着く先は『1984-1985 season』である。

このシーズンこそがグローバル化の原点であり、NBAが大きく動いた年だ。

何故NBAグローバル化が進み、世界でも有数の成功を収めたリーグへと変貌したのか。

今回は様々な視点からその要因を見ていこう。

 

2人の救世主

1984-1985の話に入る前に1つ、大切な前置きが必要である。

それは、前季となる1983-1984シーズンに重要な出来事があったからだ。

1984年 5月27日、この日NBA史上初めてファイナルの全試合が全米で生中継された。

何故それほどまでに注目されたのか。

それは大学時代に全米の注目を集めた

『Magic Johnson VS Larry Bird』という対戦がNBAで、それも当時既にライバルチームと称されていたLALvsBOSというマッチになったからだ。

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バードとマジックが加入する以前のNBAは、麻薬の蔓延やスター選手の不足により完全に人気を失っていた。

さらに、当時の選手会と協会は度々衝突を繰り返し、複数の裁判を抱え続けるような状態だった。

薬物に手を染めるスター選手達、選手会と協会では裁判続き、生中継など全く無かったリーグに誰が注目するだろうか。

そんな中でカレッジで全米の注目を集め、その世間の注目をそのままNBAに引っ張り込んだのは紛れもなくマジック&バードの2人だった。

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そして彼らはそれぞれLALとBOSに導かれるように加入し、ファイナルという大舞台で、しかも初の全米生中継される中で手に汗握る接戦を繰り広げたことが、翌季を盛り上げる大きな要因となったのは間違いないだろう。

 

"神"の登場

この1984-1985シーズン開幕前のドラフトはNBA史上最高のドラフトとも言われており、とにかく名だたる選手が揃っている。1位のアキーム・オラジュワンを筆頭に、ジョン・ストックトンチャールズ・バークレー、そして後にバスケの神様と称されるマイケル・ジョーダンが指名されている。

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ノースカロライナ大を全米制覇へ導いた"ザ・ショット"で一気にスターとなったジョーダンも、格別な期待をされた選手ではなく、むしろそれはオラジュワンに向けられていた。

だがジョーダンは普通のスタープレイヤーでは無かった。見る者を惹きつける特別な魅力を持ち、中でも空中で舞う姿は世界を魅了した。

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実際、ドラフト後のオリンピックで金メダル獲得に貢献したジョーダンに対し、ブルズは当時の新人には考えられない7年600万ドルという契約を結び、その大きすぎる期待は周囲に疑問を持たせた。

だがいざ開幕してみればその疑問は吹き飛ぶほど、ジョーダンは圧倒的だった。

当時低迷していたブルズの前季観客動員数は260,950人から487,370人という脅威の87%増加を記録。アウェイ戦にも影響を及ぼし、普段は空席だらけの弱小球団との試合ですら満席にさせるほどジョーダンは多くの人を虜にした。

バードとマジックの2人の救世主がバスケへの注目を集め、ジョーダンという後に"神"と呼ばれる存在が、アメリカ中をバスケの虜にしたのだ。

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個性派揃いのスター達

ジョーダンという存在はただのスター選手に留まらず、NBAにとって宝のような存在だったが、圧倒的な1つの存在が王者であり続けてはいずれ面白くなくなってしまう。

だが、ジョーダンと同じ94年ドラフトのオラジュワンやバークレーストックトンらに加え、彼らより数年早くNBA入りしたアイザイア・トーマスやドミニク・ウィルキンス、クライド・ドレクスラーなど多くのスターがいた。

何より重要なのはこのスター達が様々な球団に散らばっていたことだ。

上記の選手達は全員がそれぞれ異なるチームに在籍し、チームを牽引していた。

これによりライバル関係が生成され、POやファイナルをより熱い試合へと変化させたのだ。

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"革命家"の登場

ジョーダンが現れようとも、スター揃いのリーグになろうとも、世界へ発信させるだけの手段がNBAには無ければ意味は無い。

だが、この完璧とも言えるタイミングに革命家が現れた。

革命家の名はデビッド・スターン。

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まだ協会と選手会が裁判で争っていた頃、外部顧問弁護士としてNBAに関わるようになったスターンは、1978年にNBAにおける法務部門の立ち上げに協力。1980年にはコミッショナーに次ぐ地位となる協会の取締役副社長に就任。

スピード出世を続けるスターンは1983年には頑固な選手会との長い対立に終止符を打ち、NBA史上初となる労使協定の締結に至らせた。

長く意見相違が続いていた選手会との関係を見事に取り持つ事に成功したスターンは、その腕を買われ1984年2月、早くも第4代コミッショナーに就任。

ここから彼の革命が始まったのだ。

スターンが起こした1つの革命はリーグの勢力分散だった。労使協定締結時にサラリーキャップ制度の導入を決定していたのだ。

現在でこそ当たり前のように聞くサラリーキャップだが、制度が導入されたのはこの1984年であり、それ以前は契約額の上限が無く、必然的に裕福な球団ほどスターを獲得しやすい状態だったのだ。

逆に貧困状態の球団は、例え若手をスターに育て上げようとも、実力に見合った金額を支払えなければ他球団に奪われてしまう為、悪循環から脱却出来ない状況にあった。

レイカーズセルティックスの黄金時代か長く続いたのは、サラリーキャップ制度が無かったことも要因の1つであり、一般的にサラリーキャップ制度を導入したスポーツリーグで連覇し続けることは困難とされている。

このサラリーキャップ制度により、各チームの選手年俸合計額に上限が設定され、資金が少ない球団にとって不利だった状況を改善させたのだ。

ちなみに余談だが、サラリーキャップ制度はアメリカ4大スポーツの中でもNBAが初めて導入したものであり、実はこの年の導入は正確には初めてではない。1940年代に1シーズンのみ施行されすぐに廃止された歴史があるのだ。

それ以降、1984年の再導入まで1度も施行されることは無かった。

この導入初年度は制限金額がリーグ総収益の53%、サラリーキャップは360万ドルだった。

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では話を戻そう。

サラリーキャップ制度に続きスターンが着手したのは、選手達から薬物を切り離すことだった。

当時の選手会はやや横暴で、協会に対して高圧的だったこともあり、薬物規制に関して協会側も厳しい取り締まりを実行に移せなかったのだ。

薬物使用の無法地帯と化していたNBAの人気向上の為に薬物に対する処罰強化は必須だと考えたのだ。

だが、薬物使用した選手をただ切り捨てるような規則を作るのではなく、スターンは治療の支援を優先させた。

NBAは薬物治療プログラムを薬物依存の選手に提供し、プログラムに取り組む姿勢を示す選手には復活の機会を与え、プログラムを拒否する選手にはリーグ追放の処分を与えた。

これにより選手達から薬物を切り離し、リーグの悪印象を払拭することに成功した。

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だが、NBAはもう1つ大きな問題を抱えていた。

人気低迷が原因で財政難にあったのだ。

1983年には全23チーム中17チームが赤字状態で、財政難に陥ったチームはスター獲得どころかチームの存続すら危機になることも少なくなく、スターンはリーグの人気向上のみならず、収益増加にも力を注いだ。

そんなスターンが収益を増やす為に最も注力したのがテレビ放送だった。

先述通り、1984年にNBA史上初のファイナル生中継を行い見事成功を収めたのもスターンの策略だったのだ。

ファイナル生中継の成功もあり、NBAはTBS(もちろんアメリカの)と2年間2000万ドルの契約を結ぶことに成功した。

だが、当時は攻守が激しく入れ替わるバスケットボールは中継に不向きとされており、ゴールとゴールを行き来するだけのカメラワークでは見る側にとって試合の熱が伝わらない。そこでスターンは様々なカメラアングルにこだわり、立体感のある放送にこだわった。さらに選手達には可能な限り取材を受けるよう協力を依頼し、NBAエンターテイメント部門も立ち上げた。

スターンによる積極的な売り込みは見事に成功し、各局がNBA専門番組を制作するきっかけとなった。

スターンの見事な策略と同時に、ジョーダンはドラフト指名されたオフの間に、オリンピックでアメリカ代表として金メダルを獲得していた。

特にバード、マジック、ジョーダンの3人は世界に名を轟かせ、世界各国にファンを持つようになったのだ。

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以降、スターンは更に革命を起こしていくのだが、それらについてはまた違う機会に記事にしたいと思うので今回は省略。

ともあれ、スターンのコミッショナー就任とジョーダンの登場が同時期だったことは、人気が底をついていたNBAにとって奇跡と言ってもいいだろう。

 

この目まぐるしいほどの環境の変化が起き、NBAは大きな進化を遂げた。

実際、翌季のドラフトでは国際化の兆しが見え始めたように、1984-1985シーズンはリーグ大躍進の初年度と言っても過言ではない。

 

如何だっただろうか?

私自身、ジョーダンをリアルに見た世代では無いのであまりジョーダンに関しては安易に語りたくないと思っているのだが、バスケやNBAに無関心だった人達をそれだけ大勢 虜にしたとなると、やはりただのスーパースター以上の価値はあったのだと感じてしまう。

一般的にジョーダンが世界へNBAの人気を広めたと言われているが、実際にはスターンとジョーダンの2人が広めたと言っても過言では無い。

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そしてそれら複数の出来事のターニングポイントを探った時、このシーズンに辿り着くのだ。

 

今季ではオールスターのフォーマット変更により、現コミッショナーのアダム・シルバーは1つの改革に成功したと言える。POのフォーマット変更案も出始めており、もしこれが成立すれば良くなるのか悪くなるのかは定かではないが、NBAの歴史に大きな変化をつけることは間違いない。

 

私達ファンはその時、批判の声を挙げるだけでなく、時代の変化を味わうことも1つの楽しみ方かもしれないと僕は思う。

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大型トレードを経て。

久々のLeBlogです。

今回はタイムリーな記事を。

 

タイトルを見ただけで何の事かお分かりでしょう。

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Cavaliersのシーズン中盤の劇的な解体トレードです。

 

過去に大型補強の末に散々な結果でシーズンを終えたチームは幾度と無く見てきました。

特にLALのハワード、ナッシュ、ガソル、コービーのスター軍団結成は見事にPOで敗れてしまいましたが、オフに獲得した選手をそのシーズン中にほとんど全員手放すという例はあまり見覚えがありません...

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クラウダー、ローズ、ウェイド、シャンパート、フライ、トーマス...

一見すると『CLEは何をやってるんだ』『迷走したか』なんて思ってしまいそうですが、今季のCLEをずっと見てきた人の意見はそうではないかなと思います。

現時点(2/14日時点)ではトレード後2試合をそう悪くない内容で勝利していますが、仮にこの2試合とも敗戦していたとしても、今回のフロントの仕事は僕は評価出来ると思います。

結論から言うと、レブ郎的には間違いなく『成功』です。

まず1番の理由は『チームの雰囲気を変化させることが出来た』ことですね。

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トレードしたんだから当然と思うかもしれませんが、仮にトーマスとローズだけをトレードしたとして、その程度では僕は成功と見なさないはずです。

僕が評価に値すると思ったのはチームを1度崩壊させるほどゴソッと入れ替えたことです。

DFがリーグ最低レベルだったのは、

受け身なDFで、後手後手だったから。

それは何故か。

チームの大半がベテランだったことと、チームの雰囲気が悪く、試合中に勢いに乗れるような場面が少なかったこと、そしてチームに苦言を呈する選手がほとんどおらず、『チームはこれから良くなる』という趣旨の発言をただ繰り返すだけの作業となっていたこと。

 

チーム状況が悪くなるのは大型補強後にはよくある話で、それを乗り越えて一段と強くなろうと言うのが一般的な考えですが、今年のCLEにそんな様子は感じられなかった。

あのままズルズルとRSは冴えないまま乗り切り、POでは個々がそれなりに奮闘して勝ち上がりながらも、CFかファイナルで敗退するような予感しかなかった。

 

そんな状況下で改善の余地を探るよりも、解体という大胆な決断をしたことを僕は評価したい。

結果的に若くアスレチックなメンバーを加え、アウトサイドも強化されている。

特にヒルはPGとしての程良い能力を持ち、DFも良い。

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さらにボールを持ち続けるようなタイプではなく、レブロンとの相性にも不安を感じさせない。

ナンスjrはチームに勢いをもたらせるガッツがあり、レブロンとのP&Rを熟成させればかなりアスレチックなコンビネーションを生み出せる。

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そのうえまだ十分な伸び代を感じさせてくれるのが嬉しい。

クラークソンに関してはまだ何とも言えない部分がある。

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とりあえず2試合を終えた時点では、自分で点を取る能力を持ちながらボール裁きも良く、「ハンドリングとアスレチックが強化されたJRスミス」的な雰囲気を感じる。彼も当然まだ伸び代はあるだろうし、成長を見れるだろう。

フッドは渋い活躍だが、決して悪くない動きをしている。少し3Pを打ちたがる傾向が見られるのだが、CLEのシューター枠は生憎コーバーがいるので他に魅力的なプレイをもう少し望みたい。

 

では最後に今後の展望を考察。

 

不安材料 その1  ラブの復帰

先に言っておくが、ラブの復帰自体は喜ばしい出来事である。ただそれによるマイナス要素も少なからずあるだろう。

しぱらくは欠場が続く見込みだが、彼が先発復帰した時、守備の綻びとして再び目立ってしまう可能性は高い(というか欠場期間中に守備が良くなることは有り得ないのでほぼ確実...)。

彼を先発センターとして起用するのなら、リムプロテクターとしての責任も必然的に重くなる。PFとして起用するのならスモールラインナップに対応しづらくなるのは確実で、その辺の柔軟性を持たせるかどうかはやはりルーHC次第となる。

 

不安材料 その2 POの経験不足

ナンスjrやクラークソンはPOの経験が全く無い為、普段通りの成績を残せるかに不安がある。ナンスjrはプレイスタイル的にその不安はまだ薄いが、クラークソンのようなスコアリングタイプの選手は慣れない大舞台で不調に陥る可能性は十分に考えられる。

さらにフッドも昨季POを経験しているとはいえ、FG%はRSと比べダウン。

1シーズンのみの出場であり、昨季は相手が相手だったので仕方ない部分もあるが、頼れるようなレベルではないのが現状だ。

だが反対にヒルはかつてレブロン率いるMIAとPOで激闘を繰り広げた敵の1人で、何度もPOの舞台を経験しているベテランだ。彼にはRSと変わらず安定した活躍を望めるだろう。

 

CLE最大の不安要素、

レブロンの動向!

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これは厳密に言うと今季の話では無いのだが、仮に優勝を逃した場合にレブロンがどう動くのか予想がつかない。

移籍する可能性も考えられ、現時点で考えていても何も変わらないのだが、優勝にどこまで手が届くかは大きな要素だろう。

優勝からかけ離れた位置でシーズンを終えてしまうようならCLEを去る可能性も決して低くはないはずだ。

若返りに成功したCLEだが、これで優勝が近付いたわけではない。

後はチームとしての完成度を高めていかなければならないが、今のメンバーでどれだけ洗練されたチームを作ってもGSWやHOU、SASらをファイナルで破る確率は限りなく低い。

果たしてその時レブロンがどう考えるのか。

 

長く続いたレブロンの連続ファイナル出場記録は途絶えてしまうのか。

今年も東の王者として君臨するのか。

 

オフの動向も含め、まだまだ楽しめそうです。

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8連覇列伝② "Red Auerbach"

前回のBill Russellに続く8連覇列伝第2弾の今回はレッド・アワーバック(以降Redと表記)。

 

RedはBoston Celticsをアメリカプロスポーツ界屈指の名門へと変貌させた中心人物である。

今回は8連覇という功績を裏で支えた

Red Auerbachという偉大なる人物を葉巻片手に見ていこう。

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1.キャリアの始まり

本名Arnold Jacob Auerbach(アーノルド・ジェイコブ・アワーバック)はニューヨークのブルックリンで生まれた。

幼い頃からバスケットというスポーツに取り組んでいた彼は高校生になる頃には有名な選手となっていた。だが、彼が目指すのはプロバスケ選手ではなく、教師かバスケの監督だった。

短大に進んだ後に2年生からジョージ・ワシントン大に編入。大学を卒業してすぐにRedはワシントン市内の高校で監督を務めながら、ハリスバーグ・セネターズ(現在のMLB傘下リーグに同名チームがあるらしいが無関係)というチームで選手としてプレイしていた。

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↑現在MLB傘下にあるセネターズ

 

その後 軍役により海軍に入ったRedが与えられた職はバスケチームを指揮することだった。

大学卒業後から監督業をしていた彼はBAA(後のNBA)のワシントン・キャピトルズのHCに就任。

後に世界最高峰の舞台となるこのリーグで、Redのキャリアがスタートした。

 

 

2.プロの世界へ

迎えた1946-1947シーズンはBAAというリーグ自体創設1年目であり、キャピトルズもチームとして1年目だった。そんな中でRedは49勝11敗という好成績を残し、当時11チームがBAAに所属している中でリーグ首位の座についた。しかしPOでは準決勝で敗退。

ここで少し脱線話なのだが、この当時のPOではディビジョン(今で言うカンファレンス)1位の2チームは準々決勝を免除される。この免除は非常に有利に思えるがそうでもない。当時の方式では順当に高いシードのチームが勝ち残った場合、何故か準決勝で勝率トップ2チームが対戦するのだ。

11チームしか存在しなかった当時ではディビジョンを分けてのトーナメント方式は採用できないだろうが、準決勝にして実質のファイナルが行われるのは現代を知る我々からすると違和感がある。

これにより、Red率いるイースタンディビジョン1位のキャピトルズは準決勝でのウエスタン・ディビジョン1位のシカゴ・スタッグズと対戦し敗北。

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リーグ2位のスタッグズですら39勝で、RSを圧倒的勝率で過ごしたキャピトルズとは10勝もの差があったが、キャピトルズはファイナルに辿り着くことすら出来なかった。

 

2年目のキャピトルズは大きく調子を落とし、ディビジョン2位タイ(といってもタイチームが3チームもあった)。

この年にはまだタイブレークに関するルールが無く、タイブレークを決める方法はシンプルに直接対決を1試合行うのである。

キャピトルズはタイブレークゲームで前季POで対戦したスタッグズと対決。

しかし、またしてもスタッグズに敗れたキャピトルズはPOに出場出来なかった。

3年目となる1948-1949シーズンではキャピトルズは38勝22敗という好成績で再びディビジョン首位の座を獲得。

POはこのシーズンから方式が改正され、全チーム1回戦から開始となった。

1回戦ではフィラデルフィア・ウォリアーズを2連勝で破り、続いてニューヨーク・ニックスも2勝1敗で撃破。

3年目にしてファイナルに辿り着いたのだった。

ファイナルの相手はミネアポリスレイカーズ

このシーズンのレイカーズはファイナルまで全勝で辿り着いている。その理由はこの年加入した最強のルーキーによるものだった。

『Mr.Basketball』と呼ばれるジョージ・マイカン、彼がいたのだ。

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4戦先勝のファイナルでレイカーズ相手にいきなり3連敗。第1戦42点(レイカーズ全体で88点)、第3戦35点とまさに無敵状態のマイカンに為す術なくキャピトルズは全敗の可能性すら浮かび始めた。しかし20点差で敗北した第3戦で不測の事態が起きた。相手選手との接触でマイカンは手首を負傷したのだ。これにより異様に腫れ上がった手首のままマイカンはガチガチに固めて強行出場。

支配力が弱まったマイカンの影響もありキャピトルズは2連勝。

だが『Mr.Basketball』はそれほど甘く無かった。

手首を痛めているはずのマイカンは王手を掛けたまま迎えたホームゲームの第6戦で爆発。

9本のシュートとFT 11/12で29得点と負傷している新人とは思えない活躍で牽引。

Red率いるキャピトルズは突如リーグに現れた超新星のマイカンを倒せなかった。

この年Redはキャピトルズとの契約交渉で話が拗れ、チームを去ることとなった。

翌年の1949-1950シーズンが始まる前にはBAAがNBLを吸収。さらにBAAからNBAに改名され、NBAとしての記念すべき初シーズンだった。

所属チームは合併したことにより17チームとなったが、Redはシーズン開幕時は姿は無かった。

そんな中1つのチームから声が掛かる。

トライシティーズ・ブラックホークスだった。開幕から1勝6敗と散々だったホークスはHCを即解雇、そして雇われたのがRedだった。

しかしRedが指揮を執って以降でも28勝29敗と少し浮上したものの、良くはなかった(詳細は不明だが、恐らくタレント不足)。

ちなみにこのシーズンがRedにとってはキャリアを通して唯一負け越したシーズンである。

するとブラックホークスはチームを救えなかったRedにたった1年で見切りをつけ、何も伝えず突然トレード。

するとRedはトレード先でのコーチを辞職した。

 

だがRedに救いを求めるチームは他にもいた。NBA1年目を22勝46敗と散々に負け越したBoston Celticsだった。

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3.時代との対立

1950年、前季にディビジョン最下位となったBOSのオーナーはRedをHC兼球団副社長(人事担当)として迎え入れた。

そして1950年ドラフト、ここに名を連ねる選手達の中にはボブ・クージーがいた。

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知っての通り彼はBOSでPGとして黄金期を支えたメンバーの1人だ。

Redも優秀な選手を見極めて獲得する能力が後々評価されることとなるのだが、この時ばかりは少し違った。

Redは、大学時代にオールアメリカンにも選ばれているクージーを指名しようとはしていなかった。

何故なのか。それは彼のプレイスタイルにある。

スコアリングやパスセンスは秀でている一方で、当時普及していなかったビハインド・ザ・バックパスやノールックパスを多用していたのである。当時のバスケ界において実用性を認める意見は少なく、Redのみならずクージーが在籍していた大学のコーチすら批判的だった。

大学時代には出場時間を少し制限されており、Redがクージーにあまり興味を示さないのも無理はない。

そして1位指名権を持っていたBOSが指名したのは、チャック・シェアという選手。しかし、ここから運命的とも言える出来事が起こる。

クージーは3位でブラックホークスに指名されていた。しかしブラックホークスはクージーをスタッグスへトレード。

そしてクージーがトレードされた後にスタッグスは解散(この当時は経営難で解散するチームが多かった)。

そして元スタッグスの3選手を巡ってBOSとニックス、ウォリアーズでクジ引きとなった。この3チームが狙っていたのは2年前に得点王になっていたマックス・ザスフロスキーだった。

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リーグで既にトップレベルの活躍をしている選手をクジ引きで手に入れられるのなら狙わないはずが無い。しかしザスフロスキーを当てたのはニックス、BOSにはクージーが加入することとなった。

トレード、チーム解散、クジ引き。

こうした3つの出来事が重なり、ドラフトではスルーした新人がBOSに加入することとなった。

さらにこのドラフトでは、Redが周囲を驚かせる出来事があった。

2巡目14位でBOSが指名したのはチャック・クーパー。

大学卒業後にエキシビションチームでプレイしていた彼は高いディフェンス力が持ち味で、特に派手なブロックを得意としている黒人選手だった。

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彼の指名が何故、周囲を驚かせたのか。

それは彼が黒人だったからである。

当時のリーグに黒人など1人もいなかった。

そんな中で突然Redが黒人を指名したことにBOSの選手達は驚きを隠せなかった。しかしBOSのオーナーだったウォルター・ブラウンは『ストライプでもチェックでも水玉でも気にしない』と人種で人を区別せず、それはRedも同じだった。

ちなみにこの1950年ドラフトには他にも黒人選手が2人指名されている。

その内の1人ナサニエル・クリフトン(指名順位の記録がどこにも無い為 何位指名かは不明)は史上初のNBAチームと契約を結んだ黒人選手となり、もう1人のアール・ロイド(9巡目108位指名)はNBA公式戦に初めて出場した黒人選手である。

こうしてRedはNBA史上初の黒人選手をドラフト指名した人物として歴史に名を刻んだ。

さらにBOSにはもう1つ幸運な出来事があった。

セントルイス・ボンバーズで前季にルーキーながら平均16.1得点を記録していたエド・マコーレーが、ボンバーズが解散したことによりBOSに加入したのだ。

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これによりドアマットチームだったBOSに期待の新人 クージー、伸び代満点の2年目 マコーレー、人事や采配に定評のあるRedの3人が加入した"新生BOS"の復活劇が始まる。

RedのBOS1年目となる1950-1951シーズン、39勝30敗でイースタンディビジョン2位。前季の22勝から17勝上乗せした事を考えると非常に将来に期待が持てるチームだった。

このシーズンからオールスターゲームが開催されるようになり、初代MVPに輝いたのは加入1年目のマコーレーだった。

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リーグ全体で見ても4位の好成績を残したBOSには優勝候補との声すら挙がった。

だが、2戦先勝のPOではイースタンディビジョン3位のニックスに2試合連続14点差をつけられ、2連敗で呆気なくシーズンアウト。

 

続く1951-1952シーズン、開幕前にワシントン・キャピタルズからビル・シャーマン(後に殿堂入り)が移籍で加入。

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チームは39勝でイースタンディビジョン2位と、前季と同じ成績でRSを終える。

オールNBA1stチームにクージーとマコーレーの2人選ばれる快挙を成し遂げたBOSだが、前季と同じ対戦相手であるニックス相手に2勝1敗でシリーズ敗退。

3年目となる1952-1953シーズンでは46勝を挙げるもイースタンディビジョン3位。

しかしPOではシラキュース・ナショナルズを2連勝で撃破。

迎えたディビジョンファイナル、またしても相手はニックスだった。3年連続3度目の対戦ということもありリベンジに燃えるBOSだが、1勝3敗で無念の敗退。

BOSには『成績は良いが優勝に近付けない中堅チーム』というイメージが定着し始めた。

そしてオフシーズンには、後に黄金期を支える選手の1人であるフランク・ラムジーをドラフト指名。

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しかし、彼は1953-1954シーズンのBOSに姿を現すことはなかった。

カンザス大学の4年生だった時にカレッジバスケ界に八百長疑惑が浮かび、カンザス大学の関与が発覚、シーズン出場停止処分が下されたのだ。これにより4年生を丸々1年台無しにされたラムジーは大学でのラストシーズンを取り戻す為にケンタッキー大学に大学院生として戻る選択をしたことで、BOSに加入するのは翌シーズンに持ち越しとなった。

 

4.届かぬ王座

ドラフト指名したラムジーも加入しなくなったBOSは特に大きな補強も無いまま迎えた1953-1954シーズン、前季と同じくディビジョン3位だったが、POでは前年も対戦したナショナルズとの対戦で敗退。

 

そして1954-1955シーズン、NBAの歴史における最重要ルール変更が行われる。

『24秒ショットクロック』の導入である。

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当時のNBAは異常とも言えるローペースな試合展開がリーグ全体に浸透してきており、NBA自体の人気が低迷。チーム数も減る一方であった。

実際に1953-1954シーズンではリーグ平均79.5点となり、ショットクロックも無くボールキープの時間帯が長いだけの試合を観客が望むはずがないのだ。そんな経緯があり、ショットクロックが導入されたのだった。

そして導入初年度となる1954-1955シーズンではリーグ平均得点が93.1まで上昇。初の90点超えとなった。

そんな目まぐるしい変化の中で、BOSはリーグ1位の101.5を記録。前季ですら87.7とリーグ1位の得点力を誇るBOSは、時代に反して速攻を得意とするチームだったため、ショットクロック導入がさらに得点力を増加させた。

速攻を得意とするBOSに合流したラムジーもルーキーながらシーズン平均27分出場時間で11.4点を記録し、主力としてチームの新たな武器となった。

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42勝30敗を記録しディビジョン3位でPOに進出したBOSは、幾度となく立ちはだかってきたニックスを4度目にしてついに撃破。

しかし、現実はそう甘くない。ニックスに続いて、近年BOSのライバルとなりつつあるナショナルズと対戦。

ナショナルズには後に殿堂入りを果たすPF/Cのドルフ・シェイズがいた。当時ジョージ・マイカンをきっかけにセンター優勢時代ながらBOSにはそれほど強力なインサイドプレーヤーは存在していなかった。シェイズに圧倒されたBOSは1勝3敗で敗退。シェイズ率いるナショナルズは最終的にこのシーズンの王者となった。

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1955-1956シーズン、ショットクロック導入2年目のリーグは平均得点が99.0得点まで上昇。しかしそれまでのリーグ全体の人気低迷が影響し、リーグ在籍チームはついに8チームまで減少。

逆に言えば、単純に考えると優勝出来る確率が高くなるのだがBOSには1つマイナス要素があった。前季にルーキーながら堂々たる活躍を見せたラムジーが兵役により1年以上の離脱することとなったのだ。

さらにBOSが在籍するイースタン・ディビジョンには前期王者のナショナルズがいた。

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しかし当のナショナルズはBOSのラムジー離脱以上にマイナス要素があった。

ショットクロック導入以降全チームが平均得点を上げていく中で、ナショナルズはリーグの中でもオフェンス力の乏しいチームだった。さらに皮肉なことにショットクロックを最初に提案したのがナショナルズのオーナーだったのである。

これにより35勝37敗と前季王者がまさかの勝率5割以下となったナショナルズはディビジョン同率3位だった。3位と聞くとよく思えるが当時8チームしかいないNBAイースタンディビジョン同率3位というのは実質ディビジョン最下位である。ナショナルズタイブレーク戦を制したことで何とかPOに進出したが、連覇など狙える状態では無かった。

これに対しBOSはラムジーを欠きながらもリーグ最多の平均106.0得点でディビジョン2位。

難なくPOに進出したBOSの相手は失速状態のナショナルズだった。弱った前季王者にリベンジする最高の舞台が整ったのである。

迎えた第1戦、オールNBA1stチームに選出されたクージーが29得点を記録し、17点差で快勝。

だが第2戦ではホームに帰ったナショナルズが王者の意地を見せるべく奮闘。

3点差という接戦を制したナショナルズは続く第3戦、BOSホームながら5点差で接戦を制した。

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またしてもBOSはナショナルズに敗北。負けた2試合ではナショナルズに100点以上取られており、得点力が乏しいはずのナショナルズがハイスコアゲームを展開できるのは明らかにBOSの脆弱な守備が原因で、RSのBOSは平均失点で105.3点とリーグ最下位だった。

 

5.NBA史に残る取引

優勝こそ届かないBOSだが、オールNBA1stチームに選出され4年連続アシスト王のクージーに加え、4年連続FT成功率1位とシュート力抜群のシャーマン、初代オールスターMVPとFG%リーグトップやオールNBA1stチーム選出の経験を持つリーグを代表するセンターのマコーレーを擁しており、決して弱くはないチームだった。それでも優勝に届かないBOSに対しAuerbachは最後のピースを必要としていた。そんな中である大学のコーチがある選手を紹介した。

208cmでありながら信じられない身体能力を持ち、規格外の守備力を持つビル・ラッセルだった。

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当時のオフェンス偏重なNBAにおいて、守備力をウリにする選手の獲得を決断したAuerbachの考え方はある意味異端なものであった。

カレッジ界に名を轟かせていたラッセルを獲得しようと考えたAuerbachだが、ドラフトの指名順位は前季下位チームからであり、ディビジョン2位のBOSが狙える選手ではなかった。

さらにBOSは持っている1巡目指名権を放棄して地域指名でスター選手のトム・ヘインソーンを獲得する予定だった為、1巡目指名権は事実上無かったのだ。

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しかしAuerbachの頭脳は後にNBAの歴史における最も巧妙な取引と呼ばれるラッセル獲得計画を企てる。

圧倒的守備力を誇るラッセルが1位指名される可能性は意外に低かった。

と言うのも、当時のNBAにおいてセンターというポジションは得点源であり、ディフェンス技術というのは選手を評価する上であまり注目されない技術だった。そして1位指名権を持つロイヤルズは前季リーグで平均得点が下から2番目であり、得点力を欲していた。

その上 ロイヤルズには既にモーリス・ストークスというリーグ屈指のビッグマンがいたのだ。

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これらからロイヤルズがラッセルを指名することは無いと読んだAuerbachはさらに考えた。

ここでAuerbachの餌食となるのが、後にライバルとなるセントルイス・ホークスだった。2位指名権を持つホークスだが、ホークスはラッセルを指名する予定だったが、もう1人獲得したい選手がいた。BOSのマコーレーである。

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マコーレーがセントルイス生まれのセントルイス大学出身であり、地元育ちのスター選手を求めていたのだ。さらにマコーレーも病弱だった息子の事を考え地元に戻りたいと考えていた。

意見が合致したBOSとホークスは、

ホークスが2位でラッセルを指名した後に、ラッセルとマコーレーをトレードするという取引を画策した。

だがホークスはラッセルをとにかく欲しがるBOSに対し、要求を追加した。

BOSで指名されてから2年間の兵役中でNBAデビューを来季果たすクリフ・ヘイガンを要求したのだ。BOSはラッセル獲得を優先させ、仕方なく要求を承認。

これにより、

ラッセル⇔マコーレー&ヘイガン

の仮トレードが成立した。

 

そしてドラフト当日、ロイヤルズはAuerbachの予想通りラッセルをスルーして他選手を指名。ホークスは約束通りラッセルを指名した。

この時さらにBOSは予定通り1巡目指名権を放棄して地域指名でヘインソーンを獲得。そして保持していた2巡目指名でラッセルと同じ出身校であるKC・ジョーンズを獲得。

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トレードでのラッセルも含め、Auerbachの見事な駆け引きにより、こよドラフトでBOSは3人の将来の殿堂入り選手を獲得したのである。

このトレードにより念願の地元出身スター選手であるマコーレーを手にしたホークスだったが、笑っていられるのも束の間だった。

 

6.王朝の始まり

メルボルンオリンピックにアメリカ代表のキャプテンとして参加することとなったラッセルと、主力選手として参加したジョーンズはシーズン序盤を離脱していたものの、平均53.3点差という圧倒的実力差を見せつけて金メダルを獲得してBOSへ戻ってきた。

(ジョーンズは兵役の為、BOSには戻れなかった)

そして迎えたラッセルのデビュー戦。

運命的と言うべきなのか、対戦相手はラッセル獲得計画の取引相手だったホークス。

するとAuerbach HCはラッセルに相手の得点源であるボブ・ペティットをマークするよう指示した。

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するとラッセルはルーキーでありながら、当時リーグトップクラスのペティットを相手に1on1での守備力とブロックショットのレベルを見せつけた。結果的に2点差でこの試合に勝利。

NBAというリーグでも持ち前の守備力を発揮できることを証明したラッセルはBOSの革命児だった。

前季平均失点で最下位だったBOSにとってラッセルの脅威的な守備力は最高の革命となったのである。

そしてラッセルを利用した新たなシステムをAuerbachが構築したのである。

ラッセルは1on1の守備のみならず、俊敏性を活かしたヘルプディフェンスもウリとしており、Auerbachはタイトなディフェンスを指示し、ラッセルにはヘルプディフェンスにいくよう指示した。

タイトなディフェンスは突破されてしまうリスクも増えてしまうが、突破されてしまってもラッセルがカバーするという作戦だった。さらにミスマッチが生じた時にはすぐさまラッセルがダブルチームに行くことで封じ込めた。これによりタフショットを打たせ、既にリーグトップレベルのリバウンド力を持つラッセルがリバウンドを取る。そしてBOSが元々得意としていた速攻を展開する。

アグレッシブなディフェンスによるターンオーバー・タフショット・ブロックショットから速攻を展開する最強の攻守一体のシステムは『Hey Bill !!』と呼ばれた。

これは試合中にBOSの選手達がラッセルのヘルプを要求する選手らが『Hey Bill !!』と呼んでいたことから名付けられたものである。

これによりBOSは攻撃力に加え守備力を手に入れたのだった。

 

Auerbachが構築した見事なシステムに加え、BOSが躍進した理由はもう1つあった。

1月初旬に兵役からラムジーが帰ってきたのだ。

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SGとして先発出場できる実力を持つラムジーをAuerbachは敢えてベンチ出場させた。当時のバスケにおいて先発級の選手を先発起用しないという概念は存在しなかった。

「シックスマン」という采配を最初に導入したのはこの時のAuerbachが初めてである。

当時のNBAは可能な限り有能な選手を先発で起用し、ベンチメンバーはほとんど休憩回しに近い状態だった。

そんな中 相手が"休憩回しのメンバー"を出場させているタイミングで先発級のラムジーを投入することで、ラムジーの得点力を十分に発揮させた。

 

ラムジー、ヘインソーン、ラッセルを加えたBOSは44勝28敗でイースタンディビジョン1位を記録。

チーム平均得点で105.5とリーグ首位ながらディフェンスレーティングでも84.0でリーグ首位となり、記録上オフェンスとディフェンスの両方でリーグトップとなった。

(オフェンシブレーティングと平均失点においてはリーグ5位だったが、これは1試合平均のポゼッションが118.0と圧倒的に多かったからである)

リーグにおいてディフェンス力の大切さを見せつけたラッセルはルーキーにして平均14.7点 19.6リバウンドを記録していたが、オリンピックによる欠場が序盤にあった為 新人王には選ばれなかった。代わりにBOSのもう1人の新人であるヘインソーンは平均16.2点 9.8リバウンドを記録し新人王を受賞した。

ちなみにヘインソーンは地域指名で獲得されているが、Redはドラフト当時それほどヘインソーンに期待しておらず、RedがNBAにおいて犯した数少ない誤算(と言っても良い意味で)の1人である。

 POに難なく辿り着いたBOSだが、彼らの真価が問われるのはここからだ。

RSで好成績を残しながらPOでは大敗を喫する姿を幾度となくボストン市民は見てきたのだ。

幸いにも第1シードのBOSは最初のラウンドを不戦通過(当時の第1シードのチームは1stラウンドは無くディビジョンファイナルから始まる)し、ディビジョンファイナルでの相手は5年連続の対戦となるナショナルズだった。これまでの4年間で直近3回敗退しており、ラッセルとヘインソーンを加え、大幅な補強をしたうえでのリベンジマッチだった。

ラッセルはRSではルーキーながら大黒柱としてチームを支えていたが、POという大舞台でも同じ活躍が見込めるのか。

そんな疑問が浮かぶ中ラッセルは出場した。

ポジションマッチは、リーグを代表するセンターの1人であるシェイズだ。

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だがRSで平均19.6リバウンドだったラッセルは驚くべきスタッツを残した。

第1戦でシェイズを14リバウンドに抑えながら、自身は31リバウンドに加え7ブロックを記録したのだ。

ラッセルに支えられたBOSは90-108と18点差で勝利。

続く第2戦ではシェイズに31得点を許すも、リバウンドでは30リバウンドと圧倒。さらに決して得意分野ではない得点もRSの平均を超える20点を獲得。

105-120でまたしてもBOSを勝利に導いた。

迎えたBOSホームでの第3戦、2連勝の勢いそのままに80-83で勝利。あれだけ苦戦していたナショナルズに3連勝で勝利したのだ。

これまで好き放題にシェイズにやられ、脆弱な守備を利用され続けたBOSが守備力を手に入れようやく勝利したのだった。

ようやく辿り着いたファイナルの舞台。

これも運命のイタズラか、相手はラッセルをBOSに渡した張本人のホークスだった。

地元スター選手を欲した事で渡してしまった怪物ルーキーが、BOSを引き連れてホークスの前に立ちはだかった。

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さて、話としてはここから凄く盛り上がり、後に語り継がれる8連覇へ繋がるのだが、僕は以前この8連覇に関してBill Russellの記事でほとんど書き尽くしており、もう1度書き直せるほど小規模な話ではない。

ということで詳しい流れはこの記事を見て頂きたい(とても面白いと評判なようです)。笑

【Bill Russell編】↓

http://lebrog.hatenablog.jp/entry/2017/12/02/120345

 

ということで、ここから8連覇までの話に関してはサクッといきたい。

 

先述通り、クージーやラッセルら優秀選手を取り揃えたが、これだけでは勝てない。

ここから8連覇という偉業を成し遂げるわけだが、それほどの黄金時代を築き上げた理由を少し掘り下げたい。

 

7.王者であり続ける為に

まず1つが、これまでに無かった黒人選手の積極的起用だ。

RedはNBA史上初めて先発選手を黒人5人で起用した監督であり、人種に関係無く優秀であれば起用するという、時代背景を考えればかなり異色の監督である。

さらに、バスケそのものがオフェンス偏重な時代の中で、守備に秀でていたラッセルを獲得する為に巧妙な取引を考え出したことも大きなRedの功績だろう。

当時の考え方としては、守備が優秀であっても、それなりの攻撃力を備えていなければ、そのセンターを獲得したいと思う人間は少なかったからである。

そして、この8連覇時代をきっかけに「シックスマン」の概念を世に広めたのもRedである。彼がシックスマンという立場を「切り札のような存在」へと変えたのである。

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↑6thマン起用ら今では当たり前の概念だが、Redがそのような起用を行うまでは誰も実践していなかった

 

これは後のBOSの戦術にも脈々と受け継がれていくもので、NBAに浸透させたのも実質Redである。

 

また、ただ強力な選手を揃えるだけでなく、名司令塔クージー、守備に秀でたKC・ジョーンズ&サム・ジョーンズの『ジョーンズ・ボーイズ』、守護神ラッセル、ラッセルに隠れる影のスコアラーのヘインソーン、シックスマンとして"秘密兵器"になるラムジーと、非常にバランス良くチームを構成している。

そして鉄壁から繰り出される速攻を武器とし、ハイスコアなゲーム展開を得意とするが、実はRedはオフェンスプレイのパターンはおおよそ7つしか持っていなかった。堅固な守備からスムーズに速攻を展開することにより、複雑なオフェンスシステムは不要だったと言える。

その理由の1つに挙げられるのがラッセルだ。ラッセルのブロックは『芸術』と評されるほど華麗なもので、時には味方選手を狙ってボールを叩くことが出来たという。

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ラッセルのブロックは同時にアウトレットパスの役割を果たすことがあったのである。

そしてそのラッセルの脅威的な守備力をフル活用するべく考案した『Hey Bill !!』もRedの功績の1つだ。

そしてBOSが王者であり続けた最大の要素がある。恐らくこの要素こそがこの時代のBOS以降誰も4連覇を成し遂げられていない理由だ。

Redの人事担当としての才能がとにかく優秀で世代交代がスムーズに行われているという点である。

ビル・シャーマンの引退にサム・ジョーンズが台頭。

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4連覇達成後に7位指名でハブリチェックを獲得。

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5連覇達成後にボブ・クージーが引退し、K.C.ジョーンズが代役に抜擢され活躍。

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7連覇達成後にトム・ヘインソーンが引退するもチームは衰えず。

中心選手の1人が引退すると先発昇格した若手が奮闘し、メンバーが入れ替わりながらもチームとしてのプレイスタイルを変えることなく王者であり続けた。

これこそが黄金時代を築く上で最も難しい部分である。

そしてこの時代のBOSには、唯一世代交代することなく大黒柱であり続けたラッセルと、スムーズな世代交代を実現させたRedがいたからこその黄金時代だと言えるだろう。

 

そんなRedだが8連覇達成直前、衝撃のコメントを発表している。

ラッセルの記事でも書いた通り、シーズン終了と同時に監督業から身を引くことを、8連覇をかけたファイナル第1戦敗戦直後に突如発表したのだ。

これはGM兼HCだったRedが、GMとしての仕事に専念する為の決断であった。

 そしてRedが後任に選んだのはラッセルだった。これがまた周囲を驚かせた。

何故なら黒人のHCというのはアメリカプロスポーツ史において前例が無かったからだ。さらに黄金期にあるチームの大黒柱であるラッセルが選手兼監督になるということでもあった。

だが、Redは最初からラッセルを後任に選んでいたわけではなかった。

まず最初に後任候補に挙げたのはラムジーだった。だがラムジーは自身が経営する福祉施設3つの運営に追われていた為にこれを辞退。ちなみに何故NBA選手の傍らでそんな運営をしているかと言うと、当時のNBAでは一流選手でも裕福な生活は難しいのが現状だった。それほどまでに年俸が低いのだ。

そんなわけでラムジーに断られたRedは次に名司令塔だったクージーに依頼した。だがクージーは『元チームメイトを指揮したくない』との理由で辞退。

その後ラッセルと同期のヘインソーンに依頼するも『ラッセルを扱うことは誰にも出来ない』と辞退。

だが、ヘインソーンはもう1つRedに意見を述べた。

ラッセルを指揮できる人間がいないのだから、ラッセル自身をHCにしてみてはどうかと推薦したのだ。

このような経緯があり、ラッセルはRedに指名された。

そして発表後から第2,3,4戦と3連勝したBOSは第7戦まで縺れながらもシリーズ制覇。

8連覇を成し遂げたのだ。

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8.新たな立場

 8連覇を成し遂げた直後の1966-1967シーズン、RedはGMとしてBOSに在籍。そして代わりにHCを担うのはチームの大黒柱でもあるラッセルだ。

時代が時代なだけに、『黒人に監督が出来るのか?』という声が多かった。

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だがそんな声を他所にBOSは60勝21敗と"例年通り"の好成績を残した。

その要因の1つが新加入したベイリー・ハウエルだった。ハウエルは1959年に2位指名されオールスター経験もある選手だったが、個人の活躍がチームの成績には繋がらず、トレードされた後もスター軍団の中で燻り続けていた。そんなハウエルをRedがトレードで獲得した。

ハウエルはベテラン揃いのBOSに加入した直後からエースのハブリチェックに次ぐスコアラーとなり、さらにラッセルに次ぐリバウンダーともなった。

さらなる補強に成功したBOSだったが、アレックス・ハナムという名将を手に入れたチェンバレン率いるシクサーズにディビジョン決勝で敗北。

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BOSは11年ぶりにファイナル進出を逃す結果となった。

ついに黄金時代が終焉を迎えたかに思われたが、Redとラッセル達が築き上げた時代はそう簡単には崩れなかった。

翌シーズン、前季と同じく60勝を上げ、POでシクサーズにリベンジを果たす。

 だが絶対王者としての威厳を示したのも束の間、迎えた翌シーズンでは34歳となるラッセルは私生活も含め心身共に疲弊しきった状態となった。

ラッセルが大きくスタッツを落としたこともありBOSは48勝34敗と、ラッセル加入以降で最低勝率のシーズンとなった。

こうしてRedがラッセルと組んで以来初の第4シードで参戦したPOだったが、POとなるとラッセルは例年通りの存在感を発揮。難なくファイナルへ到達したのである。

そしてファイナルではジェリー・ウエスト、エルジン・ベイラーに加えてチェンバレンの3人が揃ったLALだった。

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第7戦まで縺れる死闘の末BOSが勝利。

ラッセルHCの指揮の下で見事連覇を達成した。

 

9.誤算

ラッセルに監督業を託してからの3年間で連覇を達成したRedは、オフのドラフトでも巧妙な技を見せる。

この年のドラフトでBOSは9位指名でジョジョ・ホワイトを獲得。ホワイトは後に殿堂入りを果たす選手で、ドラフト前の評判も非常に高いものだった。

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だが、大学卒業後2年の軍役に就くことを考慮し、1〜8位指名権を持つチームのGM達は指名しなかったのだ。

だがRedは違った。ホワイトが軍役に就かないことを知っていた。何故ならホワイトは予備役という「一般社会にいながら、軍事的出来事があればいつでも軍隊に戻る」という状態にあったのだ。

予備役に入っている為に軍役は無く、獲得さえすればNBAに参加出来ると知ってのRedの指名は、他のGMとは一線を画す絶妙な"技"だった。

だが、ホワイトを指名したのは結果的に誤算となった。

トレーニングキャンプ直前、ラッセルは突然引退を発表したのである。

これにより突然センターとHCの席が空いてしまい、黄金時代は終わりを告げ、BOSは唐突に再建モード突入となってしまったのだ。

Redからするとドラフトで有能なセンターを獲得しておきたかったが、ラッセルが誰にも引退の可能性を示唆することなくキャンプ直前に突如発表した為に起きた大誤算だった。

ラッセルHCの後任にヘインソーンを抜擢したが、大黒柱のラッセルを失ったBOSは34勝48敗と低迷。19シーズンぶりにPOを逃す結果となった。

これを受けて新たなセンターを求めたRedは4位指名権を持って1970年ドラフトへ参戦する。

 

10.復活の兆し

1970年ドラフトは、NBA史上屈指の当たり年と言われている。この年のドラフト生の内 5人が殿堂入りされており、他にも有名選手揃いだった。

そんな中Redが4位で指名したのはデイブ・コーウェンスだった。

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センターながら身長206cmで、身長218cmのルー・アルシンダー(後にカリーム・アブドゥル・ジャバーに改名する人物)がリーグの新たな顔となりつつある中でコーウェンスの身長の低さは『NBAでも大学と同じ活躍が出来るのか?』という疑問の声が多かった。

だがRedの目に狂いは無い。

ピート・マラビッチやネイト・アーチボルド、ボブ・レイニアが同期にいながらコーウェンスは新人王を獲得。

ホワイトもオールスターに選出され、POこそ進出出来なかったものの44勝38敗と復調。翌シーズンさらに成績を伸ばし56勝でアトランティック・ディビジョン1位でイースタン・カンファレンスでも首位となった。POではカンファレンスファイナルでニックスに敗れたものの、力を増してきているのは明らかだった。

そして迎えた1972-1973シーズン、ポール・サイラスという新たな戦力を加えたBOSはついに球団記録となる68勝14敗でリーグトップの成績を残し、コーウェンスはMVPを受賞。

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カンファレンスファイナルでは第7戦まで縺れた末またしてもニックスの前に倒れる。

翌シーズンでは56勝とRSの成績こそ落としたものの、ニックスを破りファイナル進出。このシーズンのMVPであるカリーム・アブドゥル・ジャバーに加え"Mr.トリプルダブル"のオスカー・ロバートソンを擁するバックスとの対戦で7戦に及ぶ激闘の末 優勝。

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ラッセル引退による黄金時代崩壊から、わずか5年で王座に戻ってきたのだった。

翌シーズンではカンファレンスファイナルでワシントン・ブレッツに敗北するも、続く1975-1976シーズンでは54勝をあげてカンファレンス首位の座につく。

そしてファイナルまで辿り着いたBOSはサンズと対戦。4勝1敗でファイナルを制するが、中でもこの第5戦はトリプルオーバータイムまで縺れる大接戦で、NBAファイナルの歴史の中でも有数の名勝負である。中でもホワイトは60分間に及ぶ出場で33点を獲得し、ファイナルMVPに選ばれた。

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だが翌シーズンには衰え始めていたサイラスのトレードに加え、チームを支え続けたハブリチェックも加齢による衰えが顕著になり始めた。

44勝、32勝と年々成績を落とすBOSはハブリチェックの引退もあり、もはやホワイトが1人奮闘するだけのチームとなっていた。この頃はスター選手の麻薬問題による追放劇などから優秀選手の不足もあり、リーグそのものの人気も大きく低迷していたのである。

だが、そんなNBAに救世主が現れた。

 

11.舞い降りた救世主

 高校最終学年では1試合平均30点 20リバウンドと頭角を現し、複数の大学から勧誘を受けていたその"救世主"は、インディアナ大学に進学。だが大学に馴染めなかった彼は1ヶ月も経たないうちに退学し、地元で清掃員として働きながら短大に通っていた。

そしてもう1度大学に行く決心をした彼はインディアナ州立大学に進学。

身長206cm 体重100kgながら、身体能力は乏しい白人選手。

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全米から注目されるこの逸材の名は

Larry Bird。

 

32勝でシーズンを終えるという屈辱の結果を受け、Redはカレッジ界を騒がせていたバードを獲得したかった。

だが、このシーズンを終えたオフの1978年時点でバードはまだ3年生だった。

この当時は大学に4年間通った者のみがドラフトにエントリーする資格を貰えるという制度であり、あと1年待たなければなかった。

そして迎えた1978年ドラフト、Redは6位指名権を持って臨んだ。

このドラフトではトレイルブレイザーズが初の非アメリカ人を1位指名という出来事があった。だが、それに匹敵するほど歴史に名を刻む出来事が起きた。

Redが6位でバードを指名したのだ。

本来なら来年のドラフトでもっと高順位で指名されるはずのバードが大学3年生ながら指名されたのである。

当時アーリーエントリーなどはもちろん存在しておらず、バード自身も指名されるなど思ってもいなかった。

だが、周りのGMを出し抜く為にRedは制度の盲点を見つけ出した。

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Redはバードの学歴をしっかりと把握していた。インディアナ大学退学後、ノースウッド大学という短大に1年間在籍した後に、インディアナ州立大学を3年間通っていたのである。

インディアナ州立大の3年生だが、大学にはトータル4年間通っている』という理屈を突きつけたのである。

十分に理屈が通っていた為、リーグも承認しBOSはバードを見事獲得。

バードには中退して「アーリーエントリー」という形でNBA入りすることも可能だったがそんな意思は無かった為、実際にBOSでプレイするのは1年後となるのだが、この1年こそバードがNBAの救世主となれた最大の理由である。

このバードにとって4年生のシーズン、33戦全勝という圧倒的強さで決勝へ進出。そしてこの決勝でアービン・"マジック"・ジョンソンと初めて対戦することとなった。

派手なパスを得意とする黒人マジックに対し、身体能力は無いが万能で知的な白人バードという対象的な2人のマッチアップが盛り上がらないはずが無かった。

これはNCAAの歴代最高視聴率を記録し、NBAの人気がドン底まで落ちていた中で、全米がこの試合に注目した。

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勝者はマジック側。こうして幕を閉じた2人のライバル関係はNBAに持ち越されることとなった。

既にBOSへの加入が確定していたバードに対し、マジックはドラフトにエントリーしたばかりだ。

この年のドラフト1位指名を受けたのはマジックだった。しかも指名したのは、これまでの歴史でBOSとライバル関係にあったLALだった。

これにより1979-1980シーズンからLALとBOSは東西を代表する名門として復活していく。2人の救世主によって。

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※さて、ここからバードを中心にBOSは第二次黄金期へと突入するわけだが、いずれバード特集も書く日が来ると思うので、Redが直接関わった部分を中心に簡潔に書いていこう。

 

12.狡猾な収穫

バードが加入した1979-1980シーズン、前季29勝に終わっていたBOSを61勝とリーグトップの成績へ押し上げた。バードは新人王を獲得し、さらにはNBA1stチームに選ばれたのである(ちなみにバードは以降9年間も1stチームに選ばれ続ける)。

POではモーゼス・マローン率いるヒューストン・ロケッツをスウィープ。

続くカンファレンスファイナルではジュリアス・アービング率いるシクサーズに1勝4敗北で敗れたものの、1年でこれだけの強豪へ変貌させたバードは流石としか言いようが無かった。

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 そして翌シーズン、普通なら少しの補強で優勝に向けてチームを調整していくだろう。だがアワーバックGMはそんな補強で満足するような人間では無かった。それどころか先見の明があるRedはバード入団に向けて準備を行っていた。

バードが入団する前の1979年、元オールスターのボブ・マッカドゥーはチームに馴染んでいなかったこともあり、ピストンズへトレード。これにより1980年の1巡目指名権をBOSは受け取っている。そして1979-1980シーズンのピストンズはカンファレンス最下位。

イーストとウエストの最下位同士がコイントスで1位指名権を争うのだが、1巡目指名権を受け取っていたBOSとジャズでコイントス

結果BOSに1位指名権が渡ることとなった。

Redがドラフトで狙っていたのはケビン・マクヘイルだった。

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だがもう獲得する準備は整った。

マッカドゥーを犠牲にして手に入れた1位指名権でマクヘイルを指名するだけでいいのだ。

だが、Redはこの1位指名権をトレードに使った。元々持っていた13位指名権と合わせてウォリアーズへトレード。

再建真っ只中のウォリアーズにとって1位指名権と13位指名権は最高のプレゼントだった。そしてBOSがウォリアーズに求めたのは、大学時代にMVPを獲得しながらもNBAで燻り続けるセンターのロバート・パリッシュとこの年のドラフトの3位指名権だった。Redはパリッシュの潜在能力の高さと、マクヘイルが3位まで指名されないと読んだのだ。

一方ウォリアーズからすると、大成しない若手と3位指名権で、1位指名権と13位指名権が手に入る。

ウォリアーズにとってパリッシュを手放すことに躊躇は無かった。この年のドラフトには216cmの長身センターであるジョー・バリー・キャロルがいたのだ。

このトレードは成立し、その後のドラフトで1位指名権を持つウォリアーズはキャロルを指名、2位指名権を持つジャズはダレル・グリフィスを指名、BOSは目論見通りパリッシュを獲得しながらもドラフト3位でマクヘイルも獲得した。

このトレードは後に『最も不公平なトレード』と呼ばれるようになるが、トレードとは双方合意の上で成り立つものであり、ウォリアーズの足元を見たRedの狡猾な優勝への近道だった。

後にNBA史上最高のフロントコートと呼ばれることとなるBIG3を形成したBOSは、前季から1勝上乗せした62勝で2年連続リーグトップとなる。

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POではブルズと、前季のリベンジマッチとなるシクサーズを破りファイナル進出。

相手は昨季にスウィープしたロケッツだった。シーズン開始前に新たなチームの加盟によってリーグの東西カンファレンス再編成があった為に、ロケッツはウエスタンカンファレンスに移っていた。

前季にスウィープされていることからも分かるように、ロケッツは強豪ではなかった。カンファレンス6位 勝率5割以下であり、PO進出チームの中では最低の成績だった。

シーズントップの勝率を誇るチームとPO進出チーム中最低勝率チームであり、さらにBOSとの直接対決で直近12連敗と、誰がどう見てもBOS優勢だった。

だが予想外にロケッツは奮闘した。

さらに言うと、この時のBOSはバードがPOに入ってやや不調、マクヘイルはまだ1年目で経験不足、パリッシュもこのシーズンの時点ではまだ完全に開花したわけではなかったのだ。

だが、Redがこれまでに行ってきた的確な補強はそんな程度で崩れるものでは無かった。

BOSは4-2で優勝を果たした。

ファイナルMVPに選ばれたのはパリッシュ・バード・マクヘイルの誰でも無かった。

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セドリック・マックスウェル。

1977年12位指名でBOSに加入したPFだった。

パリッシュらBIG3と比べるとスター性は無いが、アシスト・リバウンド・スコアリングと卒なくこなせる万能フォワードだった彼は勝負所となる第5戦 第6戦でチームを牽引。

Redが、バード獲得後に仕込んでいた未来を見据えての補強だった。

そしてバードの補助のはずがファイナルという大舞台で見事にチームを支えたのだ。

 ベンチまで徹底した地盤が仕上がっているBOSは、バード・マクヘイル・パリッシュら伸び代のある選手も多くいた為、バード自身 優勝したこの時に、このまましばらく連覇出来ると自信を持っていた。

 そう感じれるだけの手応えがあったのだ。まして自チームのGMは8連覇の伝説を持つRedなのだから。

 

14.史上最高のフロントライン

そして迎えた翌シーズン、またしても1勝上乗せし63勝で3年連続のリーグトップ。

(地味にこれは凄い。トップチームが3年間トップであり続けているだけでも凄いのに勝利数も僅かながら上乗せ出来ている)

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POではカンファレンスファイナルで3年連続となるシクサーズとの対戦だった。

バードはシリーズ平均18.3得点 14.1リバウンド 7.3アシスト 1.9スティールとオールラウンドな活躍を見せるが、第7戦まで縺れた末に敗戦。

翌年にはバックコート陣の補強をすべく、現在GMを務めているダニー・エインジを2巡目31位で獲得(ちなみにエインジはカレッジバスケのスターでありながら、オフシーズンの夏にはMLBで野球選手としても活動していた。その為、BOSはエインジと契約をする際にMLBとの契約も買い取ることとなった)。

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そんなBOSは56勝をあげるもPOでバックスにスウィープされてしまう。

(バードの記事でまたしっかり書きたいので、この先結構簡略化してます。すいません。)

このスウィープを受けバードは猛特訓。

フェイダウェイシュートを身に付け、さらに精神面でも大きな成長を見せた。

さらにRedはHCを務めていたビル・フィッチを解雇。代わりに8連覇時代のPGだったKC・ジョーンズを迎え入れた。

優勝に向けて全力を尽くすRedは更に元ファイナルMVPで守備に定評のあるデニス・ジョンソンを獲得。

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万全の体制で望んだ1983-1984シーズンでは62勝をあげ、リーグトップに返り咲いた。バードはこの年にMVPを受賞(ちなみにここから3年連続で受賞する)。

カンファレンスファイナルでバックス相手に前季のリベンジを果たし、ファイナル進出。

 

ファイナルの相手は、当時全米が待ち望んだLALだった。

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16.伝統の一戦と続けたいところだが、このファイナルは簡略な説明と結果だけを書くのはあまりにも勿体無い。

マジックvsバードの第1幕なのだから。

Redの記事として最後に優勝回数などをまとめる必要があるので、結果を言うとこのファイナルはBOSが制覇。

以降バードとマジックの対決が繰り広げられるが、この年にRedは長年就いた人事担当の座を退いている。

 

Red Auerbachの功績

ざっとRedのキャリアを追ってきたが如何だっただろうか。

余談だが、『Auerbachの功績』としてもう1つ紹介しよう。

古くから引き継がれてきたこのロゴ。実は初期は大きく四葉が描かれたロゴだったのだが、RedがBOSにやってきた1950年からこのロゴとなっている。

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説明すると長くなるので、おじさん自体の細かな説明はBOSのチーム特集記事でも書いた時(歴史が深すぎて多分書かない)に説明するが、このデザインはRedの弟で漫画家のザン・アワーバックがデザインしたと言われている。

(そう考えると、このおじさんがくわえている葉巻はもしかして...)

 

 

Redの一番の特徴は、型にはまらない柔軟な発想と、それらを実行する強い信念だろう。

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ドラフトで史上初の黒人指名、史上初の先発5人黒人起用、史上初の黒人HC誕生など、当時の時代背景を考えると異端だったことが窺える。

さらに、優秀な選手をあえてシックスマン起用するという型破りな戦法を見せ、ラッセルやバードなど獲得したい選手の為に、制度の穴を見つけたり、他チームの動向を先読みするなど、非常に巧妙で頭脳的な手段を使っていた。

8連覇という伝説だけを聞けば余程凄い選手がいたのかと思えるが、ラッセルがいたから出来たのではなく、ラッセルを上手く支える人物がいたからこそ成し得たと言っても過言ではない。

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偉大なラッセルが大黒柱であり続け、そのラッセルを最大限に活かす戦法を取り、それぞれのポジションに的確な選手を配置し、衰える頃には次の世代が用意されていく。

このRedの構成力こそが8連覇の源とも言える。

近年で強豪であり続けるチームと言えばSASが最も素晴らしいだろう。

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自分達のシステムにフィットするであろう選手を的確に集め、他チームがそれほど興味を示していなかったような掘り出し物を回収していく。

MIAも3KINGSを結集させただけではなく、戦術を探りながらライリーGMが安価で適切な補強を施したからこそ、4年間ファイナルに出続けることが出来たのだ。

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現在リーグ内で猛威を振るうGSWも、生え抜きの選手達を育てながら、カリーやトンプソンらの"個"の力のみではなく、リーグ随一のオフェンス戦術に上手く巻き込むことで、圧倒的攻撃力を生み出している。

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Redは8連覇という偉業のみならず、強豪チームを組み立てるだけの手腕がリーグ史上最高レベルだったことは言うまでもない。

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リーグ史上最強と称されることもある現在のGSWのように、今後も歴代最強クラスのチームは誕生するだろうが、Redが築き上げたBOSほど王座に君臨し続けるチームは今後2度と現れないのではないかと僕は思う。

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