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【緊急】ファイナルの連続進出は途絶えるのか?

どうも、LeBlog総合編集長兼管理人のレブ郎です。

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全国でタイガーマスク運動が広がり、なでしこJAPANが初の世界一となり、スティーブ・ジョブズ金正日総書記が亡くなり、世界人口が70億を突破した2011年。

 

この年以来、LeBron Jamesは毎年NBA FINALSに進出している。

実力やチーム情勢などの様々な要素を差し引いて、単純に考えると1チーム15人としても450人のNBA選手の中から30人しかFINALSへ辿り着けない。

それを8年連続で達成していると考えると、実に素晴らしい功績である。

 

だが今季、FINALSへ向けて直近8年で最も不安要素満点のシーズンを送っている。

シーズン開幕前はRose、Wadeらを筆頭にスター軍団と称されたネームバリューなら満点のチームを形成したものの、いざ開幕すると試合内容は散々に。

DFではリーグ最低クラスな上に、後手に回り続けるばかり。さらにチーム内で揉め事が起きるとついには新加入メンバーが揃ってトレードに出される始末。

そんな中でPOに向けて3位という順位を確保したあたりはLeBron Jamesという揺るぎない地盤があったからとしか言いようが無い。

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今回のこの緊急記事はこれまでの7年間のFINALSとその道程を振り返りつつ、今季のPOの展開を考察してみたい。

 

 

2011 PLAYOFFS

MIA 3KINGS結成初年度だったこのシーズン、RSでは連携ミスが目立ち、安定感を欠いたまま終盤になっても改善される気配が無かった。だがPOに突入するとそれまでが嘘のような強豪らしい貫禄ある試合展開を魅せた。

1st RoundでPHI相手に4-1で勝利すると、長年LeBronの壁となり続けていたBOSを2nd Roundで撃破。

続くCFではこのシーズンに最年少MVPという称号を受けたDerrick Rose率いる東首位のCHIと対戦。

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Game1で21点差で敗れファンに不安を抱かせたが、ここから怒涛の4連勝。

優勝を求めて結成された3KINGSは、1年目にしてそのチャンスを手にしたのだった。

 

2011 FINALS

対戦相手はNowitzki率いるDALだった。

KiddやTerryなどベテラン勢が揃うDALに対し、WadeやBoshらノリに乗る全盛期まっしぐらのヒール軍団という絵に書いたような構成はDAL応援派を間違いなく増やしただろう。

Game1で見事勝利したMIAは続くGame2でも4Q 7:14時点で15点差とMIA優位に展開。

だが勝利を早くも確信してしまったLeBron&WadeがDALベンチ前で挑発に値するようなモーションを行ったことが歯車を狂わせた。

これに怒ったDALはここから3分間MIAを無得点に抑えながら8連続得点を決め一気に流れを掴む。

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そして同点で迎えた残り24.5秒のタイムアウト明け。DALにとって試合最後のポゼッションで残り3.6秒を残しNowitzkiがドライブから逆転レイアップに成功。タイムアウトが無かったMIAはウェイドが28フィート先から3Pを放つも外れ敗戦。大事なホーム2連戦において1つ落としたMIAはここから失速。

最終的に4-2でDALに優勝を譲ってしまうこととなるのだが、接戦続きだったGame3~6を落とした最大の要因が『LeBronの失速』だった。

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Game3~6においてLeBronは17,8,17,21得点と、RSの平均26.7得点に対し全試合で下回っている。

今でこそ批判の対象とならなかったがこのFINALSシリーズにおいて、重要なポゼッションで他選手にボールを譲る場面が多く、そもそもタイムアウト明けのスローインで始まる場面でパサーに回るなど、とにかく消極性が目立った。

LeBronのこのFINALSにおける失速は、MIA選手達がRSで悪役に徹していたことも相まって一気に批判の的となってしまった。

だが、このFINALSこそがLeBron Jamesという無冠の帝王を"真のKING"へと進化させる糧となったのだ。

 

2012 PLAYOFFS

前季の悔しさをバネに進化を果たしたLeBronはほぼ全てのスタッツを向上させ、Wadeとエースの座を共有してきた前季とは違い、MIAの絶対的大黒柱としてチームを牽引。

CFではBOS相手に2連勝した後に3連敗を喫し、先に王手をかけられた状態でBOSホームでGame6と絶体絶命の窮地に立たされるもLeBron JamesがFG 73%で45得点を記録し、続くGame7では4QにLeBron&Wadeの個人技が炸裂。

2年連続のFINALS進出を決めた。

 

2012 FINALS

MVPを受賞したリーグ最高峰選手LeBronと若き得点王KDのマッチアップが注目されたこのFINALS、Game1では序盤こそMIAが優勢だったものの、後半にはOKCが攻守共に勢いを増し、4Qには3年連続の得点王が実力を発揮。

3QまでにBattierやLeBronのマークを受けながらも19得点を記録していたKDが4Qに17得点とゲームを支配。一方のLeBronは4QにはSefoloshaに徹底マークされたこともありFG成功数は僅か2本。前季FINALSと同じく終盤での失速が批判を浴びた。

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続くGame2、故障によりPOでベンチ出場していたChris Boshが自ら先発志願。

ダブルダブルを記録したBoshに続きWadeとLeBronも終盤まで攻守で実力を発揮し見事勝利。

この時点で既にSefoloshaのLeBron封じの効力が薄れてしまっていたのは事実だ。

Game3では両者共に苦しい試合運びとなり、お互いに精彩を欠く場面が目立ったものの、4Q残り7:11からMIAの15得点全てを3KINGSが記録し決定力を見せつけた。

Game4では決死の攻撃を見せるOKCに一時17点リードを許すも、2QからLeBron&Wadeを中心にMIAの反撃が開始。

次々に決まる3Pを軸にして簡単に逆転。

だが残り5:15でLeBronが左脚の痙攣を起こす緊急事態が発生。

1度はコートに戻り3Pを沈めるもDFを出来るような状態では無かった為に交代。ここで立ち上がったのがChalmersだった。Wadeに『俺にパスをくれ』と伝えるとLeBronが離脱した残り55秒から連続5得点、このChalmersのギアアップが勝利をもたらした。

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王手で迎えたMIAホームのGame5、3KINGSの圧倒的な攻撃に加えて、

Mike Millerが3P 7/8と圧巻のパフォーマンス。前半こそ食らいついたが、優勝を目前にギアを上げるMIAに、OKCは為す術ない状態だった。

こうして無冠の帝王と言われたLeBron Jamesはついに優勝とFINALS MVPいう新たな称号を手にしたのだ。

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そして、LeBronにとって初の連覇への挑戦権を手にした。

 

 

2013 PLAYOFFS

連覇を目指すこのシーズンは開幕前にRay AllenとRashard Lewisを獲得。

だが前季優勝という経験はチームにとって貫禄と称号をもたらすが、一方でモチベー低下をもたらすこともある。

前半こそ守備の綻びが目立つ事もあったが、後半にギアを上げたMIAは2/3〜3/25まで脅威の27連勝と貫禄を見せつけていた。

POでも1st RoundのMILをスウィープ、2nd RoundのCHIとは初戦こそ黒星を喫したものの、その後4連勝。

CFでのINDとはGame1でLeBronがブザービートの逆転レイアップで劇的勝利を飾るとその後どちらも連勝・連敗することなくGame7まで縺れる熱い展開に。

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だがこの最終戦で相手のエースだったGeorgeがまさかの失速で7得点に終わり、対してLeBronは32得点。

2年連続MVPとしての貫禄を見せ、FINALSへと辿り着いた。

 

2013 FINALS

個人技のMIA、チームプレーのSASとなったFINALSはMIAホームのGame1、Parkerが自身で『幸運だった』と語るラッキーショットを沈め、まさかのMIAホーム初戦黒星。するとここから熱戦の連続。互いに修正力が高いチームだったこともあり、連勝・連敗することなく行方はGame6へ。

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MIAホームで行われたGame6は終盤まで接戦となるも勝負所でLeBronが痛恨のTO。

だがLeBronの3P、LeonardのFTミス、そしてFINALSの歴史に残るAllenの同点弾によりOTに。

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3点ビハインドのSASはGreenのラストショットに賭けるもBoshが決死のブロック。

Game7も熱い接戦の末にLeBronが37得点 12リバウンド 3P 5/10と大活躍を見せ連覇達成。

LeBronにとっては、

2年連続優勝とFINALS MVPを手にした。

 

連続進出記録中のFINALSシリーズの中では、最も実力が均衡したまま終戦を迎えたという意味で、最後まで分からないFINALSだったと言える。

 

2014 PLAYOFFS

3連覇という史上稀に見る挑戦権を手にしたMIAは1st RoundでCHAをスウィープ。

続く2nd RoundではRSで苦戦したBKNとの対戦となったものの、4-1であっさり粉砕。CFではリーグトップの守備力を兼ね備えたイースト首位のINDと対戦。だが守備力ではMIAも劣らず、ロースコアゲームを展開。

結果的に地力の差が出始め、MIAが4-2で勝利。

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3連覇への挑戦は最終ステージまで辿り着いた。

 

2014 FINALS

2年連続での対決となったこのカード、Game1では空調が故障し、サウナ状態の中でプレイし続け、LeBronが足の痙攣により終盤に離脱。ここからスコアリングランを仕掛けたSASが勝利。

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だが続くGame2ではLeBronがSASの守備を切り裂き続け35得点 10リバウンドと逆襲し勝利。

Game3でホームに帰ったMIAはここから勢いを増したいところだが、この試合でSASは1Q FG 86.7%を記録。2Qでも衰えず前半をFG 75.8%という歴代最高記録でハーフタイムへ。後半にはMIAも巻き返しを見せたが追いつけぬままゲームセット。

この試合こそKawhi LeonardがSASのエースとして、前季からの成長を見せつけた瞬間だ。LeBron相手にキャリアハイの29得点を叩き出したのだから。

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復調を図りたいMIAホームで迎えたGame4、SASの鉄壁を崩せないMIAはLeBronが孤軍奮闘する事態に。

結局4Qでも点差を埋められない展開にホームのファンからはついにブーイングすら出る始末。

結局Game2が唯一の白星に終わったMIA。Leonardは前季の自身のFTミスから逆転優勝されてしまったことが糧となり大きく成長を見せ、SASは彼を中心としたバスケットボールの理想とも思える美しいチームプレイを披露。

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対するMIAはLeBronの孤軍奮闘が続くだけのシリーズとなってしまい、FINALS期間中のWadeの不調は「もはや衰えた」と評されることとなった。加えてシーズン終了後には「このシーズンは楽しめなかった」とWadeとBoshが語るなど、3連覇を目指すという重圧とモチベーションの維持の難しさが3KINGSの時代に終焉をもたらすこととなった。

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2015 PLAYOFFS

KINGの離脱によりどん底を1度経験したCLEは、4年間の間にIrvingという新たな希望を手にしていた。チームの完成度こそ高くなかったが若手の成長を促そうとする矢先、2014年のオフシーズンに街の英雄が帰郷したのだ。

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瞬く間に優勝候補の一角となったCLEは補強を急ぎ、悪戦苦闘しながらもRSを東2位で終えたCLEは優勝へ向けて順調に歩んでいた。

しかし1st Round BOSとの対戦でアクシデントが。

3-0で迎えたGame3、開始6分あたりでOlynykと腕が絡んだKevin Loveが左肩の脱臼。これによりシーズンアウトとなってしまったのだ。

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それでもBOSをスウィープしたCLEは続く2nd RoundでCHIに苦しみながらも4-2で勝利。

CFで待ち受けるのはCLEを抑えて東首位となったATLだった。

『東のスパーズ』とすら称されたATLはその名の通りチームプレイを武器にRSで高い勝率を誇っていた。

シリーズの幕が開ける前は決してATLを支持する声も少なくなかった。実際RSの成績ではATLが勝ち越しており、Loveの離脱に加えてIrvingも膝の状態が悪いという不安要素も抱えていた。

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だが結果はCLEのスウィープ勝利。

1番の原因は絶対的エースの不在だった。

シリーズ平均30.3得点 11.0リバウンド 9.3アシストと真価を発揮するLeBronと張り合える選手がATLにはおらず、ATLが試合の流れを掴みそうになるとLeBronに遮断されるという場面が目立ったシリーズだった。

そして彼らはCLE悲願の優勝に向けて最後の舞台に辿り着いた。

 

2015 FINALS

Steve Carrの見事な指揮によりFINALSに辿り着いたGSWの強みは何と言っても『Strength in number(数の強さ)』と言われたチーム力だった。

迎えたGame1、OTまでもつれ込むもIrvingが膝の故障により離脱したのに加えGSWのベンチポイントの高さが勝因となった。

IrvingとLoveを欠き、もはやスウィープ敗退の予想が出回ったCLE。

だがKING率いるCLEはそこまで甘くは無く、2試合連続となるOTの末にアウェイ戦でまさかの勝利。39得点 16リバウンド 11アシストと大車輪の活躍を見せたLeBronの孤軍奮闘をベンチ陣が上手くサポートした形となった。

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ホームに戻ったCLEはGame3でも試合を優勢に運ぶ。後半に息を吹き返したCurryを中心に20点差を1点差まで詰め寄られたCLEだったが、ここからMatthew Dellavedovaが攻守で輝きを放ち見事勝利。

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初戦黒星&Irving離脱という絶望的状態からの2連勝は番狂わせを予感させる程の快進撃だった。

Game4の開始前、Carrは『先発は変更しない』と公言していた。だが実際の先発メンバーには、それまでベンチスタートだったIguodalaがいた。

このスモールラインナップへの変更は層の薄いCLEにこれまで以上の疲労を与えるのみならず、攻撃力の向上という効果もあった。

Game1~3で123得点を稼いでいたLeBronもGame4では20得点に終わり、試合後に疲労感があったことを認めた。

結局GSWのスモールラインナップへ具体的な対策を立てられなかったCLEはLeBronの孤軍奮闘が目立つ結果となり、Game5,6で完敗。

GSWの層の厚さと修正力が際立ったシリーズとなった。

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2016 PLAYOFFS

前季ではPO初出場にして無念の離脱を余儀なくされたLoveとIrving。さらにチームの大半が前季の悔しさを胸にRSを戦ってきたこともあり、HC解任劇がありながらも東首位をキープ。

1st RoundでDETをスウィープすると、

2nd RoundではATL相手にGame2で3P 25本成功というPOにおけるNBA新記録を樹立。

前季の雪辱を晴らしたいATLだったが、CLEがそのままスウィープを決めるという圧倒的強さを見せつけた。

CFではTORとの対戦。TORにとってはCF進出は球団史上初であり、勢いに乗っていた。

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Game5まではホームチームが勝利するという意地の張り合いのようなシリーズ展開だったが、TORの主力であるKyle Lowryがアウェイ戦では平均得点が半減するという異様な落ち込みが響いていたのは間違い無かった。

そして迎えたGame6。

TORホームではあったが、4Qに14-5のスコアリングランを見せたCLEが白熱のシリーズを制した。

KING率いるCLEは万全の状態でリベンジのチャンスを迎えたのだ。

 

2016 FINALS

NBA新記録となる73勝を達成したGSWは、CFでOKCに1-3まで追い詰められるまさかの展開となっていた。

だがそこから得意の3Pの豪雨により、OKCは焦りを隠せずミスを連発。

結果的にMVPのCurryを中心に怒涛の反撃を見せたGSWがシリーズ勝利。

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前季と同じGSW vs CLEのカードとなった。

Game1、ベンチポイントで45-10と大きくCLEを上回ったGSWはCurry&Thompsonの不調に代わりLivingstonがFG 80%の20得点と試合を決める。

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Game2、Curry&Thompsonを引き続き徹底マークすることで2人の得点を抑えたものの、その分フリーになりやすくなった他選手が躍動。さらに見事な連携による鉄壁を展開したGSWはPOで25試合連続20得点を記録していたLeBronを19得点に抑えるなど、CLEにとってはシリーズの行方を占うような手痛い黒星となった。

迎えたGame3、LoveがGame2で脳震盪の症状を起こしたことにより欠場。

LeBronをPF起用し、SFにはベテランのRichard Jeffersonを先発起用。

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これによりオフェンスの効率を上げたCLEは120-90と大勝し、優勝に向けて何とかホームでの黒星を免れただけでなく、CLEファンに希望を見せた。

迎えたGame4、CLEとしてはここで勝利しシリーズタイに戻したい場面だったがCurryが本来の輝きを取り戻し、まさかのCLE敗戦。Loveが脳震盪から復帰し勢いに乗りたかった矢先の1-3で逆王手は絶望という言葉にふさわしい状況だった。

GSWにとってはホームで連覇達成するチャンスを得たことでお祭り状態。

だが前季の悔しさを背負うチームはまだ希望を失っていなかった。

Game5で41得点と大活躍したのは2人、LeBronとIrvingだった。

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Game4での累積フレグラントファウル数によりGreenが不在だったことに加え、Bogutが3Qに負傷離脱。2人の守備の要の離脱はLeBronとIrvingがドライブから容易に得点を重ねることができる要因となった。

Game6、2試合連続で41得点を記録したLeBronが奮闘。18連続得点を1人で上げるなど、試合を支配していた。

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『次はこの世で1番素敵な言葉   "Game7"だ』 LeBron James

そう会見で話すLeBronには笑顔すら見られた。互いに王手をかけており、次がアウェイ戦でありながら余裕を見せる貫禄はCLEファンに期待を持たせるには十分だった。

 

そして迎えたGame7、NBA史上前例の無い1-3からの優勝を試みるCLEと、RS 73勝という歴史的快挙に加え連覇達成を目指すGSW。どちらが勝っても歴史的なシリーズとなるこのFINALSの最終戦は決して美しい試合展開とはならなかった。

Game7らしく重苦しい展開が続く中、4Q 4:39から89-89のまま膠着状態に突入。Curry、Iguodala、LeBron、Irvingら役者揃いでありながらシュートを落とし続けるという状態が続き異様な雰囲気に。

だが1:50秒時点、均衡を破るべくDRから速攻を繰り出したGSWはIguodalaのレイアップに託す。

だがここからLeBronが正確に狙い済ましIguodalaの手から離れボードに当たるまでの0.3秒間のボールを完璧にブロック。

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ここからさらに1分間の無得点の末についに均衡を破ったのはIrving。

0:53で右45度からCurryとの1on1で3Pを沈め事実上の決勝点とした。

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『この勝利はクリーブランドのものだ』と試合後に語ったLeBron Jamesは移籍時の約束を果たし、クリーブランドという街にとって50年以上無かったプロスポーツチームの優勝を成し遂げた。

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Game7で27得点 11リバウンド 11アシストと史上3人目となるFINALS最終戦でのトリプルダブルを達成し、さらにシリーズ平均において主要スタッツ5部門全てで両チーム合わせて1位がLeBronという史上初の記録を樹立した。

 

このFINALSがLeBronにとってキャリアベストのシーズンだったとレブ郎としては思う。

 

2017 PLAYOFFS

連覇を狙ったCLEはPOで12-1と圧倒的成績でFINALSまで勝ち上がる。

このシーズンはもはやドラマ的展開に欠けるPOの勝ち上がり方だったので、省略...

 

2017 FINALS

CLE相手にまさかの3連敗を喰らい連覇を阻まれたGSWはオフにリーグトップレベルのスコアラーであるKDを加えた。

3年連続のカードでありながら圧倒的GSW優位が予想されたこのFINALSはもう最近NBAを見始めた人達でも知ってると思うのでこちらも省略。

ただ、1つだけ言うならこのシリーズでは悲願の自身初優勝を手にしたKDの気持ちの強さがとにかく現れるシリーズだった。

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如何でしたか?

 

これまで優勝候補として常に挙げられ続けてきたLeBron James在籍チームですが、正直今年はレブ郎はシーズン開幕前から諦めてます。『流石にこんな寄せ集めチームじゃ無理だ』と。

それどころか寄せ集めた選手も解体、もうFINALS進出すら危うくなってきましたね。

だがLeBronは何故か今季キャリア初の全試合出場に加え、ほとんどのスタッツでキャリアベスト級の数字を残すなどむしろ進化したと言ってもいい。

果たして今年も結局LeBronのFINALS進出を阻止するチームは現れないのか。

 

 

それでは皆さん、

PLAYOFFS楽しみましょう( ¨̮ )

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1984-1985 SEASON

今でこそ数多くの国で放送され、NBAに在籍する選手も、アメリカ人選手が占める割合は10年前と比べても大幅に減少している。

だがそんなNBAも長らくアメリカのみで広まっていたスポーツの1つであり、白人のみがプレイしていた時代から黒人選手が大半を占めるようになり、やがて外国籍選手が現れる。

驚くことに1970年代ではリーグ創設から20年以上経っているにも関わらずファイナルすら生放送は無く、深夜帯の録画放送のみだったのだ。

そんなNBAが世界に広まったきっかけは?

どうやって広まったのか?

なぜ爆発的な人気を得たのか?

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そんな疑問を浮かべながら探ると行き着く先は『1984-1985 season』である。

このシーズンこそがグローバル化の原点であり、NBAが大きく動いた年だ。

何故NBAグローバル化が進み、世界でも有数の成功を収めたリーグへと変貌したのか。

今回は様々な視点からその要因を見ていこう。

 

2人の救世主

1984-1985の話に入る前に1つ、大切な前置きが必要である。

それは、前季となる1983-1984シーズンに重要な出来事があったからだ。

1984年 5月27日、この日NBA史上初めてファイナルの全試合が全米で生中継された。

何故それほどまでに注目されたのか。

それは大学時代に全米の注目を集めた

『Magic Johnson VS Larry Bird』という対戦がNBAで、それも当時既にライバルチームと称されていたLALvsBOSというマッチになったからだ。

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バードとマジックが加入する以前のNBAは、麻薬の蔓延やスター選手の不足により完全に人気を失っていた。

さらに、当時の選手会と協会は度々衝突を繰り返し、複数の裁判を抱え続けるような状態だった。

薬物に手を染めるスター選手達、選手会と協会では裁判続き、生中継など全く無かったリーグに誰が注目するだろうか。

そんな中でカレッジで全米の注目を集め、その世間の注目をそのままNBAに引っ張り込んだのは紛れもなくマジック&バードの2人だった。

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そして彼らはそれぞれLALとBOSに導かれるように加入し、ファイナルという大舞台で、しかも初の全米生中継される中で手に汗握る接戦を繰り広げたことが、翌季を盛り上げる大きな要因となったのは間違いないだろう。

 

"神"の登場

この1984-1985シーズン開幕前のドラフトはNBA史上最高のドラフトとも言われており、とにかく名だたる選手が揃っている。1位のアキーム・オラジュワンを筆頭に、ジョン・ストックトンチャールズ・バークレー、そして後にバスケの神様と称されるマイケル・ジョーダンが指名されている。

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ノースカロライナ大を全米制覇へ導いた"ザ・ショット"で一気にスターとなったジョーダンも、格別な期待をされた選手ではなく、むしろそれはオラジュワンに向けられていた。

だがジョーダンは普通のスタープレイヤーでは無かった。見る者を惹きつける特別な魅力を持ち、中でも空中で舞う姿は世界を魅了した。

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実際、ドラフト後のオリンピックで金メダル獲得に貢献したジョーダンに対し、ブルズは当時の新人には考えられない7年600万ドルという契約を結び、その大きすぎる期待は周囲に疑問を持たせた。

だがいざ開幕してみればその疑問は吹き飛ぶほど、ジョーダンは圧倒的だった。

当時低迷していたブルズの前季観客動員数は260,950人から487,370人という脅威の87%増加を記録。アウェイ戦にも影響を及ぼし、普段は空席だらけの弱小球団との試合ですら満席にさせるほどジョーダンは多くの人を虜にした。

バードとマジックの2人の救世主がバスケへの注目を集め、ジョーダンという後に"神"と呼ばれる存在が、アメリカ中をバスケの虜にしたのだ。

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個性派揃いのスター達

ジョーダンという存在はただのスター選手に留まらず、NBAにとって宝のような存在だったが、圧倒的な1つの存在が王者であり続けてはいずれ面白くなくなってしまう。

だが、ジョーダンと同じ94年ドラフトのオラジュワンやバークレーストックトンらに加え、彼らより数年早くNBA入りしたアイザイア・トーマスやドミニク・ウィルキンス、クライド・ドレクスラーなど多くのスターがいた。

何より重要なのはこのスター達が様々な球団に散らばっていたことだ。

上記の選手達は全員がそれぞれ異なるチームに在籍し、チームを牽引していた。

これによりライバル関係が生成され、POやファイナルをより熱い試合へと変化させたのだ。

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"革命家"の登場

ジョーダンが現れようとも、スター揃いのリーグになろうとも、世界へ発信させるだけの手段がNBAには無ければ意味は無い。

だが、この完璧とも言えるタイミングに革命家が現れた。

革命家の名はデビッド・スターン。

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まだ協会と選手会が裁判で争っていた頃、外部顧問弁護士としてNBAに関わるようになったスターンは、1978年にNBAにおける法務部門の立ち上げに協力。1980年にはコミッショナーに次ぐ地位となる協会の取締役副社長に就任。

スピード出世を続けるスターンは1983年には頑固な選手会との長い対立に終止符を打ち、NBA史上初となる労使協定の締結に至らせた。

長く意見相違が続いていた選手会との関係を見事に取り持つ事に成功したスターンは、その腕を買われ1984年2月、早くも第4代コミッショナーに就任。

ここから彼の革命が始まったのだ。

スターンが起こした1つの革命はリーグの勢力分散だった。労使協定締結時にサラリーキャップ制度の導入を決定していたのだ。

現在でこそ当たり前のように聞くサラリーキャップだが、制度が導入されたのはこの1984年であり、それ以前は契約額の上限が無く、必然的に裕福な球団ほどスターを獲得しやすい状態だったのだ。

逆に貧困状態の球団は、例え若手をスターに育て上げようとも、実力に見合った金額を支払えなければ他球団に奪われてしまう為、悪循環から脱却出来ない状況にあった。

レイカーズセルティックスの黄金時代か長く続いたのは、サラリーキャップ制度が無かったことも要因の1つであり、一般的にサラリーキャップ制度を導入したスポーツリーグで連覇し続けることは困難とされている。

このサラリーキャップ制度により、各チームの選手年俸合計額に上限が設定され、資金が少ない球団にとって不利だった状況を改善させたのだ。

ちなみに余談だが、サラリーキャップ制度はアメリカ4大スポーツの中でもNBAが初めて導入したものであり、実はこの年の導入は正確には初めてではない。1940年代に1シーズンのみ施行されすぐに廃止された歴史があるのだ。

それ以降、1984年の再導入まで1度も施行されることは無かった。

この導入初年度は制限金額がリーグ総収益の53%、サラリーキャップは360万ドルだった。

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では話を戻そう。

サラリーキャップ制度に続きスターンが着手したのは、選手達から薬物を切り離すことだった。

当時の選手会はやや横暴で、協会に対して高圧的だったこともあり、薬物規制に関して協会側も厳しい取り締まりを実行に移せなかったのだ。

薬物使用の無法地帯と化していたNBAの人気向上の為に薬物に対する処罰強化は必須だと考えたのだ。

だが、薬物使用した選手をただ切り捨てるような規則を作るのではなく、スターンは治療の支援を優先させた。

NBAは薬物治療プログラムを薬物依存の選手に提供し、プログラムに取り組む姿勢を示す選手には復活の機会を与え、プログラムを拒否する選手にはリーグ追放の処分を与えた。

これにより選手達から薬物を切り離し、リーグの悪印象を払拭することに成功した。

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だが、NBAはもう1つ大きな問題を抱えていた。

人気低迷が原因で財政難にあったのだ。

1983年には全23チーム中17チームが赤字状態で、財政難に陥ったチームはスター獲得どころかチームの存続すら危機になることも少なくなく、スターンはリーグの人気向上のみならず、収益増加にも力を注いだ。

そんなスターンが収益を増やす為に最も注力したのがテレビ放送だった。

先述通り、1984年にNBA史上初のファイナル生中継を行い見事成功を収めたのもスターンの策略だったのだ。

ファイナル生中継の成功もあり、NBAはTBS(もちろんアメリカの)と2年間2000万ドルの契約を結ぶことに成功した。

だが、当時は攻守が激しく入れ替わるバスケットボールは中継に不向きとされており、ゴールとゴールを行き来するだけのカメラワークでは見る側にとって試合の熱が伝わらない。そこでスターンは様々なカメラアングルにこだわり、立体感のある放送にこだわった。さらに選手達には可能な限り取材を受けるよう協力を依頼し、NBAエンターテイメント部門も立ち上げた。

スターンによる積極的な売り込みは見事に成功し、各局がNBA専門番組を制作するきっかけとなった。

スターンの見事な策略と同時に、ジョーダンはドラフト指名されたオフの間に、オリンピックでアメリカ代表として金メダルを獲得していた。

特にバード、マジック、ジョーダンの3人は世界に名を轟かせ、世界各国にファンを持つようになったのだ。

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以降、スターンは更に革命を起こしていくのだが、それらについてはまた違う機会に記事にしたいと思うので今回は省略。

ともあれ、スターンのコミッショナー就任とジョーダンの登場が同時期だったことは、人気が底をついていたNBAにとって奇跡と言ってもいいだろう。

 

この目まぐるしいほどの環境の変化が起き、NBAは大きな進化を遂げた。

実際、翌季のドラフトでは国際化の兆しが見え始めたように、1984-1985シーズンはリーグ大躍進の初年度と言っても過言ではない。

 

如何だっただろうか?

私自身、ジョーダンをリアルに見た世代では無いのであまりジョーダンに関しては安易に語りたくないと思っているのだが、バスケやNBAに無関心だった人達をそれだけ大勢 虜にしたとなると、やはりただのスーパースター以上の価値はあったのだと感じてしまう。

一般的にジョーダンが世界へNBAの人気を広めたと言われているが、実際にはスターンとジョーダンの2人が広めたと言っても過言では無い。

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そしてそれら複数の出来事のターニングポイントを探った時、このシーズンに辿り着くのだ。

 

今季ではオールスターのフォーマット変更により、現コミッショナーのアダム・シルバーは1つの改革に成功したと言える。POのフォーマット変更案も出始めており、もしこれが成立すれば良くなるのか悪くなるのかは定かではないが、NBAの歴史に大きな変化をつけることは間違いない。

 

私達ファンはその時、批判の声を挙げるだけでなく、時代の変化を味わうことも1つの楽しみ方かもしれないと僕は思う。

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大型トレードを経て。

久々のLeBlogです。

今回はタイムリーな記事を。

 

タイトルを見ただけで何の事かお分かりでしょう。

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Cavaliersのシーズン中盤の劇的な解体トレードです。

 

過去に大型補強の末に散々な結果でシーズンを終えたチームは幾度と無く見てきました。

特にLALのハワード、ナッシュ、ガソル、コービーのスター軍団結成は見事にPOで敗れてしまいましたが、オフに獲得した選手をそのシーズン中にほとんど全員手放すという例はあまり見覚えがありません...

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クラウダー、ローズ、ウェイド、シャンパート、フライ、トーマス...

一見すると『CLEは何をやってるんだ』『迷走したか』なんて思ってしまいそうですが、今季のCLEをずっと見てきた人の意見はそうではないかなと思います。

現時点(2/14日時点)ではトレード後2試合をそう悪くない内容で勝利していますが、仮にこの2試合とも敗戦していたとしても、今回のフロントの仕事は僕は評価出来ると思います。

結論から言うと、レブ郎的には間違いなく『成功』です。

まず1番の理由は『チームの雰囲気を変化させることが出来た』ことですね。

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トレードしたんだから当然と思うかもしれませんが、仮にトーマスとローズだけをトレードしたとして、その程度では僕は成功と見なさないはずです。

僕が評価に値すると思ったのはチームを1度崩壊させるほどゴソッと入れ替えたことです。

DFがリーグ最低レベルだったのは、

受け身なDFで、後手後手だったから。

それは何故か。

チームの大半がベテランだったことと、チームの雰囲気が悪く、試合中に勢いに乗れるような場面が少なかったこと、そしてチームに苦言を呈する選手がほとんどおらず、『チームはこれから良くなる』という趣旨の発言をただ繰り返すだけの作業となっていたこと。

 

チーム状況が悪くなるのは大型補強後にはよくある話で、それを乗り越えて一段と強くなろうと言うのが一般的な考えですが、今年のCLEにそんな様子は感じられなかった。

あのままズルズルとRSは冴えないまま乗り切り、POでは個々がそれなりに奮闘して勝ち上がりながらも、CFかファイナルで敗退するような予感しかなかった。

 

そんな状況下で改善の余地を探るよりも、解体という大胆な決断をしたことを僕は評価したい。

結果的に若くアスレチックなメンバーを加え、アウトサイドも強化されている。

特にヒルはPGとしての程良い能力を持ち、DFも良い。

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さらにボールを持ち続けるようなタイプではなく、レブロンとの相性にも不安を感じさせない。

ナンスjrはチームに勢いをもたらせるガッツがあり、レブロンとのP&Rを熟成させればかなりアスレチックなコンビネーションを生み出せる。

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そのうえまだ十分な伸び代を感じさせてくれるのが嬉しい。

クラークソンに関してはまだ何とも言えない部分がある。

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とりあえず2試合を終えた時点では、自分で点を取る能力を持ちながらボール裁きも良く、「ハンドリングとアスレチックが強化されたJRスミス」的な雰囲気を感じる。彼も当然まだ伸び代はあるだろうし、成長を見れるだろう。

フッドは渋い活躍だが、決して悪くない動きをしている。少し3Pを打ちたがる傾向が見られるのだが、CLEのシューター枠は生憎コーバーがいるので他に魅力的なプレイをもう少し望みたい。

 

では最後に今後の展望を考察。

 

不安材料 その1  ラブの復帰

先に言っておくが、ラブの復帰自体は喜ばしい出来事である。ただそれによるマイナス要素も少なからずあるだろう。

しぱらくは欠場が続く見込みだが、彼が先発復帰した時、守備の綻びとして再び目立ってしまう可能性は高い(というか欠場期間中に守備が良くなることは有り得ないのでほぼ確実...)。

彼を先発センターとして起用するのなら、リムプロテクターとしての責任も必然的に重くなる。PFとして起用するのならスモールラインナップに対応しづらくなるのは確実で、その辺の柔軟性を持たせるかどうかはやはりルーHC次第となる。

 

不安材料 その2 POの経験不足

ナンスjrやクラークソンはPOの経験が全く無い為、普段通りの成績を残せるかに不安がある。ナンスjrはプレイスタイル的にその不安はまだ薄いが、クラークソンのようなスコアリングタイプの選手は慣れない大舞台で不調に陥る可能性は十分に考えられる。

さらにフッドも昨季POを経験しているとはいえ、FG%はRSと比べダウン。

1シーズンのみの出場であり、昨季は相手が相手だったので仕方ない部分もあるが、頼れるようなレベルではないのが現状だ。

だが反対にヒルはかつてレブロン率いるMIAとPOで激闘を繰り広げた敵の1人で、何度もPOの舞台を経験しているベテランだ。彼にはRSと変わらず安定した活躍を望めるだろう。

 

CLE最大の不安要素、

レブロンの動向!

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これは厳密に言うと今季の話では無いのだが、仮に優勝を逃した場合にレブロンがどう動くのか予想がつかない。

移籍する可能性も考えられ、現時点で考えていても何も変わらないのだが、優勝にどこまで手が届くかは大きな要素だろう。

優勝からかけ離れた位置でシーズンを終えてしまうようならCLEを去る可能性も決して低くはないはずだ。

若返りに成功したCLEだが、これで優勝が近付いたわけではない。

後はチームとしての完成度を高めていかなければならないが、今のメンバーでどれだけ洗練されたチームを作ってもGSWやHOU、SASらをファイナルで破る確率は限りなく低い。

果たしてその時レブロンがどう考えるのか。

 

長く続いたレブロンの連続ファイナル出場記録は途絶えてしまうのか。

今年も東の王者として君臨するのか。

 

オフの動向も含め、まだまだ楽しめそうです。

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8連覇列伝② "Red Auerbach"

前回のBill Russellに続く8連覇列伝第2弾の今回はレッド・アワーバック(以降Redと表記)。

 

RedはBoston Celticsをアメリカプロスポーツ界屈指の名門へと変貌させた中心人物である。

今回は8連覇という功績を裏で支えた

Red Auerbachという偉大なる人物を葉巻片手に見ていこう。

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1.キャリアの始まり

本名Arnold Jacob Auerbach(アーノルド・ジェイコブ・アワーバック)はニューヨークのブルックリンで生まれた。

幼い頃からバスケットというスポーツに取り組んでいた彼は高校生になる頃には有名な選手となっていた。だが、彼が目指すのはプロバスケ選手ではなく、教師かバスケの監督だった。

短大に進んだ後に2年生からジョージ・ワシントン大に編入。大学を卒業してすぐにRedはワシントン市内の高校で監督を務めながら、ハリスバーグ・セネターズ(現在のMLB傘下リーグに同名チームがあるらしいが無関係)というチームで選手としてプレイしていた。

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↑現在MLB傘下にあるセネターズ

 

その後 軍役により海軍に入ったRedが与えられた職はバスケチームを指揮することだった。

大学卒業後から監督業をしていた彼はBAA(後のNBA)のワシントン・キャピトルズのHCに就任。

後に世界最高峰の舞台となるこのリーグで、Redのキャリアがスタートした。

 

 

2.プロの世界へ

迎えた1946-1947シーズンはBAAというリーグ自体創設1年目であり、キャピトルズもチームとして1年目だった。そんな中でRedは49勝11敗という好成績を残し、当時11チームがBAAに所属している中でリーグ首位の座についた。しかしPOでは準決勝で敗退。

ここで少し脱線話なのだが、この当時のPOではディビジョン(今で言うカンファレンス)1位の2チームは準々決勝を免除される。この免除は非常に有利に思えるがそうでもない。当時の方式では順当に高いシードのチームが勝ち残った場合、何故か準決勝で勝率トップ2チームが対戦するのだ。

11チームしか存在しなかった当時ではディビジョンを分けてのトーナメント方式は採用できないだろうが、準決勝にして実質のファイナルが行われるのは現代を知る我々からすると違和感がある。

これにより、Red率いるイースタンディビジョン1位のキャピトルズは準決勝でのウエスタン・ディビジョン1位のシカゴ・スタッグズと対戦し敗北。

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リーグ2位のスタッグズですら39勝で、RSを圧倒的勝率で過ごしたキャピトルズとは10勝もの差があったが、キャピトルズはファイナルに辿り着くことすら出来なかった。

 

2年目のキャピトルズは大きく調子を落とし、ディビジョン2位タイ(といってもタイチームが3チームもあった)。

この年にはまだタイブレークに関するルールが無く、タイブレークを決める方法はシンプルに直接対決を1試合行うのである。

キャピトルズはタイブレークゲームで前季POで対戦したスタッグズと対決。

しかし、またしてもスタッグズに敗れたキャピトルズはPOに出場出来なかった。

3年目となる1948-1949シーズンではキャピトルズは38勝22敗という好成績で再びディビジョン首位の座を獲得。

POはこのシーズンから方式が改正され、全チーム1回戦から開始となった。

1回戦ではフィラデルフィア・ウォリアーズを2連勝で破り、続いてニューヨーク・ニックスも2勝1敗で撃破。

3年目にしてファイナルに辿り着いたのだった。

ファイナルの相手はミネアポリスレイカーズ

このシーズンのレイカーズはファイナルまで全勝で辿り着いている。その理由はこの年加入した最強のルーキーによるものだった。

『Mr.Basketball』と呼ばれるジョージ・マイカン、彼がいたのだ。

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4戦先勝のファイナルでレイカーズ相手にいきなり3連敗。第1戦42点(レイカーズ全体で88点)、第3戦35点とまさに無敵状態のマイカンに為す術なくキャピトルズは全敗の可能性すら浮かび始めた。しかし20点差で敗北した第3戦で不測の事態が起きた。相手選手との接触でマイカンは手首を負傷したのだ。これにより異様に腫れ上がった手首のままマイカンはガチガチに固めて強行出場。

支配力が弱まったマイカンの影響もありキャピトルズは2連勝。

だが『Mr.Basketball』はそれほど甘く無かった。

手首を痛めているはずのマイカンは王手を掛けたまま迎えたホームゲームの第6戦で爆発。

9本のシュートとFT 11/12で29得点と負傷している新人とは思えない活躍で牽引。

Red率いるキャピトルズは突如リーグに現れた超新星のマイカンを倒せなかった。

この年Redはキャピトルズとの契約交渉で話が拗れ、チームを去ることとなった。

翌年の1949-1950シーズンが始まる前にはBAAがNBLを吸収。さらにBAAからNBAに改名され、NBAとしての記念すべき初シーズンだった。

所属チームは合併したことにより17チームとなったが、Redはシーズン開幕時は姿は無かった。

そんな中1つのチームから声が掛かる。

トライシティーズ・ブラックホークスだった。開幕から1勝6敗と散々だったホークスはHCを即解雇、そして雇われたのがRedだった。

しかしRedが指揮を執って以降でも28勝29敗と少し浮上したものの、良くはなかった(詳細は不明だが、恐らくタレント不足)。

ちなみにこのシーズンがRedにとってはキャリアを通して唯一負け越したシーズンである。

するとブラックホークスはチームを救えなかったRedにたった1年で見切りをつけ、何も伝えず突然トレード。

するとRedはトレード先でのコーチを辞職した。

 

だがRedに救いを求めるチームは他にもいた。NBA1年目を22勝46敗と散々に負け越したBoston Celticsだった。

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3.時代との対立

1950年、前季にディビジョン最下位となったBOSのオーナーはRedをHC兼球団副社長(人事担当)として迎え入れた。

そして1950年ドラフト、ここに名を連ねる選手達の中にはボブ・クージーがいた。

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知っての通り彼はBOSでPGとして黄金期を支えたメンバーの1人だ。

Redも優秀な選手を見極めて獲得する能力が後々評価されることとなるのだが、この時ばかりは少し違った。

Redは、大学時代にオールアメリカンにも選ばれているクージーを指名しようとはしていなかった。

何故なのか。それは彼のプレイスタイルにある。

スコアリングやパスセンスは秀でている一方で、当時普及していなかったビハインド・ザ・バックパスやノールックパスを多用していたのである。当時のバスケ界において実用性を認める意見は少なく、Redのみならずクージーが在籍していた大学のコーチすら批判的だった。

大学時代には出場時間を少し制限されており、Redがクージーにあまり興味を示さないのも無理はない。

そして1位指名権を持っていたBOSが指名したのは、チャック・シェアという選手。しかし、ここから運命的とも言える出来事が起こる。

クージーは3位でブラックホークスに指名されていた。しかしブラックホークスはクージーをスタッグスへトレード。

そしてクージーがトレードされた後にスタッグスは解散(この当時は経営難で解散するチームが多かった)。

そして元スタッグスの3選手を巡ってBOSとニックス、ウォリアーズでクジ引きとなった。この3チームが狙っていたのは2年前に得点王になっていたマックス・ザスフロスキーだった。

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リーグで既にトップレベルの活躍をしている選手をクジ引きで手に入れられるのなら狙わないはずが無い。しかしザスフロスキーを当てたのはニックス、BOSにはクージーが加入することとなった。

トレード、チーム解散、クジ引き。

こうした3つの出来事が重なり、ドラフトではスルーした新人がBOSに加入することとなった。

さらにこのドラフトでは、Redが周囲を驚かせる出来事があった。

2巡目14位でBOSが指名したのはチャック・クーパー。

大学卒業後にエキシビションチームでプレイしていた彼は高いディフェンス力が持ち味で、特に派手なブロックを得意としている黒人選手だった。

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彼の指名が何故、周囲を驚かせたのか。

それは彼が黒人だったからである。

当時のリーグに黒人など1人もいなかった。

そんな中で突然Redが黒人を指名したことにBOSの選手達は驚きを隠せなかった。しかしBOSのオーナーだったウォルター・ブラウンは『ストライプでもチェックでも水玉でも気にしない』と人種で人を区別せず、それはRedも同じだった。

ちなみにこの1950年ドラフトには他にも黒人選手が2人指名されている。

その内の1人ナサニエル・クリフトン(指名順位の記録がどこにも無い為 何位指名かは不明)は史上初のNBAチームと契約を結んだ黒人選手となり、もう1人のアール・ロイド(9巡目108位指名)はNBA公式戦に初めて出場した黒人選手である。

こうしてRedはNBA史上初の黒人選手をドラフト指名した人物として歴史に名を刻んだ。

さらにBOSにはもう1つ幸運な出来事があった。

セントルイス・ボンバーズで前季にルーキーながら平均16.1得点を記録していたエド・マコーレーが、ボンバーズが解散したことによりBOSに加入したのだ。

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これによりドアマットチームだったBOSに期待の新人 クージー、伸び代満点の2年目 マコーレー、人事や采配に定評のあるRedの3人が加入した"新生BOS"の復活劇が始まる。

RedのBOS1年目となる1950-1951シーズン、39勝30敗でイースタンディビジョン2位。前季の22勝から17勝上乗せした事を考えると非常に将来に期待が持てるチームだった。

このシーズンからオールスターゲームが開催されるようになり、初代MVPに輝いたのは加入1年目のマコーレーだった。

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リーグ全体で見ても4位の好成績を残したBOSには優勝候補との声すら挙がった。

だが、2戦先勝のPOではイースタンディビジョン3位のニックスに2試合連続14点差をつけられ、2連敗で呆気なくシーズンアウト。

 

続く1951-1952シーズン、開幕前にワシントン・キャピタルズからビル・シャーマン(後に殿堂入り)が移籍で加入。

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チームは39勝でイースタンディビジョン2位と、前季と同じ成績でRSを終える。

オールNBA1stチームにクージーとマコーレーの2人選ばれる快挙を成し遂げたBOSだが、前季と同じ対戦相手であるニックス相手に2勝1敗でシリーズ敗退。

3年目となる1952-1953シーズンでは46勝を挙げるもイースタンディビジョン3位。

しかしPOではシラキュース・ナショナルズを2連勝で撃破。

迎えたディビジョンファイナル、またしても相手はニックスだった。3年連続3度目の対戦ということもありリベンジに燃えるBOSだが、1勝3敗で無念の敗退。

BOSには『成績は良いが優勝に近付けない中堅チーム』というイメージが定着し始めた。

そしてオフシーズンには、後に黄金期を支える選手の1人であるフランク・ラムジーをドラフト指名。

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しかし、彼は1953-1954シーズンのBOSに姿を現すことはなかった。

カンザス大学の4年生だった時にカレッジバスケ界に八百長疑惑が浮かび、カンザス大学の関与が発覚、シーズン出場停止処分が下されたのだ。これにより4年生を丸々1年台無しにされたラムジーは大学でのラストシーズンを取り戻す為にケンタッキー大学に大学院生として戻る選択をしたことで、BOSに加入するのは翌シーズンに持ち越しとなった。

 

4.届かぬ王座

ドラフト指名したラムジーも加入しなくなったBOSは特に大きな補強も無いまま迎えた1953-1954シーズン、前季と同じくディビジョン3位だったが、POでは前年も対戦したナショナルズとの対戦で敗退。

 

そして1954-1955シーズン、NBAの歴史における最重要ルール変更が行われる。

『24秒ショットクロック』の導入である。

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当時のNBAは異常とも言えるローペースな試合展開がリーグ全体に浸透してきており、NBA自体の人気が低迷。チーム数も減る一方であった。

実際に1953-1954シーズンではリーグ平均79.5点となり、ショットクロックも無くボールキープの時間帯が長いだけの試合を観客が望むはずがないのだ。そんな経緯があり、ショットクロックが導入されたのだった。

そして導入初年度となる1954-1955シーズンではリーグ平均得点が93.1まで上昇。初の90点超えとなった。

そんな目まぐるしい変化の中で、BOSはリーグ1位の101.5を記録。前季ですら87.7とリーグ1位の得点力を誇るBOSは、時代に反して速攻を得意とするチームだったため、ショットクロック導入がさらに得点力を増加させた。

速攻を得意とするBOSに合流したラムジーもルーキーながらシーズン平均27分出場時間で11.4点を記録し、主力としてチームの新たな武器となった。

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42勝30敗を記録しディビジョン3位でPOに進出したBOSは、幾度となく立ちはだかってきたニックスを4度目にしてついに撃破。

しかし、現実はそう甘くない。ニックスに続いて、近年BOSのライバルとなりつつあるナショナルズと対戦。

ナショナルズには後に殿堂入りを果たすPF/Cのドルフ・シェイズがいた。当時ジョージ・マイカンをきっかけにセンター優勢時代ながらBOSにはそれほど強力なインサイドプレーヤーは存在していなかった。シェイズに圧倒されたBOSは1勝3敗で敗退。シェイズ率いるナショナルズは最終的にこのシーズンの王者となった。

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1955-1956シーズン、ショットクロック導入2年目のリーグは平均得点が99.0得点まで上昇。しかしそれまでのリーグ全体の人気低迷が影響し、リーグ在籍チームはついに8チームまで減少。

逆に言えば、単純に考えると優勝出来る確率が高くなるのだがBOSには1つマイナス要素があった。前季にルーキーながら堂々たる活躍を見せたラムジーが兵役により1年以上の離脱することとなったのだ。

さらにBOSが在籍するイースタン・ディビジョンには前期王者のナショナルズがいた。

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しかし当のナショナルズはBOSのラムジー離脱以上にマイナス要素があった。

ショットクロック導入以降全チームが平均得点を上げていく中で、ナショナルズはリーグの中でもオフェンス力の乏しいチームだった。さらに皮肉なことにショットクロックを最初に提案したのがナショナルズのオーナーだったのである。

これにより35勝37敗と前季王者がまさかの勝率5割以下となったナショナルズはディビジョン同率3位だった。3位と聞くとよく思えるが当時8チームしかいないNBAイースタンディビジョン同率3位というのは実質ディビジョン最下位である。ナショナルズタイブレーク戦を制したことで何とかPOに進出したが、連覇など狙える状態では無かった。

これに対しBOSはラムジーを欠きながらもリーグ最多の平均106.0得点でディビジョン2位。

難なくPOに進出したBOSの相手は失速状態のナショナルズだった。弱った前季王者にリベンジする最高の舞台が整ったのである。

迎えた第1戦、オールNBA1stチームに選出されたクージーが29得点を記録し、17点差で快勝。

だが第2戦ではホームに帰ったナショナルズが王者の意地を見せるべく奮闘。

3点差という接戦を制したナショナルズは続く第3戦、BOSホームながら5点差で接戦を制した。

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またしてもBOSはナショナルズに敗北。負けた2試合ではナショナルズに100点以上取られており、得点力が乏しいはずのナショナルズがハイスコアゲームを展開できるのは明らかにBOSの脆弱な守備が原因で、RSのBOSは平均失点で105.3点とリーグ最下位だった。

 

5.NBA史に残る取引

優勝こそ届かないBOSだが、オールNBA1stチームに選出され4年連続アシスト王のクージーに加え、4年連続FT成功率1位とシュート力抜群のシャーマン、初代オールスターMVPとFG%リーグトップやオールNBA1stチーム選出の経験を持つリーグを代表するセンターのマコーレーを擁しており、決して弱くはないチームだった。それでも優勝に届かないBOSに対しAuerbachは最後のピースを必要としていた。そんな中である大学のコーチがある選手を紹介した。

208cmでありながら信じられない身体能力を持ち、規格外の守備力を持つビル・ラッセルだった。

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当時のオフェンス偏重なNBAにおいて、守備力をウリにする選手の獲得を決断したAuerbachの考え方はある意味異端なものであった。

カレッジ界に名を轟かせていたラッセルを獲得しようと考えたAuerbachだが、ドラフトの指名順位は前季下位チームからであり、ディビジョン2位のBOSが狙える選手ではなかった。

さらにBOSは持っている1巡目指名権を放棄して地域指名でスター選手のトム・ヘインソーンを獲得する予定だった為、1巡目指名権は事実上無かったのだ。

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しかしAuerbachの頭脳は後にNBAの歴史における最も巧妙な取引と呼ばれるラッセル獲得計画を企てる。

圧倒的守備力を誇るラッセルが1位指名される可能性は意外に低かった。

と言うのも、当時のNBAにおいてセンターというポジションは得点源であり、ディフェンス技術というのは選手を評価する上であまり注目されない技術だった。そして1位指名権を持つロイヤルズは前季リーグで平均得点が下から2番目であり、得点力を欲していた。

その上 ロイヤルズには既にモーリス・ストークスというリーグ屈指のビッグマンがいたのだ。

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これらからロイヤルズがラッセルを指名することは無いと読んだAuerbachはさらに考えた。

ここでAuerbachの餌食となるのが、後にライバルとなるセントルイス・ホークスだった。2位指名権を持つホークスだが、ホークスはラッセルを指名する予定だったが、もう1人獲得したい選手がいた。BOSのマコーレーである。

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マコーレーがセントルイス生まれのセントルイス大学出身であり、地元育ちのスター選手を求めていたのだ。さらにマコーレーも病弱だった息子の事を考え地元に戻りたいと考えていた。

意見が合致したBOSとホークスは、

ホークスが2位でラッセルを指名した後に、ラッセルとマコーレーをトレードするという取引を画策した。

だがホークスはラッセルをとにかく欲しがるBOSに対し、要求を追加した。

BOSで指名されてから2年間の兵役中でNBAデビューを来季果たすクリフ・ヘイガンを要求したのだ。BOSはラッセル獲得を優先させ、仕方なく要求を承認。

これにより、

ラッセル⇔マコーレー&ヘイガン

の仮トレードが成立した。

 

そしてドラフト当日、ロイヤルズはAuerbachの予想通りラッセルをスルーして他選手を指名。ホークスは約束通りラッセルを指名した。

この時さらにBOSは予定通り1巡目指名権を放棄して地域指名でヘインソーンを獲得。そして保持していた2巡目指名でラッセルと同じ出身校であるKC・ジョーンズを獲得。

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トレードでのラッセルも含め、Auerbachの見事な駆け引きにより、こよドラフトでBOSは3人の将来の殿堂入り選手を獲得したのである。

このトレードにより念願の地元出身スター選手であるマコーレーを手にしたホークスだったが、笑っていられるのも束の間だった。

 

6.王朝の始まり

メルボルンオリンピックにアメリカ代表のキャプテンとして参加することとなったラッセルと、主力選手として参加したジョーンズはシーズン序盤を離脱していたものの、平均53.3点差という圧倒的実力差を見せつけて金メダルを獲得してBOSへ戻ってきた。

(ジョーンズは兵役の為、BOSには戻れなかった)

そして迎えたラッセルのデビュー戦。

運命的と言うべきなのか、対戦相手はラッセル獲得計画の取引相手だったホークス。

するとAuerbach HCはラッセルに相手の得点源であるボブ・ペティットをマークするよう指示した。

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するとラッセルはルーキーでありながら、当時リーグトップクラスのペティットを相手に1on1での守備力とブロックショットのレベルを見せつけた。結果的に2点差でこの試合に勝利。

NBAというリーグでも持ち前の守備力を発揮できることを証明したラッセルはBOSの革命児だった。

前季平均失点で最下位だったBOSにとってラッセルの脅威的な守備力は最高の革命となったのである。

そしてラッセルを利用した新たなシステムをAuerbachが構築したのである。

ラッセルは1on1の守備のみならず、俊敏性を活かしたヘルプディフェンスもウリとしており、Auerbachはタイトなディフェンスを指示し、ラッセルにはヘルプディフェンスにいくよう指示した。

タイトなディフェンスは突破されてしまうリスクも増えてしまうが、突破されてしまってもラッセルがカバーするという作戦だった。さらにミスマッチが生じた時にはすぐさまラッセルがダブルチームに行くことで封じ込めた。これによりタフショットを打たせ、既にリーグトップレベルのリバウンド力を持つラッセルがリバウンドを取る。そしてBOSが元々得意としていた速攻を展開する。

アグレッシブなディフェンスによるターンオーバー・タフショット・ブロックショットから速攻を展開する最強の攻守一体のシステムは『Hey Bill !!』と呼ばれた。

これは試合中にBOSの選手達がラッセルのヘルプを要求する選手らが『Hey Bill !!』と呼んでいたことから名付けられたものである。

これによりBOSは攻撃力に加え守備力を手に入れたのだった。

 

Auerbachが構築した見事なシステムに加え、BOSが躍進した理由はもう1つあった。

1月初旬に兵役からラムジーが帰ってきたのだ。

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SGとして先発出場できる実力を持つラムジーをAuerbachは敢えてベンチ出場させた。当時のバスケにおいて先発級の選手を先発起用しないという概念は存在しなかった。

「シックスマン」という采配を最初に導入したのはこの時のAuerbachが初めてである。

当時のNBAは可能な限り有能な選手を先発で起用し、ベンチメンバーはほとんど休憩回しに近い状態だった。

そんな中 相手が"休憩回しのメンバー"を出場させているタイミングで先発級のラムジーを投入することで、ラムジーの得点力を十分に発揮させた。

 

ラムジー、ヘインソーン、ラッセルを加えたBOSは44勝28敗でイースタンディビジョン1位を記録。

チーム平均得点で105.5とリーグ首位ながらディフェンスレーティングでも84.0でリーグ首位となり、記録上オフェンスとディフェンスの両方でリーグトップとなった。

(オフェンシブレーティングと平均失点においてはリーグ5位だったが、これは1試合平均のポゼッションが118.0と圧倒的に多かったからである)

リーグにおいてディフェンス力の大切さを見せつけたラッセルはルーキーにして平均14.7点 19.6リバウンドを記録していたが、オリンピックによる欠場が序盤にあった為 新人王には選ばれなかった。代わりにBOSのもう1人の新人であるヘインソーンは平均16.2点 9.8リバウンドを記録し新人王を受賞した。

ちなみにヘインソーンは地域指名で獲得されているが、Redはドラフト当時それほどヘインソーンに期待しておらず、RedがNBAにおいて犯した数少ない誤算(と言っても良い意味で)の1人である。

 POに難なく辿り着いたBOSだが、彼らの真価が問われるのはここからだ。

RSで好成績を残しながらPOでは大敗を喫する姿を幾度となくボストン市民は見てきたのだ。

幸いにも第1シードのBOSは最初のラウンドを不戦通過(当時の第1シードのチームは1stラウンドは無くディビジョンファイナルから始まる)し、ディビジョンファイナルでの相手は5年連続の対戦となるナショナルズだった。これまでの4年間で直近3回敗退しており、ラッセルとヘインソーンを加え、大幅な補強をしたうえでのリベンジマッチだった。

ラッセルはRSではルーキーながら大黒柱としてチームを支えていたが、POという大舞台でも同じ活躍が見込めるのか。

そんな疑問が浮かぶ中ラッセルは出場した。

ポジションマッチは、リーグを代表するセンターの1人であるシェイズだ。

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だがRSで平均19.6リバウンドだったラッセルは驚くべきスタッツを残した。

第1戦でシェイズを14リバウンドに抑えながら、自身は31リバウンドに加え7ブロックを記録したのだ。

ラッセルに支えられたBOSは90-108と18点差で勝利。

続く第2戦ではシェイズに31得点を許すも、リバウンドでは30リバウンドと圧倒。さらに決して得意分野ではない得点もRSの平均を超える20点を獲得。

105-120でまたしてもBOSを勝利に導いた。

迎えたBOSホームでの第3戦、2連勝の勢いそのままに80-83で勝利。あれだけ苦戦していたナショナルズに3連勝で勝利したのだ。

これまで好き放題にシェイズにやられ、脆弱な守備を利用され続けたBOSが守備力を手に入れようやく勝利したのだった。

ようやく辿り着いたファイナルの舞台。

これも運命のイタズラか、相手はラッセルをBOSに渡した張本人のホークスだった。

地元スター選手を欲した事で渡してしまった怪物ルーキーが、BOSを引き連れてホークスの前に立ちはだかった。

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さて、話としてはここから凄く盛り上がり、後に語り継がれる8連覇へ繋がるのだが、僕は以前この8連覇に関してBill Russellの記事でほとんど書き尽くしており、もう1度書き直せるほど小規模な話ではない。

ということで詳しい流れはこの記事を見て頂きたい(とても面白いと評判なようです)。笑

【Bill Russell編】↓

http://lebrog.hatenablog.jp/entry/2017/12/02/120345

 

ということで、ここから8連覇までの話に関してはサクッといきたい。

 

先述通り、クージーやラッセルら優秀選手を取り揃えたが、これだけでは勝てない。

ここから8連覇という偉業を成し遂げるわけだが、それほどの黄金時代を築き上げた理由を少し掘り下げたい。

 

7.王者であり続ける為に

まず1つが、これまでに無かった黒人選手の積極的起用だ。

RedはNBA史上初めて先発選手を黒人5人で起用した監督であり、人種に関係無く優秀であれば起用するという、時代背景を考えればかなり異色の監督である。

さらに、バスケそのものがオフェンス偏重な時代の中で、守備に秀でていたラッセルを獲得する為に巧妙な取引を考え出したことも大きなRedの功績だろう。

当時の考え方としては、守備が優秀であっても、それなりの攻撃力を備えていなければ、そのセンターを獲得したいと思う人間は少なかったからである。

そして、この8連覇時代をきっかけに「シックスマン」の概念を世に広めたのもRedである。彼がシックスマンという立場を「切り札のような存在」へと変えたのである。

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↑6thマン起用ら今では当たり前の概念だが、Redがそのような起用を行うまでは誰も実践していなかった

 

これは後のBOSの戦術にも脈々と受け継がれていくもので、NBAに浸透させたのも実質Redである。

 

また、ただ強力な選手を揃えるだけでなく、名司令塔クージー、守備に秀でたKC・ジョーンズ&サム・ジョーンズの『ジョーンズ・ボーイズ』、守護神ラッセル、ラッセルに隠れる影のスコアラーのヘインソーン、シックスマンとして"秘密兵器"になるラムジーと、非常にバランス良くチームを構成している。

そして鉄壁から繰り出される速攻を武器とし、ハイスコアなゲーム展開を得意とするが、実はRedはオフェンスプレイのパターンはおおよそ7つしか持っていなかった。堅固な守備からスムーズに速攻を展開することにより、複雑なオフェンスシステムは不要だったと言える。

その理由の1つに挙げられるのがラッセルだ。ラッセルのブロックは『芸術』と評されるほど華麗なもので、時には味方選手を狙ってボールを叩くことが出来たという。

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ラッセルのブロックは同時にアウトレットパスの役割を果たすことがあったのである。

そしてそのラッセルの脅威的な守備力をフル活用するべく考案した『Hey Bill !!』もRedの功績の1つだ。

そしてBOSが王者であり続けた最大の要素がある。恐らくこの要素こそがこの時代のBOS以降誰も4連覇を成し遂げられていない理由だ。

Redの人事担当としての才能がとにかく優秀で世代交代がスムーズに行われているという点である。

ビル・シャーマンの引退にサム・ジョーンズが台頭。

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4連覇達成後に7位指名でハブリチェックを獲得。

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5連覇達成後にボブ・クージーが引退し、K.C.ジョーンズが代役に抜擢され活躍。

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7連覇達成後にトム・ヘインソーンが引退するもチームは衰えず。

中心選手の1人が引退すると先発昇格した若手が奮闘し、メンバーが入れ替わりながらもチームとしてのプレイスタイルを変えることなく王者であり続けた。

これこそが黄金時代を築く上で最も難しい部分である。

そしてこの時代のBOSには、唯一世代交代することなく大黒柱であり続けたラッセルと、スムーズな世代交代を実現させたRedがいたからこその黄金時代だと言えるだろう。

 

そんなRedだが8連覇達成直前、衝撃のコメントを発表している。

ラッセルの記事でも書いた通り、シーズン終了と同時に監督業から身を引くことを、8連覇をかけたファイナル第1戦敗戦直後に突如発表したのだ。

これはGM兼HCだったRedが、GMとしての仕事に専念する為の決断であった。

 そしてRedが後任に選んだのはラッセルだった。これがまた周囲を驚かせた。

何故なら黒人のHCというのはアメリカプロスポーツ史において前例が無かったからだ。さらに黄金期にあるチームの大黒柱であるラッセルが選手兼監督になるということでもあった。

だが、Redは最初からラッセルを後任に選んでいたわけではなかった。

まず最初に後任候補に挙げたのはラムジーだった。だがラムジーは自身が経営する福祉施設3つの運営に追われていた為にこれを辞退。ちなみに何故NBA選手の傍らでそんな運営をしているかと言うと、当時のNBAでは一流選手でも裕福な生活は難しいのが現状だった。それほどまでに年俸が低いのだ。

そんなわけでラムジーに断られたRedは次に名司令塔だったクージーに依頼した。だがクージーは『元チームメイトを指揮したくない』との理由で辞退。

その後ラッセルと同期のヘインソーンに依頼するも『ラッセルを扱うことは誰にも出来ない』と辞退。

だが、ヘインソーンはもう1つRedに意見を述べた。

ラッセルを指揮できる人間がいないのだから、ラッセル自身をHCにしてみてはどうかと推薦したのだ。

このような経緯があり、ラッセルはRedに指名された。

そして発表後から第2,3,4戦と3連勝したBOSは第7戦まで縺れながらもシリーズ制覇。

8連覇を成し遂げたのだ。

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8.新たな立場

 8連覇を成し遂げた直後の1966-1967シーズン、RedはGMとしてBOSに在籍。そして代わりにHCを担うのはチームの大黒柱でもあるラッセルだ。

時代が時代なだけに、『黒人に監督が出来るのか?』という声が多かった。

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だがそんな声を他所にBOSは60勝21敗と"例年通り"の好成績を残した。

その要因の1つが新加入したベイリー・ハウエルだった。ハウエルは1959年に2位指名されオールスター経験もある選手だったが、個人の活躍がチームの成績には繋がらず、トレードされた後もスター軍団の中で燻り続けていた。そんなハウエルをRedがトレードで獲得した。

ハウエルはベテラン揃いのBOSに加入した直後からエースのハブリチェックに次ぐスコアラーとなり、さらにラッセルに次ぐリバウンダーともなった。

さらなる補強に成功したBOSだったが、アレックス・ハナムという名将を手に入れたチェンバレン率いるシクサーズにディビジョン決勝で敗北。

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BOSは11年ぶりにファイナル進出を逃す結果となった。

ついに黄金時代が終焉を迎えたかに思われたが、Redとラッセル達が築き上げた時代はそう簡単には崩れなかった。

翌シーズン、前季と同じく60勝を上げ、POでシクサーズにリベンジを果たす。

 だが絶対王者としての威厳を示したのも束の間、迎えた翌シーズンでは34歳となるラッセルは私生活も含め心身共に疲弊しきった状態となった。

ラッセルが大きくスタッツを落としたこともありBOSは48勝34敗と、ラッセル加入以降で最低勝率のシーズンとなった。

こうしてRedがラッセルと組んで以来初の第4シードで参戦したPOだったが、POとなるとラッセルは例年通りの存在感を発揮。難なくファイナルへ到達したのである。

そしてファイナルではジェリー・ウエスト、エルジン・ベイラーに加えてチェンバレンの3人が揃ったLALだった。

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第7戦まで縺れる死闘の末BOSが勝利。

ラッセルHCの指揮の下で見事連覇を達成した。

 

9.誤算

ラッセルに監督業を託してからの3年間で連覇を達成したRedは、オフのドラフトでも巧妙な技を見せる。

この年のドラフトでBOSは9位指名でジョジョ・ホワイトを獲得。ホワイトは後に殿堂入りを果たす選手で、ドラフト前の評判も非常に高いものだった。

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だが、大学卒業後2年の軍役に就くことを考慮し、1〜8位指名権を持つチームのGM達は指名しなかったのだ。

だがRedは違った。ホワイトが軍役に就かないことを知っていた。何故ならホワイトは予備役という「一般社会にいながら、軍事的出来事があればいつでも軍隊に戻る」という状態にあったのだ。

予備役に入っている為に軍役は無く、獲得さえすればNBAに参加出来ると知ってのRedの指名は、他のGMとは一線を画す絶妙な"技"だった。

だが、ホワイトを指名したのは結果的に誤算となった。

トレーニングキャンプ直前、ラッセルは突然引退を発表したのである。

これにより突然センターとHCの席が空いてしまい、黄金時代は終わりを告げ、BOSは唐突に再建モード突入となってしまったのだ。

Redからするとドラフトで有能なセンターを獲得しておきたかったが、ラッセルが誰にも引退の可能性を示唆することなくキャンプ直前に突如発表した為に起きた大誤算だった。

ラッセルHCの後任にヘインソーンを抜擢したが、大黒柱のラッセルを失ったBOSは34勝48敗と低迷。19シーズンぶりにPOを逃す結果となった。

これを受けて新たなセンターを求めたRedは4位指名権を持って1970年ドラフトへ参戦する。

 

10.復活の兆し

1970年ドラフトは、NBA史上屈指の当たり年と言われている。この年のドラフト生の内 5人が殿堂入りされており、他にも有名選手揃いだった。

そんな中Redが4位で指名したのはデイブ・コーウェンスだった。

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センターながら身長206cmで、身長218cmのルー・アルシンダー(後にカリーム・アブドゥル・ジャバーに改名する人物)がリーグの新たな顔となりつつある中でコーウェンスの身長の低さは『NBAでも大学と同じ活躍が出来るのか?』という疑問の声が多かった。

だがRedの目に狂いは無い。

ピート・マラビッチやネイト・アーチボルド、ボブ・レイニアが同期にいながらコーウェンスは新人王を獲得。

ホワイトもオールスターに選出され、POこそ進出出来なかったものの44勝38敗と復調。翌シーズンさらに成績を伸ばし56勝でアトランティック・ディビジョン1位でイースタン・カンファレンスでも首位となった。POではカンファレンスファイナルでニックスに敗れたものの、力を増してきているのは明らかだった。

そして迎えた1972-1973シーズン、ポール・サイラスという新たな戦力を加えたBOSはついに球団記録となる68勝14敗でリーグトップの成績を残し、コーウェンスはMVPを受賞。

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カンファレンスファイナルでは第7戦まで縺れた末またしてもニックスの前に倒れる。

翌シーズンでは56勝とRSの成績こそ落としたものの、ニックスを破りファイナル進出。このシーズンのMVPであるカリーム・アブドゥル・ジャバーに加え"Mr.トリプルダブル"のオスカー・ロバートソンを擁するバックスとの対戦で7戦に及ぶ激闘の末 優勝。

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ラッセル引退による黄金時代崩壊から、わずか5年で王座に戻ってきたのだった。

翌シーズンではカンファレンスファイナルでワシントン・ブレッツに敗北するも、続く1975-1976シーズンでは54勝をあげてカンファレンス首位の座につく。

そしてファイナルまで辿り着いたBOSはサンズと対戦。4勝1敗でファイナルを制するが、中でもこの第5戦はトリプルオーバータイムまで縺れる大接戦で、NBAファイナルの歴史の中でも有数の名勝負である。中でもホワイトは60分間に及ぶ出場で33点を獲得し、ファイナルMVPに選ばれた。

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だが翌シーズンには衰え始めていたサイラスのトレードに加え、チームを支え続けたハブリチェックも加齢による衰えが顕著になり始めた。

44勝、32勝と年々成績を落とすBOSはハブリチェックの引退もあり、もはやホワイトが1人奮闘するだけのチームとなっていた。この頃はスター選手の麻薬問題による追放劇などから優秀選手の不足もあり、リーグそのものの人気も大きく低迷していたのである。

だが、そんなNBAに救世主が現れた。

 

11.舞い降りた救世主

 高校最終学年では1試合平均30点 20リバウンドと頭角を現し、複数の大学から勧誘を受けていたその"救世主"は、インディアナ大学に進学。だが大学に馴染めなかった彼は1ヶ月も経たないうちに退学し、地元で清掃員として働きながら短大に通っていた。

そしてもう1度大学に行く決心をした彼はインディアナ州立大学に進学。

身長206cm 体重100kgながら、身体能力は乏しい白人選手。

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全米から注目されるこの逸材の名は

Larry Bird。

 

32勝でシーズンを終えるという屈辱の結果を受け、Redはカレッジ界を騒がせていたバードを獲得したかった。

だが、このシーズンを終えたオフの1978年時点でバードはまだ3年生だった。

この当時は大学に4年間通った者のみがドラフトにエントリーする資格を貰えるという制度であり、あと1年待たなければなかった。

そして迎えた1978年ドラフト、Redは6位指名権を持って臨んだ。

このドラフトではトレイルブレイザーズが初の非アメリカ人を1位指名という出来事があった。だが、それに匹敵するほど歴史に名を刻む出来事が起きた。

Redが6位でバードを指名したのだ。

本来なら来年のドラフトでもっと高順位で指名されるはずのバードが大学3年生ながら指名されたのである。

当時アーリーエントリーなどはもちろん存在しておらず、バード自身も指名されるなど思ってもいなかった。

だが、周りのGMを出し抜く為にRedは制度の盲点を見つけ出した。

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Redはバードの学歴をしっかりと把握していた。インディアナ大学退学後、ノースウッド大学という短大に1年間在籍した後に、インディアナ州立大学を3年間通っていたのである。

インディアナ州立大の3年生だが、大学にはトータル4年間通っている』という理屈を突きつけたのである。

十分に理屈が通っていた為、リーグも承認しBOSはバードを見事獲得。

バードには中退して「アーリーエントリー」という形でNBA入りすることも可能だったがそんな意思は無かった為、実際にBOSでプレイするのは1年後となるのだが、この1年こそバードがNBAの救世主となれた最大の理由である。

このバードにとって4年生のシーズン、33戦全勝という圧倒的強さで決勝へ進出。そしてこの決勝でアービン・"マジック"・ジョンソンと初めて対戦することとなった。

派手なパスを得意とする黒人マジックに対し、身体能力は無いが万能で知的な白人バードという対象的な2人のマッチアップが盛り上がらないはずが無かった。

これはNCAAの歴代最高視聴率を記録し、NBAの人気がドン底まで落ちていた中で、全米がこの試合に注目した。

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勝者はマジック側。こうして幕を閉じた2人のライバル関係はNBAに持ち越されることとなった。

既にBOSへの加入が確定していたバードに対し、マジックはドラフトにエントリーしたばかりだ。

この年のドラフト1位指名を受けたのはマジックだった。しかも指名したのは、これまでの歴史でBOSとライバル関係にあったLALだった。

これにより1979-1980シーズンからLALとBOSは東西を代表する名門として復活していく。2人の救世主によって。

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※さて、ここからバードを中心にBOSは第二次黄金期へと突入するわけだが、いずれバード特集も書く日が来ると思うので、Redが直接関わった部分を中心に簡潔に書いていこう。

 

12.狡猾な収穫

バードが加入した1979-1980シーズン、前季29勝に終わっていたBOSを61勝とリーグトップの成績へ押し上げた。バードは新人王を獲得し、さらにはNBA1stチームに選ばれたのである(ちなみにバードは以降9年間も1stチームに選ばれ続ける)。

POではモーゼス・マローン率いるヒューストン・ロケッツをスウィープ。

続くカンファレンスファイナルではジュリアス・アービング率いるシクサーズに1勝4敗北で敗れたものの、1年でこれだけの強豪へ変貌させたバードは流石としか言いようが無かった。

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 そして翌シーズン、普通なら少しの補強で優勝に向けてチームを調整していくだろう。だがアワーバックGMはそんな補強で満足するような人間では無かった。それどころか先見の明があるRedはバード入団に向けて準備を行っていた。

バードが入団する前の1979年、元オールスターのボブ・マッカドゥーはチームに馴染んでいなかったこともあり、ピストンズへトレード。これにより1980年の1巡目指名権をBOSは受け取っている。そして1979-1980シーズンのピストンズはカンファレンス最下位。

イーストとウエストの最下位同士がコイントスで1位指名権を争うのだが、1巡目指名権を受け取っていたBOSとジャズでコイントス

結果BOSに1位指名権が渡ることとなった。

Redがドラフトで狙っていたのはケビン・マクヘイルだった。

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だがもう獲得する準備は整った。

マッカドゥーを犠牲にして手に入れた1位指名権でマクヘイルを指名するだけでいいのだ。

だが、Redはこの1位指名権をトレードに使った。元々持っていた13位指名権と合わせてウォリアーズへトレード。

再建真っ只中のウォリアーズにとって1位指名権と13位指名権は最高のプレゼントだった。そしてBOSがウォリアーズに求めたのは、大学時代にMVPを獲得しながらもNBAで燻り続けるセンターのロバート・パリッシュとこの年のドラフトの3位指名権だった。Redはパリッシュの潜在能力の高さと、マクヘイルが3位まで指名されないと読んだのだ。

一方ウォリアーズからすると、大成しない若手と3位指名権で、1位指名権と13位指名権が手に入る。

ウォリアーズにとってパリッシュを手放すことに躊躇は無かった。この年のドラフトには216cmの長身センターであるジョー・バリー・キャロルがいたのだ。

このトレードは成立し、その後のドラフトで1位指名権を持つウォリアーズはキャロルを指名、2位指名権を持つジャズはダレル・グリフィスを指名、BOSは目論見通りパリッシュを獲得しながらもドラフト3位でマクヘイルも獲得した。

このトレードは後に『最も不公平なトレード』と呼ばれるようになるが、トレードとは双方合意の上で成り立つものであり、ウォリアーズの足元を見たRedの狡猾な優勝への近道だった。

後にNBA史上最高のフロントコートと呼ばれることとなるBIG3を形成したBOSは、前季から1勝上乗せした62勝で2年連続リーグトップとなる。

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POではブルズと、前季のリベンジマッチとなるシクサーズを破りファイナル進出。

相手は昨季にスウィープしたロケッツだった。シーズン開始前に新たなチームの加盟によってリーグの東西カンファレンス再編成があった為に、ロケッツはウエスタンカンファレンスに移っていた。

前季にスウィープされていることからも分かるように、ロケッツは強豪ではなかった。カンファレンス6位 勝率5割以下であり、PO進出チームの中では最低の成績だった。

シーズントップの勝率を誇るチームとPO進出チーム中最低勝率チームであり、さらにBOSとの直接対決で直近12連敗と、誰がどう見てもBOS優勢だった。

だが予想外にロケッツは奮闘した。

さらに言うと、この時のBOSはバードがPOに入ってやや不調、マクヘイルはまだ1年目で経験不足、パリッシュもこのシーズンの時点ではまだ完全に開花したわけではなかったのだ。

だが、Redがこれまでに行ってきた的確な補強はそんな程度で崩れるものでは無かった。

BOSは4-2で優勝を果たした。

ファイナルMVPに選ばれたのはパリッシュ・バード・マクヘイルの誰でも無かった。

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セドリック・マックスウェル。

1977年12位指名でBOSに加入したPFだった。

パリッシュらBIG3と比べるとスター性は無いが、アシスト・リバウンド・スコアリングと卒なくこなせる万能フォワードだった彼は勝負所となる第5戦 第6戦でチームを牽引。

Redが、バード獲得後に仕込んでいた未来を見据えての補強だった。

そしてバードの補助のはずがファイナルという大舞台で見事にチームを支えたのだ。

 ベンチまで徹底した地盤が仕上がっているBOSは、バード・マクヘイル・パリッシュら伸び代のある選手も多くいた為、バード自身 優勝したこの時に、このまましばらく連覇出来ると自信を持っていた。

 そう感じれるだけの手応えがあったのだ。まして自チームのGMは8連覇の伝説を持つRedなのだから。

 

14.史上最高のフロントライン

そして迎えた翌シーズン、またしても1勝上乗せし63勝で3年連続のリーグトップ。

(地味にこれは凄い。トップチームが3年間トップであり続けているだけでも凄いのに勝利数も僅かながら上乗せ出来ている)

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POではカンファレンスファイナルで3年連続となるシクサーズとの対戦だった。

バードはシリーズ平均18.3得点 14.1リバウンド 7.3アシスト 1.9スティールとオールラウンドな活躍を見せるが、第7戦まで縺れた末に敗戦。

翌年にはバックコート陣の補強をすべく、現在GMを務めているダニー・エインジを2巡目31位で獲得(ちなみにエインジはカレッジバスケのスターでありながら、オフシーズンの夏にはMLBで野球選手としても活動していた。その為、BOSはエインジと契約をする際にMLBとの契約も買い取ることとなった)。

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そんなBOSは56勝をあげるもPOでバックスにスウィープされてしまう。

(バードの記事でまたしっかり書きたいので、この先結構簡略化してます。すいません。)

このスウィープを受けバードは猛特訓。

フェイダウェイシュートを身に付け、さらに精神面でも大きな成長を見せた。

さらにRedはHCを務めていたビル・フィッチを解雇。代わりに8連覇時代のPGだったKC・ジョーンズを迎え入れた。

優勝に向けて全力を尽くすRedは更に元ファイナルMVPで守備に定評のあるデニス・ジョンソンを獲得。

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万全の体制で望んだ1983-1984シーズンでは62勝をあげ、リーグトップに返り咲いた。バードはこの年にMVPを受賞(ちなみにここから3年連続で受賞する)。

カンファレンスファイナルでバックス相手に前季のリベンジを果たし、ファイナル進出。

 

ファイナルの相手は、当時全米が待ち望んだLALだった。

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16.伝統の一戦と続けたいところだが、このファイナルは簡略な説明と結果だけを書くのはあまりにも勿体無い。

マジックvsバードの第1幕なのだから。

Redの記事として最後に優勝回数などをまとめる必要があるので、結果を言うとこのファイナルはBOSが制覇。

以降バードとマジックの対決が繰り広げられるが、この年にRedは長年就いた人事担当の座を退いている。

 

Red Auerbachの功績

ざっとRedのキャリアを追ってきたが如何だっただろうか。

余談だが、『Auerbachの功績』としてもう1つ紹介しよう。

古くから引き継がれてきたこのロゴ。実は初期は大きく四葉が描かれたロゴだったのだが、RedがBOSにやってきた1950年からこのロゴとなっている。

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説明すると長くなるので、おじさん自体の細かな説明はBOSのチーム特集記事でも書いた時(歴史が深すぎて多分書かない)に説明するが、このデザインはRedの弟で漫画家のザン・アワーバックがデザインしたと言われている。

(そう考えると、このおじさんがくわえている葉巻はもしかして...)

 

 

Redの一番の特徴は、型にはまらない柔軟な発想と、それらを実行する強い信念だろう。

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ドラフトで史上初の黒人指名、史上初の先発5人黒人起用、史上初の黒人HC誕生など、当時の時代背景を考えると異端だったことが窺える。

さらに、優秀な選手をあえてシックスマン起用するという型破りな戦法を見せ、ラッセルやバードなど獲得したい選手の為に、制度の穴を見つけたり、他チームの動向を先読みするなど、非常に巧妙で頭脳的な手段を使っていた。

8連覇という伝説だけを聞けば余程凄い選手がいたのかと思えるが、ラッセルがいたから出来たのではなく、ラッセルを上手く支える人物がいたからこそ成し得たと言っても過言ではない。

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偉大なラッセルが大黒柱であり続け、そのラッセルを最大限に活かす戦法を取り、それぞれのポジションに的確な選手を配置し、衰える頃には次の世代が用意されていく。

このRedの構成力こそが8連覇の源とも言える。

近年で強豪であり続けるチームと言えばSASが最も素晴らしいだろう。

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自分達のシステムにフィットするであろう選手を的確に集め、他チームがそれほど興味を示していなかったような掘り出し物を回収していく。

MIAも3KINGSを結集させただけではなく、戦術を探りながらライリーGMが安価で適切な補強を施したからこそ、4年間ファイナルに出続けることが出来たのだ。

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現在リーグ内で猛威を振るうGSWも、生え抜きの選手達を育てながら、カリーやトンプソンらの"個"の力のみではなく、リーグ随一のオフェンス戦術に上手く巻き込むことで、圧倒的攻撃力を生み出している。

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Redは8連覇という偉業のみならず、強豪チームを組み立てるだけの手腕がリーグ史上最高レベルだったことは言うまでもない。

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リーグ史上最強と称されることもある現在のGSWのように、今後も歴代最強クラスのチームは誕生するだろうが、Redが築き上げたBOSほど王座に君臨し続けるチームは今後2度と現れないのではないかと僕は思う。

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【号外】CLEの現状

どーも、レブ郎です。

今夜は緊急投稿、次戦へ向けての記事。

 

いよいよRS最後のGSWとの対戦を迎えるCLEだが、前回対戦時にはアウェイで7点差で負けており、リベンジを賭けた戦いですね。

だが、私も含め他のCLEファンも『大敗しないか?』と頭をよぎることだろう。

ホームとはいえそれどころではない。

現在3連敗中で、開幕直後の頃の

"悲惨な状態"に戻ってしまっているのだから。

 

今回はここまでの今季の振り返りと次戦に向けての考察を、無関係な懐かしい写真と共に選手1人1人見ていこう。

(あくまで個人的意見なので、参考までに)

 

23.LeBron James

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 今季のここまでの成績は決して悪くない。

普通なら円熟味が増すのと同時に、身体的な衰えと試合への影響力が薄れるのが一般的だが、そんな様子は微塵も無い。

ただ、味方の不甲斐ないプレイに呆れた様子で守備に戻るのが遅かったり、審判に対して文句を言う場面が目立つ(だがファウルコールが他選手と比べ鳴りにくいのも事実。特にドライブ時に相手が体を預けるほどぶつけてきても強靭な体幹のせいでファウルに見えない時がある)など、空気を悪くしてしまう場面も少なくない。

そういったマイナス面も改善しつつ、イースト上位でシーズンを終えることが出来れば、MVPを狙えるレベルにはあるはずだ。

 

対GSW

彼の活躍無くして勝つ事はほぼ不可能と言ってもいい。だが、前回対戦時にFG 39%となっていることからも分かるように、GSWは彼を止められるストッパーが複数いる。特にイグダーラ、KD、クレイにマークされてる状態でのアイソは中々厳しい。アウトサイド/インサイド問わず彼自身がシュートを効率良く沈めながら味方も巻き込んだオフェンスを彼が実行出来なければ、CLEの勝利は難しい。

 

0.Kevin Love

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現在CLEの第2オプションとして活躍するラブだが、守備が崩壊しつつあるCLEにおいて、特に守備の緩さが目立ってしまっている。かつては粘り強いリバウンドとアウトサイドシュートを持ち合わせたハイブリッド的な存在としてMINを牽引していたが、かつては貴重だったストレッチ4も当然の時代となり、今やセンターでさえ3Pを打ち、時にはドライブやクロスオーバーも見せる中、ラブはむしろ時代に追い越された感がある。

平面での守備力の低さに加え、ポストDFやヘルプDFでさえ足を引っ張る状態にある。こうなるとOFで存分に力を発揮したい。

スタッツ自体は昨季と変わらないレベルだが、1桁得点に終わった次の試合で25得点以上取り、また1桁得点に終わるなど、OFでは波の激しさが目立つ。

一番の理由はアウトサイドシュートに波があるからだろう。

レブロンのドライブから45°もしくはコーナーでパスを受ける場面が多いが、ここからシュートに一瞬戸惑いがある時が多い。そして中途半端なクロスオーバーやフェイクの末に、リズム感の無いシュートを打たされることが多々ある。

インサイドでの得点パターンも非常に限られており、ポストムーブが多彩なわけでもない。

だが、僕はCLE復調の2つ目の鍵を握っていると予測している。

1つ目はもちろん守備の改善だが、改善された場合に2つ目の鍵が必要になる。

アウトレットパスだ。

ラブが持つリーグ随一のスキルであり、先日の@IND戦でもラストポゼッションでエンドラインからフロントコートのウイングにいるレブロンにピンポイントでボールを届けている。

それも、タイムアウトも無かった状況で、だ。

彼のアウトレットパスを活かせるのは守備が機能してからの話だが、ウェイドやトーマスがいる今季も速攻を繰り出せるようになれば、ラブの必要性は更に増すはずだ。

 

対GSW

恐らくラブのアウトサイド次第でかなりCLEの勝敗は左右される。

非情な意見だが、インサイドでの得点は対GSWにおいてはあまり見込めない為、アウトサイドで3Pの雨さえ降らしてくれればいい。

個人的な守備の改善も要求したいところだが、それはたった数日で出来るものではない為、とにかく長距離砲とリバウンドを奮闘してもらいたい。

 

5.JR Smith

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 昨季41試合に出場し、26回の1桁得点があったスミスだが、今季は現時点で41試合出場で27回が1桁得点と、低調ぶりが増してしまっている。

それでも出場時間が30分を超えた試合が20回とそれなりの起用をしてもらえるのはシャンパートの離脱が大きい。

3Pがここまでで35%とシーズン毎の成績では4番目に低く、外からの爆発力を武器としている彼にしては存在感が薄い。

今後復調してもらわなければ、シャンパートの復帰と同時に先発から外される日は遠くない。

 

対GSW

スミスに関しては正直、次の試合よりも低調から抜け出すことが優先だと思っている。願わくば外からの大爆発でGSWにダメージを与えて欲しいところだが、守備の堅いGSW相手にそれが出来るのか....

 

99.Jae Crowder

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トーマスと共にBOSからやってきたが、まだ現時点では馴染み切れていない感がある。

 その影響もあってかFG%・3P%共にキャリアワースト2位となっている。特にゴール近辺でイージーショットを外す場面も少なくなく、チームの流れに馴染めていない(というよりチーム自体の完成度も高くないのだが)ことが影響していると思われる。今後、チーム全体の完成度が高まる中で徐々にパフォーマンスを上げていってくれれば特に文句は無い。

クラウダーは個人的な守備としてはやはり光る場面が見られ、特にCLEの中では目立って見える。だが、チームとしての守備が機能していない為に得点されてしまうことが多く、クラウダー個人の奮闘になってしまっている感がある。

 

対GSW

彼を含めたCLEの守備が機能してくれれば、クラウダー自慢の屈強な肉体と俊敏性でPG〜PFくらいまでは対応してくれるはずなのだが、P&Rの守備が苦手なCLEにおいてクラウダー1人の奮闘は何の意味も成さない。かと言ってサボられても困るので、適度に得点を取りながら守備で高パフォーマンスを見せてほしい...

 

81.Jose Calderon

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トーマス、ローズに続く第3のPGの予定で獲得されたはずだが、予想外のローズの怪我もあり11月中旬から安定して出場時間を貰っている。

これまでのシーズン毎の成績で見るとFG%が5番目、3P%が3番目と調子が良い。また出場時間がこれまでのシーズンと比べると少ないからかTOはキャリアで最も少ない。守備面でもそれほど大きな穴となっている様子は見られない。

特にレブロンがいない時間帯にプレイメイクを担当してくれるCLEの中では数少ないタイプだ。

が、ルーHCはポジションにおける3番手をほとんど使わない傾向にあり、少ない人数でローテーションを回すタイプである。今季はオスマンを使うなど比較的マシな傾向にあるが、ローズとトーマスが健康体でPOに突入した場合、干される可能性は少なくない。

 

対GSW

一番気になるのが、守備面で通用するかどうかだ。あまり期待値は高くないので、カリー(今日は出ない?)やトンプソンなどアンストッパブルな存在を相手に、少しでもプレッシャーを与えてくれれば十分だ。

あとはレブロンがいない時間帯にオフェンスのリズムを作ってくれれば十分に役割を果たしたと言えるだろう。

 

9.Dwyane Wade

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 6thマンとして新たな役割を担うこととなった今季だが、やはり少し苦戦しているように思える。

だが、開幕直後と比べれば徐々に馴染んできており、波こそあるものの限られた出場時間で2桁得点に乗せることも少なくない。レブロンと同期とはいえ当然の衰えが現れており全盛期のキレはもう無い。だが、巧みなテクニックは未だ健在で、短時間高得点を見込める時がある。

また、今季はシーズン毎の成績で3P%がキャリアハイの33%である。

36歳となりキャリアの終点も近付く中、優勝に向けてCLEの起爆剤となってもらいたい。

 

対GSW

前回対戦時には29分出場で13点と悪くはなかったが、FG%が36%と低い。

GSWのペリメーターディフェンスは鉄壁で、破ったとしてもグリーン&KDの高速ヘルプが跳んでくるのでアウトサイドがメインではないウェイドには少し点が取りづらい。だが、ファウルを貰う技術は高く、ファウルトラブルに陥らせてくれたりしないかと、個人的には期待している。笑

 

13.Tristan Thompson

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 CLE生え抜きのタフガイとしてこれまで毎試合出場していたトンプソンだが、負傷欠場もあり現時点で22試合出場、その内先発は5試合のみである。

これまではシーズン平均でORが3.0本を切ったことが無いという一方でDRでは平均6本以上を記録したことがないという特殊な選手だが、今季はORが2.0本。

出場時間が短いということもあるが、出番が貰えないのはそれだけパフォーマンスが落ちているということでもある。

PF/Cというポジションだが、ラブと同じくリムプロテクターとなれるタイプではなく、D・ジョーダンを獲得する為のトレード要員としての噂が後を絶たない。

好みの選手ではあるので残ってもらいたいが、トレードした方が戦力アップになる気もする。

クラウダー加入もありチームの戦術上でトンプソンが先発に復帰するのは少し難しそうだ。

 

対GSW

彼の持ち味は何と言ってもOR。

ホーム戦では特にORなどのハッスルプレイが流れを呼び込むキッカケになりやすい為、是非勢いをもたらしてほしい。

直近2試合でORは6本・4本と順調に獲得している為、次の試合でも是非チームにガッツを与えてもらいたい。

 

26.Kyle Korver

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今季は3Pが決まる試合と決まらない試合が極端に分かれ、ざっくり2つに分けると50〜60%台の日と0%の日が多い。

シーズン毎に見ると試投数・成功数・確率の全てにおいて中間くらい。だがここ最近の試合では終盤の大事な場面で外す場面が目立ち、試合ごとの波が激しくなっている。

守備では昨季は壊滅的な状態だったが、意識改革でもしたのか、少なくとも守ろうとする意思表示は出来ている。

得意のアウトサイドさえ安定させてくれれば、相手にとって脅威的な存在になれるはずだ。

 

対GSW

前回対戦時に21分の出場で3P試投数が2本で1本成功。

悪くないように思えるが、そもそもボールを持つ機会が少なかったはずだ。

何故ならGSWが徹底してマークし続けているからである。

いくらクイックリリースな彼でも、密着されたら持ってても打てない。さらに、トリプルスレットの状態から攻撃を仕掛けるのはそれほど得意ではない為、オフボールでの動きとそれに合わせたスクリーンが無いと前回同様彼が活きないかもしれない。

 

3.Isaiah Thomas

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復帰後、不調に陥っている彼だが本人も話す通り、当然の結果だろう。

身長面でどのPGに対しても劣勢な分、点を取るのに技術・試合勘を人一倍必要とする為、その感覚が戻るまでは難しい。

守備に不安を感じていたが、元々悲惨なCLEでは特にトーマスが穴に感じるような場面は見られず、OFさえ調子が戻れば十分に活躍してくれるだろう。

 

対GSW

レブ郎としてはトーマスは6thマンとして起爆剤的扱いをしたいところ。調子が戻るまではシュートが入らず苦しむかもしれないが、レブロン不在の時間に第2のエースとして活躍してくれれば万々歳。

 

8.Channing Frye

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 出番が激減し、もはや不要になりつつあるフライ。09-10シーズンあたりから3Pを打つビッグマンとして主力となっていたが、近年で時代に追いつかれてしまい、ついに時代に飲み込まれた。

インサイドでの守備力は無く、アウトサイドシュートは出来るが、ドライブが出来るわけでもない。

元々CLE自体が脆弱なインサイドDFなので、フライを使ったところで大きなマイナスにはならないが。

 

対GSW

GSWは強力過ぎるスモールラインナップが可能な為、恐らく勝敗が決した時間帯がメインの出番になるだろうが、もし出番があれば限られた時間でアウトサイドから沈めてほしい。

 

32.Jeff Green

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 シーズン平均で今季はキャリアハイのFG 48%を記録しており、移籍を繰り返してきたからか、加入1年目にしては割と馴染んでいる。

だが、平面でも動けるタイプのPFでありながら、DFはそれほど良くも悪くもない。リバウンドを取ってくれそうな雰囲気を醸し出しているが、それほど取れるわけでもない。

控えとしてそこそこ優秀だが、欲を言えば守備力とリバウンド力が欲しいところだ。

 

対GSW

彼の中途半端な体格・身体能力・攻撃力・守備力が上手くGSWの隙を突いてくれればと非常に思う。

誰をマークにつければいいのか、グリーンやイグダーラ、KDをつけるには勿体無いが、流石にそれ以外だとサイズかスピードでミスマッチになる為、案外厄介な存在かもしれない。

14点以上取ってくれればレブ郎としては文句無し。

 

16.Cedi Osman

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就任以降、ルーHCが『戦力的には劣るが成長を促す為の起用』をした2人目(僕の感覚です。1人目はケイ・フェルダー)。

U-20 ヨーロッパ選手権でトルコ代表として優勝も経験しており、素材としては悪くない。献身的な姿勢と、確かな成長が今季の間にも少しずつ感じられ、CLEファンからすると、たまごっちのような育成感があるのでは?笑

 

対GSW

まだ22歳と若い彼は、少し点を取るだけでもホームアリーナを盛り上げることが出来るはず。前半の間に8分以上の出場時間を与えて、経験を積ませつつ、あわよくばチームに勢いをもたらしてほしい。

 

 

さて、シャンパートとローズとその他諸々残っているわけですが、出場試合数が少なく、次の試合に出ないことも確実なので今回は割愛。

 

CLE全体   (対GSW)

現段階では勝つのは非常に難しいと思われる。

KDとカリーが離脱したとしても、勝てる見込みはそう上がらない。12月に連勝出来たのも、スケジュールに助けられた部分も大いにあり、スケジュールと好調なシュートによる強さが解けて、地力で現実と向き合っているのが今のCLEだ。

だが、対GSWとなるとやはりCLEは他のチームとはまた違う意味で、意識過剰になる。

それが良く転ぶか悪く転ぶかはその時次第だが、もし勝つことが出来るとすればそれはCLEのOF大爆発もしくはGSWの絶不調のどちらかだろう。

勝つにせよ負けるにせよ、GSWに115点以上の失点を許すのはほぼ確実だと僕は予想している。

後はそれをCLEが超える事が出来るのか、そこだけが勝機を見出せる唯一の手段だと思う。

 

 

 

如何だっただろうか?

「見当違いな文が沢山だ」という方もいるかもしれませんが、レブ郎の個人的な意見ですので、参考以下程度に。

 

ではCLEファンは精一杯応援しましょう。

 

Let's Go CAVS !!

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8連覇列伝① "Bill Russell"

世界最高峰のバスケ選手が集うNBA

しかし当然ながら優勝出来るのは毎年30チームの中から1チームのみだ。NBAという夢の舞台に辿り着いても、優勝という目的を果たせぬまま去る選手は数え切れない。故に優勝したチームの選手のみが手にする優勝リングは非常に希少なものである。

だがそんな中、11個の優勝リングを所持する桁外れな男がいる。

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Bill Russellだ。リーグ史上最高の選手の1人であり、守備に対する概念を覆した偉大な人物である。

彼が率いたBOSはリーグの中でも特に今後塗り替えることが不可能だと思われる記録の1つ、8連覇を達成している。

今後長期に渡りLeBlogではこの8連覇の裏側とその関係者達の歴史を記載していこうと思う。

 

今回は第1弾として、8連覇の大黒柱"Bill Russell"のキャリアを少し辿ってみよう。

 

1.厳しい環境に生まれた1人の黒人

 1934年、厳しい人種隔離政策が敷かれていたルイジアナ州エストモンローにBill Russellは誕生した。8歳の頃には周りの黒人達と同じく職を求めて一家オークランドに移住するも、生活は改善されぬまま低所得者が集まる住宅に住んでいた。12歳の頃には母親が亡くなり、職を転々としながら家族を支える父親に憧れながら少年時代を過ごした。

 

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↑嘘みたいだが、本当に黒人が虐げられていた

少年時代のRussellはバスケ選手として特に期待されるような活躍はしていなかった。身体能力が高く、手も大きかった為 バスケ選手に向いていたが、バスケに対するIQが低く、中学時代にはチームから追い出されている。

高校生の時にもチームから追い出されそうになったが、コーチのジョージ・パウルスがRussellに可能性を感じ、Russellに基礎を叩き込もうと考えた。

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このパウルスは白人で、差別ばかり受けていたRussellにとっては白人コーチが自分に指導してくれていることを嬉しく思い、熱心に取り組んだ。この時、後にバスケに革命を起こすRussellのディフェンスの基礎を身に付けていくのだが、高校在学中に才能を開花することなく無名選手として卒業を迎えた。

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↑現在のサンフランシスコ大学

 

だが、高校在学中のとある試合で地元のサンフランシスコ大学のハル・デ・ジュリオがRussellを見た際に「得点力不足で酷い」と感じた一方で、クラッチタイムになると素晴らしい働きを見せることを発見し、奨学金の提供を条件に勧誘した。

 

2.無名からの開花

サンフランシスコ大学のコーチ フィル・ウールパートはRussellを先発センターに起用。ウールパートはハーフコートディフェンスに重点を置いた試合展開を好み、これがRussellの眠れる才能を最大限に引き出すきっかけとなる。

また、ウールパートは人種差別の考えを全く持たないコーチであり、後にNBAでRussellとチームメイトとなるKC・ジョーンズともう1人の黒人選手にRussellを加えた3人の黒人選手を先発として起用していた。

そしてウールパートがRussellに指導したディフェンスは当時の常識を覆すものだった。

当時のバスケはセンターが得点源であり、常にマークしておくのが常識だったが、Russellの場合は積極的にヘルプディフェンスに飛び出し、自身のマークマンを度々フリーにしていた。長身で得点源であるセンターをフリーにすることは自殺行為だったが、Russellはセンターとしては類を見ない身体能力で相手のシュートをブロックすることで相手に得点させなかった。自身のマークマンを守りながら、チームメイトのヘルプもこなすRussellの脅威的な守備力はカレッジバスケ界に衝撃を与えることとなった。

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とある試合では、点取り屋でスター選手だったトム・ヘインソーン(後にNBAでRussellとチームメイトとなる)をマークし無得点に抑え込み、某雑誌には「もしRussellがシュートを覚えればルールを変えざるを得ない」と記載されている。

優秀なディフェンダーだったKC・ジョーンズとRussellの2人がいたサンフランシスコ大学は無敵であり1955年から1956年にかけて55連勝を達成し、連覇を果たした。中でもRussellの守備力は全米に衝撃を与え、大学での成績は平均20.7得点 20.3リバウンドを記録した。

ちなみにRussellは大学時代に陸上選手としても活躍しており、走高跳では世界ランキング7位となっている。

そして大学で衝撃を与えたRussellはNBA入りを決意する。

 

3.選手生涯を過ごす街 BOSTONへ

知っての通り、Russellは終始BOSTON CELTICSでキャリアを過ごす。

だが、RussellがエントリーしたこのドラフトではBOSの指名権は1巡目とはいえ低いもので、全米が注目する選手であるRussellを指名するには明らかに遅すぎる指名権だった。

しかしここでレッド・アワーバックという偉大な人物が巧妙な手口によりRussellを見事獲得した...のだが、これに関しては後々書くであろう

LeBlog記事『レッド・アワーバック編』をお楽しみに...笑

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 ↑勝利を確信すると葉巻を吸うことで知られていたアワーバック

 

アワーバックの見事な作戦によりBOSは待望のスター選手を獲得したのだが、開幕戦にRussellの姿は無かった。

メルボルンオリンピックにキャプテンとしてRussellが参加することになったのだ。本来ならNBAと契約している選手がオリンピックに出る事は本来不可能(当時は禁止されていた)なのだが、契約しているとはいえまだNBAでの出場経験も無かった為、無事に許可された。

ちなみにRussellはもし代表チームで納得のいかないような扱いをされることがあれば、走高跳の選手としてオリンピックに出場しようと考えていたらしい。何とも贅沢な選択肢...

大学でチームメイトだったKC・ジョーンズ(ちなみに2巡目指名で彼もBOS加入)も共に出場し、他国との対戦で平均53.5点差をつける圧勝。ラッセルはチームのトップスコアラーとなり、見事金メダルを獲得した。

金メダルを獲得しNBAに戻ってきた彼は1956-1957シーズンの途中で参加。

アワーバックHCはRussellに対戦相手の得点源であるボブ・ペティットをマークするよう命じる。

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だがこのルーキーはデビュー戦にして、リーグ有数のスコアラーだったペティット相手に1on1でのディフェンス力とブロックの技術を見せつけた。

 

4.守備の革命家

実はRussellが加入する前のBOSはPOに出るも優勝には近付けない中堅チームだった。当時のBOSはリーグ1位の得点力を誇っており、得点力に秀でた選手を揃えていた一方で、リーグ最下位の失点を記録しており、攻守のバランスがオフェンスに振り切っていたのだ。

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だがRussellの加入とアワーバックの考案した戦術により革命を起こした。

速攻を最大の武器としていたBOSはその速攻を活かす為に、よりアグレッシブなディフェンスを仕掛けることで、相手のミスを誘った。しかしアグレッシブなディフェンスは当然ながら突破されれば一気に崩れるというデメリットがある。

しかし、ここで後ろに待ち構えるのがヘルプディフェンスを得意とするRussellだった。長身に加えガード並みの身体能力で動き回り、ブロックショットを得意としていた彼は、チームメイトの守備の綻びをサポートし、ミスマッチにダブルチームを仕掛け、シュートを放たれてもブロックし、リバウンドを取っていた。

そして後ろにRussellが構えていることでチームメイトはよりアグレッシブなディフェンスが可能となり、結果的に鉄壁の守備が完成したのだ。

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堅固な守備から繰り出される速攻という一連の流れはRussellを中心にした戦術はBill Russellの名前から『Hey,Bill !』と名付けられた。これはディフェンスの際にRussellに助けを求めるチームメイトがそう呼ぶことから付いたらしい。

1年目にして平均14.7得点 19.6リバウンドを記録し、平均リバウンドでリーグトップだった(当時のリバウンド王は通算本数で決められており、オリンピックの関係で前半を欠場していたRussellは1位では無かった)。

 

だがRussellのキャリア1年目は個人記録に反して、決して満足のいくシーズンではなかった。

NYK戦では、黒人選手として初の新人王になった経験を持つレイ・フェリックスから執拗な挑発を受けていた。これに困ったRussellはアワーバックに相談するも自分で解決するよう言われ、再戦した際に同じく挑発されたRussellは殴って黙らせたのだ。しかし当然許されるはずもなく25ドルの罰金を課せられた。

また、Russellはチームメイトからは友好的だと言われているものの、人によっては「彼は冷酷」と評される部分もあり、友好的かつ閉鎖的な難しい人間でもあった。その1つとして同じルーキーにしてチームメイトのトム・ヘインソーンとは良好な関係を築けなかった。さらに新人王はヘインソーンが選ばれたのだ(Russellの評価はヘインソーンより高かったのだが、オリンピック出場により前半を欠場していた為)。これに不満を持ったRussellは、ヘインソーンが新人王の賞金として受け取った300ドルのうち、半分は自分に受け取る権利があると断言。さらにヘインソーンから「いとこの為にサインを書いてくれないか」と頼まれた際も断るなど、険悪な関係だったという。

しかしその一方で、幼い頃から人種差別を受けていたRussellだが、白人のチームメイトであるボブ・クージーとは仲良くなっていた。

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 ↑ボブ・クージー

 

満足していないRussellに反してBOSは歴代2位となる勝率となり、RSでリーグ首位だった。

ちなみに当時のPOでは第1シードは最初のラウンドは参加しない(いわゆるシード校のような感じ)という方式だった為、ディビジョン決勝からスタート。

シラキュース・ナショナルズとの対戦となり、Russellのマッチアップは後に殿堂入りを果たすドルフ・シェイズだった。

シェイズは当時リーグ有数のビッグマンだったが、RussellはPOデビュー戦にして16点 31リバウンド 7ブロックを記録(ブロックは当時計測されず、公式記録ではない)し圧勝。勢いに乗ったBOSはそのまま3連勝でファイナル進出を決めた。

 

5.黄金時代の幕開け

ファイナルの相手はRussellのデビュー戦で対決した、ボブ・ペティット率いるセントルイス・ホークスだった。

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↑当時のロゴ

 

お互い譲らず第1戦では2点差で敗北するも、第2戦では20点差で勝利、第3戦では再び2点差で敗北など拮抗し続け、3勝3敗で第7戦を迎えることとなる。

この試合ではBOSのもう1人のルーキー、トム・ヘインソーンが37得点を上げチームを牽引していたが、終盤にRussellが勝負強さを見せつける。

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1点ビハインド残り1分、ホークスのスローインの場面。

ホークスはベテラン選手のジャック・コールマンにボールを託し、レイアップを放つ。3Pが無いこの時代において3点ビハインドはかなり追い込まれることとなる。しかしさっきまでベースラインに立っていたはずのRussellが急に現れ見事にブロック。このプレイは『コールマン・プレイ』と呼ばれ、皮肉にもジャック・コールマンの最も有名なプレイとして語り継がれることとなる。

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このブロックを決めたRussellはさらに速攻に走り出し見事逆転シュートを沈める。

この後、ペティットが点を取り返しオーバータイムに突入。2OTまで縺れた末に2点差でBOSが勝利した。Russellはこの試合で19得点 32リバウンドに加えて窮地を救うブロックを記録し、優勝の立役者となったのだった。

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ルーキーにしてチームに改革を起こし、優勝まで導いた彼だが、当時のBOSにはRussellの他に、後にBOSの永久欠番となる選手が5人在籍しており、この優勝を皮切りにBOSの黄金時代が始まった。

 

6.最高の選手へ

翌シーズン、オリンピックへ出場した前季と違い開幕戦から出場したRussellは平均16.6点 22.7リバウンドを記録。

平均20リバウンド超えはリーグ初となり、当然のごとくリバウンド王となった。

さらにオールスター初選出(ここからRussellは引退までの12年間選ばれ続ける)、BOSを2年連続でリーグトップの勝率に導いたRussellは2年目にしてMVPを受賞。しかしここで謎めいた事態が起きる。MVPを取ったRussellがオールNBA1stチームに選ばれず、2ndチームに選出されたのだ。1stチームのセンター枠にはドルフ・シェイズが選ばれている。

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しかしRussellがBOSをリーグトップに導いた事実に変わりはなく、POでもポール・アリジン率いるフィラデルフィア・ウォリアーズを4勝1敗で撃破し見事2年連続NBAファイナル進出を果たす。

ファイナルでは前年と同じくセントルイス・ホークスと対戦。リーグ史上2回目となる連覇が期待されるBOSは1勝1敗で第3戦を迎える。しかしここで予期せぬ事態が起きた。リバウンド争いの中、着地の際にRussellがペティットの足を踏んでしまい重度の捻挫をしてしまったのだ。

 Russell不在を1勝2敗で乗り切ったBOSだがホークスは既に王手を掛けており、優勝するには2連勝する必要があった。そして迎えた第6戦、Russellが足を引きずりながらも復帰。

20分の出場で8点 8リバウンドを記録したRussellだったが、リベンジに燃えるホークスのペティットが歴史的活躍を見せる。

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前半で19点を記録していたペティットに対し後半にはBOSも反撃。しかし第4Qにペティットの得点力が炸裂。ダブルチーム、トリプルチームをされようとも点を取り続けるペティットは当時PO新記録となる50得点。歴史に残る活躍を見せたペティットの前にBOSの連覇の夢は潰えた。

ちなみにこのホークスとは現在のアトランタ・ホークスであり、この年の優勝が球団史上唯一の優勝である。

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7.伝説の8連覇へ

この章を書く前に1つ。

タイトル通り、この後にBOSは後に50年以上破られていない(今後も破られないであろう)伝説の8連覇を果たす。

ここからはそんな8連覇の様子を見ていこう。

 

─────────────────────

 

迎えた翌シーズン、BOSのRussellはファイナルという大舞台でチームをサポート出来なかった悔しさを胸に復帰し、平均16.7点 23.0リバウンドを記録。

MVP受賞を逃したRussellはオールNBA1stチームに選出。チームも当時最高勝利数更新となる52勝20敗を記録した。POではシラキュース・ナショナルズと対決。勝っては負けるという一進一退の攻防の末に第7戦まで縺れながらも勝利。ファイナル進出を果たしたBOSの相手は3年連続でホークスだと誰もが思っていた。

しかしホークスにとって思わぬ敵がファイナルへの道を阻んだ。"空中戦"をNBAに持ち込んだエルジン・ベイラー率いるミネアポリスレイカーズだった。

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ベイラーは新人王を獲得し、リーグ4位の平均得点とリーグ3位の平均リバウンドに加えてオールスター出場とオールNBA1stチーム選出と、既にリーグトップレベルであることを証明していた。さらに低迷していたレイカーズをほぼ独力でリーグ上位に引っ張り上げ、人々の予想を裏切り、前季王者であるホークスを4勝2敗で破ったのだった。

この年がNBA史上最大のライバル関係であるBOSTON CELTICS vs LOS ANGELES LAKERSの初対決である。

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しかし、この初対決は決して素晴らしいものではなかった。

強力な新人に導かれて突然ファイナルへやってきた勝率5割以下のレイカーズが、当時最高勝利数を記録したファイナル常連のBOSに勝てるはずは無かった。

ベイラーによるワンマンチームに対しBOSはスウィープ勝利。

前季の悔しさを胸に挑んだRussellの王座奪還は簡単に達成されたのだった。

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レイカーズのHCだったジョン・クンドラは「私達はBill(Russell)のいないBOSを恐れない。Billを何処かへやってくれ。そうすれば私達は勝てる」とRussellを讃えた。

そんなRussellの前に最強のライバルが現れるのは翌シーズンのことだった。

 

8."Battle Of Titan"

1959-1960シーズン、前回成し得なかった連覇を狙うBOSは、当時最長記録となる17連勝を含め59勝16敗という前季記録更新を達成。

しかし、リーグを完全に支配していた守護神Russellに対抗する巨人が現れる。

216cmの長身とRussellにも引けを取らない身体能力を兼ね備え、シーズン平均37.6得点 27.0リバウンドという前代未聞のオフェンス力を発揮。

当然ながらの新人王に加えて、得点王とリバウンド王、シーズンMVPの座を獲得。1年目からほぼ全ての個人賞を獲得したその名は Wilt Chamberlain。

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守護神Russellに対し、最強の攻撃力を持つChamberlainという新たな存在は当然リーグ最大のライバル関係として取り沙汰される。

この巨人同士の対決は『The Big Collision(大激突)』『Battle Of Titan(巨人の戦い)』と呼ばれることとなる。

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ちなみに初顔合わせとなった11/7の試合ではRussellが22得点、Chamberlainが30得点をあげ、試合自体はBOSが僅差で勝利している。

そんな2人はPOでも対戦。

ディビジョン決勝で対戦するとChamberlainは第1戦でいきなり42得点と大活躍。リバウンドではChamberlainが29本、Russellが30本と対等に渡り合うも、この試合を制したのはBOSだった。

第2戦ではChamberlainの29点に加えポール・アリジンの30点もありウォリアーズが勝利。

そして1勝3敗という絶体絶命で迎えた第5戦。Chamberlainは空前絶後の50点 35リバウンドを獲得(もう1度言うが、彼は新人)。

この試合に何とか勝利するも最終的には第6戦でRussellが勝利している。

 

脅威の新人を破りファイナルへやってきたBOSの相手は2年ぶりのリベンジマッチとなるホークスだった。チームとしては当時最大のライバルだったホークスとは第7戦まで縺れ込む大接戦。大舞台ほど真価を発揮するRussellは第2戦でファイナル史上最多の40リバウンド、第7戦では22得点 35リバウンドを記録。

最終的にBOSが勝利し、ジョージ・マイカン率いるミネアポリスレイカーズ以来で、リーグ史上2度目の連覇を果たしたのだった。

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9.立ちはだかる新たな壁

1960-1961シーズン、3連覇への挑戦となる。優勝直後のシーズンではモチベーション低下によりRSの成績があまり振るわないことも少なくない。まして連覇後のシーズンでは余計にモチベーション維持は困難だろう。

少しRussellの話を停滞させるが、

直近ではMIAの2連覇達成後のシーズンがリーグ全体で同率5位の勝率で終えている。その前に遡るとシャック&コービーで3連覇を達成した際のLALがリーグ全体で同率2位と、王者とはいえリーグ1位となることは非常に少ない。

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そういう意味では、連覇に望んだシーズンで73勝を達成したGSWは本当に尊敬するべきシーズンを送っていただろう。

いくら強力な選手を揃えようとも、2度も優勝を果たしたメンバーでRSの全試合を同じモチベーションではなかなか挑めないものである。

話を戻そう。

 

そんな3連覇に挑んだRussellはシーズン平均16.9得点 23.9リバウンドを記録し、チームとしては57勝22敗で5年連続リーグトップの成績だった(ちなみにリーグ2位が51勝をあげたホークス)。

POでもドルフ・シェイズ率いるナショナルズを4勝1敗で破り、ファイナル進出。

対戦相手は幾度となくこの舞台で戦ってきたホークスだった。現代のNBAなら同じ対戦相手と戦うということは以前より対策を練られるということになる。3連覇を目指す者と、昨年のリベンジを懸ける者ではモチベーションにも少しは差が出るはずだ。しかし、黄金時代真っ只中のBOSはそんな甘い相手ではなかった。

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最初のホーム2試合を34点差、8点差で敗北したホークスは迎えたホームでの第3戦でペティットが31点 24リバウンドの大活躍もあり勝利。しかし、翌戦ではペティットがFG 60%で40点を取るも15点差で敗北。

そして優勝にリーチをかけた状態でホームに戻ったBOSは、Russellがここぞとばかりに30点 38リバウンドと奮闘し勝利。

NBA史上2度目となる3連覇が4勝1敗であっさり達成された。

 

オフには主力の1人 ビル・シャーマンが引退。サム・ジョーンズが彼に代わりチームを引っ張るようになり、絶大な信頼を得ている大黒柱Russellの元で、スムーズな世代交代が行われた。

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サム・ジョーンズ

 

リーグ史上初となる4連覇という偉業への挑戦権を手に入れたBOSだが、この1961-1962シーズンはリーグを騒がせる前代未聞の事態が起こる。

Russellのライバルとして名を馳せるChamberlainが1試合100得点という記録と、シーズン平均50.4点という予想だにしない活躍ぶりを見せたのだ。

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チームの戦術により才能を全面的に発揮させていたウォリアーズのChamberlainだったが、それでもMVPを受賞したのは前季に続きRussellだった。シーズン平均18.9点 23.6リバウンドとさほど目新しい記録ではなかったが、そんなRussellが受賞出来た大きな理由が、史上初のシーズン60勝到達だった。一方で毎試合50点をあげるChamberlainが率いたウォリアーズは49勝と11勝もの差があり、個人的な活躍とチームとしての飛躍が比例していなかったのだ。

BOSは当然リーグトップとなり、POではナショナルズとのシリーズを勝ち抜いてきたウォリアーズと対戦。

POでのChamberlainとの顔合わせは2度目であった。

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迎えた第1戦、シーズン平均50点のChamberlainを見事33点に抑え、ウォリアーズを89点に抑えたBOSは117点と、28点差で快勝。第2戦ではRussellがFG 4/14の9点 20リバウンドと低調なのに対し、Chamberlainは42点 37リバウンドの活躍。106-113でホームのウォリアーズが勝利した。

以降も勝っては負ける繰り返しが続き、迎えた第7戦。

ちなみにここまでの6試合、驚くことにChamberlainは全試合フル出場である。彼のこのシーズンの平均出場時間は48.5分で、オーバータイムによる計50分を含めシーズンでベンチに下がっていない。1度だけ残り8分時点で2つ目のテクニカルファウルにより退場しているが、退場なので厳密にはベンチに下がっておらず、信じられないことに本当にシーズンを通して試合時間中にベンチに座っていないのだ。

対するRussellもこのファイナルの6試合でベンチに下がったのは2分だけ。

ここからは私の推測だが、この2分は第1戦なので、おそらく勝敗が決していた為に下がったと思われる。

 

そんな2人がフル出場した第7戦、試合はオーバータイムにまで縺れた。同点のまま迎えた中で、シャーマンに代わりチームの得点源となったジョーンズが見事に決勝弾をヒットさせ勝利。

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↑シャーマンに代わる新たな得点源としてBOSを支えたジョーンズ

 

Chamberlainは22点 22リバウンドと、大舞台でシーズン平均の半分の得点に終わりファイナルへの道を閉ざされた。

6年連続ファイナル進出となったBOSの相手は、3年ぶりの対決となったレイカーズだった。前回はエルジン・ベイラーがほぼ独力で勝ち抜いてきたワンマンチームだったが、この年は違った。

リーグ僅か2年目にしてオールNBA1stチームに選ばれたジェリー・ウエストがいたのだ。

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第1戦では14点差で勝利するも、第2戦では逆境に強いウエストに40点をとられ、ホーム戦でまさかの黒星。

ロサンゼルスに舞台を移して迎えた第3戦、今度はベイラーとウエストで75点を取られ連敗。前人未到の4連覇に暗雲が立ち込めた。

1勝2敗でリードされる展開となったBOSだが、アウェイとはいえ流石に3連敗だけは避けたいなかでベイラーに38点を取られながらもなんとか勝利。

2勝2敗のタイで迎えたBOSのホーム戦。ファイナル史に刻まれる記録が生まれた。FG 46本の試投数で22本を沈めた(確率にして47%)ベイラーがファイナル最多記録(未だに破られていない)となる61得点を記録。ハイスコアとなったこのゲームを126-121の5点差で勝利した。大事なホーム戦でまたしても黒星を喫し2勝3敗と追い詰められたBOSだが、第6戦ではサム・ジョーンズが35点とチームを牽引。ウエストとベイラーに68点を許すも他の選手を抑え込み14点差で勝利。

リーグ史上最大のライバルであるレイカーズとの初の"激闘"は第7戦に突入した。

ベイラーとウエストに守備を集中させていたBOSは既にヘインソーン、ロスカトフ、サンダースの主力3選手が退場していた。そんな中 100-100で迎えた4Q終盤。

ベイラーとウエストにマークを集中させるなかで残り5秒のその時、ゴールから僅か2mほどしか離れていない位置でオープンになっていたフランク・セルビィにボールが渡った────

 

ここで少し時を止め、フランク・セルビィという人物の話をしたい。

今 ボールを持っているセルビィは、チームを転々としてきた選手である。しかし、彼は大記録を1つ保持している。

『1試合100得点』

Chamberlainが持つあの記録である。

彼が達成したのはNBAではなく、カレッジでのことだった。カレッジ界で有名だった彼をオールアメリカン選出(いわゆるMVP)させるべく、シーズン終盤戦で大学のコーチがセルビィにボールを集めるよう指示した。セルビィはFGを41/66と高確率で沈め、FT 18/22を含めた100得点を達成したのだ。

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しかも、最後の100点目はハーフラインからのブザービーター。加えて試合中に放ったシュートのうち、少なくとも12本以上が3Pライン(当時は無い為、どこから決めても2点)より後ろだったと言われている。

ドラフトでも1位指名されたが、優勝どころかチームに長く留まることすらままならず、このボールを持った瞬間が最も優勝に近い瞬間だった。

 

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カレッジ時代に100点目のシュートを狙ってハーフラインからブザーと同時に決めた選手が、ゴールから僅か2mの位置でノーマークで優勝を懸けたシュートを放つ。

セルビィは後でこのシュートをこう振り返る。

『自分の全ての得点をあのシュートと交換したい』

セルビィが以降悔やみ続けるこのミスショットによりBOSはオーバータイムに望みを繋いだ。

 

しかし、BOSの劣勢は変わらない。

オーバータイムではフランク・ラムジーまでファウルアウトし、普段出番など無いようなジーン・グアリアがベイラーをマークすることとなる。しかし、こんな時でこそ真価を発揮するのがRussellだった。

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Russellはベイラーのもとに度々ヘルプディフェンスをしながら自身のマークマンも抑え込み、なおかつ30得点と自身が保有するファイナル記録タイの40リバウンドを記録。

相次ぐ主力離脱の中、107-110で見事BOSを勝利に導いた。

NBA史上前にも後にも唯一の4連覇を成し遂げたこのシーズンは、8連覇の中でも、シリーズ2つともが第7戦までもつれ込んだ最も苦しんだ優勝だった。

 

※ここからは上記シーズンほど苦しまないので、少し簡潔に進めます(長すぎるうえ優勝が当たり前になりつつあるので)

 

 

10.止まらぬ王朝

 NBA史上唯一の4連覇を成し遂げたBOSだったが、モチベーションに衰えは無かった。それどころか後に殿堂入りを果たすジョン・ハブリチェックを7位指名で獲得し、層の厚さを増していた。

さらにクライド・ラブレットとウィリー・ナオルスという2人のベテラン獲得も行っていた。ラブレットはジョージ・マイカンの引退直前の優勝時のメンバーであり、ナオルスもオールスター選出経験のあるベテランだった。

BOSは58勝をあげて当然のように7年連続リーグトップとなり、Russellも16.8点 23.6リバウンドで3年連続4回目のMVP受賞。

POではオスカー・ロバートソン率いるシンシナティ・ロイヤルズに苦戦を強いられる。

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↑オスカー・ロバートソン(画像はバックス時代)

 

『Mr.トリプルダブル』の名に恥じぬ活躍を見せるロバートソンを筆頭にBOSに食らいつくロイヤルズは、最終的には敗退したものの、7戦まで縺れこませたうえ、その内2試合がオーバータイムという激戦だった。

ファイナルでは前季に続きレイカーズと対戦するも、盤石なBOSをレイカーズが崩すことは出来ず、4勝2敗で見事5連覇を達成。

オフには黄金時代の司令塔としてチームを支えていたボブ・クージーが引退。Russellと学生時代から苦楽を共にしてきたKC・ジョーンズが代わりに先発へ抜擢される。

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Russellもベテランの域に入り、円熟味が増したこともあってか、24.7リバウンドで5年ぶりにリバウンド王に返り咲き、Chamberlainに4年間奪われていた王座奪還を果たした。

殿堂入り選手であるクージーを失ったBOSだったが、59勝をあげて8年連続となるリーグトップを記録。POでも最初のラウンドでは前季と同じくロイヤルズとの対戦だった。

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↑この一風変わったロゴがロイヤルズ

 

だが、前季のリベンジを掲げるロイヤルズを4勝1敗であっさり粉砕。

当然のように辿り着いたファイナルの相手はウォリアーズだった。この年、以前までの本拠地だったフィラデルフィアからサンフランシスコに移転したことで、ウエスタン・ディビジョンに移っていたのである。

こうして"Battle Of Titan"の第3章がファイナルで幕を開ける。

後に殿堂入りするネイト・サーモンドを加え、Chamberlainとサーモンドの強力なフロント陣を擁したウォリアーズだったが、Russellの圧倒的守備力には敵わなかった。

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↑ネイト・サーモンド

 

第1戦でChamberlainとサーモンドを立て続けにブロックする離れ業を見せると、そのまま勢いに乗ったBOSが4勝1敗で完勝。

このシーズンのChamberlainは1試合40〜70点をあげていることが多かったものの、ファイナルでは唯一勝利した第3戦にあげた35点がシリーズハイで、大舞台でギアを上げることが出来ないというイメージが定着しつつあったChamberlainだが、このファイナルもまさにその通りだった。

こうしてNBAどころかアメリカスポーツ史上初となる6連覇を達成したBOSは、翌シーズンでもリーグトップの勝率をキープ。さらに30歳を迎えたRussellはまたしてもMVPを受賞し、5回目の受賞となった。

POではフィラデルフィア・セブンティシクサーズと対戦。しかし、このチームにはまたしてもあの男がいた。

シーズン中にシクサーズにChamberlainが移籍していたのである。

過去3度POでRussellに負けているChamberlainがまたしても立ちはだかったのだ。

2年連続4度目となる"Battle Of Titan"は熾烈なものとなった。

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1勝1敗で迎えた第3戦では、Russellの堅固な守備により第3QまでChamberlainをFG僅か2本に抑え込む。さらに第5戦でRussellは12点 28リバウンド 7アシスト 10ブロック 6スティールと大活躍。

激闘の末第7戦まで縺れ込むが、ここでChamberlainも負けじと30点 30リバウンド FGは驚異の80%を記録。対するRussellも16点 27リバウンド 8アシストを記録していた。

2人の巨人による激闘が続いたこのシリーズだが、シリーズを決めるのは巨人達ではなかった。しかし、迎えた110-109でBOS1点リードのBOSのスローイン。ここでRussellが痛恨のミスを犯し、シクサーズにポジションが渡る。

しかし、ここでBOSのハブリチェックがシクサーズスローインをスティール。

 

https://youtu.be/J4fTjcJwImw

 

実際の映像がありました

 

 

『ハブリチェックがボールを奪った!試合終了!ジョン・ハブリチェックがボールをスティールしました!(Havlicek stole the ball! It's all over! Johnny Havlicek stole the ball!)』

 

この劇的なハブリチェックのスティールで勝利を収めたBOSはファイナル進出。

4度目となる対決となったベイラー&ウエスト率いるレイカーズ戦だったが、4勝1敗で危なげなく勝利。

7連覇となった。

 

11.終焉の兆し

オフに守備職人のジム・ロスカトフと、Russellと同期のトム・ヘインソーンが引退し、ついにBOSの初優勝から在籍する選手はRussellのみとなった。

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↑トム・ヘインソーン

先発に定着したハブリチェックと、チームトップのスコアラーであるサム・ジョーンズも奮闘したが、54勝でシーズンを終えたBOSは10年ぶりにリーグトップの座から陥落し2位へ。

代わりにリーグトップとなったのはChamberlain率いるシクサーズだった。

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第1シードのチームはPOの第1ラウンドを免除となるのだが、この年のBOSは10年ぶりにディビジョン準決勝からスタートした。

相手はロバートソン率いるロイヤルズだったが、後に殿堂入りを果たすジェリー・ルーカスを加えていた。3戦先勝となるディビジョン準決勝でBOSはまさかの1勝2敗とリーチをかけられる。かし見事巻き返したBOSが2連勝を飾り、シリーズ勝利。

迎えたディビジョン決勝では3年連続の巨人の決闘が始まった。

初めてホームコートアドバンテージを保持した状態でRussellと対決したChamberlainだったが、最初の2戦で25点 23点と振るわず、FGも40%を切っていた。またしても大舞台で本来の力を発揮出来ないChamberlainに批判が相次ぐ中、第3戦ではChamberlainが31点 27リバウンドとチームを牽引し勝利。

しかし第4戦では僅か15点に終わりあっさり敗北。崖っぷちのChamberlainは第5戦ではホームで46点 34リバウンドと奮闘するも8点差で敗戦。

RSの成績でBOSを上回り、MVPも受賞していたChamberlainが今度こそRussellの壁を打ち破るのではと予想されたが、1勝4敗と結果的には『敗者』という周囲の声を黙らせることは出来なかった。

10年連続となったファイナルでは前季に続きレイカーズと対戦。

初戦からオーバータイムに入り、ベイラー&ウエストに77点を取られ、BOSはまさかのホーム初戦敗北。

その試合終了後、BOSは敗北よりも重い事実を知らされる。

試合終了後のコメントで黄金時代を支え続けたアワーバックHCがシーズン終了後に引退することを発表したのだ。

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さらに後任にはRussellを指名したのである。

引退の理由としては、GM(これまではHCとGMを兼任)の仕事に専念する為との事だったが、この発表は同時に、Russellが選手兼監督となるということ、そして何よりアメリカプロスポーツ史上初の黒人HCとなるという事だった。

このタイミングでの発表が意図的だったのかは定かでは無いが、初戦の敗北から見事立ち直ったBOSはここから怒涛の3連勝。

しかし、レイカーズ側もこのBOSとの対戦は5回目で、そう簡単に負けるわけにはいかなかった。

ベイラー&ウエストが再び奮起し2連勝。シリーズは第7戦へ突入した。

Russellは足を骨折したままプレイを強行し25点 32リバウンドと活躍。

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一方でベイラーはまさかの不調に陥りFG 27%で18点に終わる。

2点差で試合を制したBOSの驚愕の8連覇は、アメリカプロスポーツの歴史で未だに破られていない記録であり、ボストン王朝として名を刻んだ。

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突然のアワーバック引退劇によりHCを引き受けたRussellだったが、周囲からは不安の声が多かった。

『黒人にHCが出来るのか』

そんな疑問が寄せられるRussellは『私は黒人であることを理由にHCという職を与えられたのではない。レッド(アワーバック)が私に出来ると考えたから与えられたのだ』と疑問を一掃。

そんなRussellの指揮のもと迎えた翌シーズン、60勝をあげていた。アワーバックがHC兼GMからGMのみに専念したことで、ボルティモア・ブラッツで埋もれていた有能選手のベイリー・ハウエルを獲得。

アワーバックの補強は見事成功し、ハウエルの援護はRussellのオフェンスの負担軽減に大きく貢献した。これにより得点こそ自己最低の13.3点となったが、リバウンドでは21.0本としっかり成績を残していた。HC交代劇の影響を感じさせない"いつも通りの成績"を残したBOSだが、この年BOSよりも遥かに好成績を残したチームがいた。

Chamberlainが在籍するシクサーズだ。

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オフにアレックス・ハナムという後に殿堂入りを果たすHCが、シクサーズに改革を起こしたのだ。これまでのシクサーズのChamberlainに偏ったオフェンスをチーム全体に分散させオフェンス効率を格段に向上させたことにより、アンストッパブルなチームへ変えた。

そんなChamberlainは器用さも持ち合わせており、このシーズンのChamberlainはボールを裁くよう指示されていたことでアシストを量産。シーズン平均7.8アシストと一流ガードのような数字を残している。

そんなChamberlainのプレイスタイルの変化もあり、シクサーズは歴代最高勝利数となる68勝をあげていた。

またしてもトップシードとはならなかったBOSだが、1回戦でウィリス・リード率いるニックスを3勝1敗で下し無事突破。次なる相手はシクサーズだった。

9連覇を目指すBOSにまさかの事態が起こる。

第1戦、Chamberlainはなんと24点 32リバウンド 13アシスト 12ブロックのクアドラプル・ダブルを達成し127-112でBOSが惨敗。ホームで巻き返しを狙うBOSだが第2戦も5点差で敗北。さらに第3戦もChamberlainに41リバウンドを許し11点差で敗北。

崖っぷちのBOSは第4戦でハブリチェックとジョーンズが爆発し2人で63点を稼ぎ何とか勝利。

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 しかしホームに帰ってきたシクサーズはChamberlainが29点 36リバウンド 13アシストとハイレベルなトリプルダブルを達成。

Chamberlainにとっては、6回目の挑戦でようやくRussellの壁を破ったのだった。

そしてRussellにとってはキャリア11年目にして初めてファイナルに辿り着かなかったシーズンであり、8年間続いたBOS独壇場の王座がようやく空いた瞬間だった。

第5戦終了後、シクサーズのロッカールームを訪れたRussellはライバルでありながら親友だってChamberlainの手を取り『Great !』とただ一言で祝福を述べたという。

ちなみこの年、Chamberlainはキャリア初の優勝を果たしている。

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Chamberlainを祝福したRussellはBOS側のロッカールームに戻った。

ロッカールームではハブリチェックとジョーンズが隣同士でシャワーを浴びながら試合について対等に議論していた。

そこに観戦に来ていたRussellの祖父が訪れた。

Russellの祖父はハブリチェックとジョーンズが目に入った瞬間、その場で泣き崩れた。

『何かあったのか?』と尋ねるRussellに祖父はこう答える。

『お前が"黒人と白人が調和する組織のコーチ"であることをどれだけ誇りに思うか』と。

当時のアメリカではシャワールームやトイレが黒人/白人で分けられていることがほとんどだった。同じシャワールームを使うどころか、隣同士でシャワーを浴びながら黒人と白人が同じ立場で議論していることがRussellの祖父には有り得ない光景だったのだ。

 

12.崩れぬ王朝

ついに優勝を逃したBOSだったが、60勝をあげていた彼らが翌シーズンの優勝候補から外れるわけはなかった。

チームの大黒柱として、HCとして王座奪還を狙うRussellはシーズン平均12.5点 18.6リバウンド(平均が20本を下回るのはルーキーイヤー以来)となり、平均出場時間も久々に40分以下となったRussellは33歳という年齢を考慮し、明らかにPOへ照準を当てていた。

BOSも54勝と前季から成績を下げたもののシクサーズに次ぐディビジョン2位をキープした。

そしてPOではピストンズを破り、リベンジマッチとなるシクサーズと対戦。

しかし、ここで予期せぬ大事件が起こる。

1968年 4月4日。

ピンとくる人もいるだろう。

キング牧師の暗殺事件である。

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この事件を受け、両チーム先発10人のうち8人から「試合を辞退したい」との声が挙がったが、試合は続行。

『感情を欠いたような試合』と言われた第1戦はBOSが勝利。しかしここからシクサーズが息を吹き返し怒涛の3連勝。

周囲はBOSのシリーズ敗退を確信していた。これまでの歴史で1勝3敗からの逆転勝利は無かったのだ。

しかし、今度はBOSが息を吹き返す。

ハブリチェックがトリプルダブル級の活躍を果たすことで2連勝。シリーズは第7戦にもつれた。

シクサーズホームで行われたこの第7戦では大舞台を得意とするRussellがギアアップ。

Chamberlainを後半FG成功僅か2本に抑えると、残り34秒の場面で2点リードに広げるフリースローに成功。さらにその後のシクサーズのオフェンスでシュートブロック。ORを取られるものの、運良く外れたシュートをリバウンドし、そのまま速攻を狙うジョーンズへアシスト。4点差に広げ見事勝利した。

BOSが2年ぶりにファイナルの舞台に帰ってきたのだった。

だが、西でファイナル進出を決めていたレイカーズはこれこそ望む展開だった。

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↑ちなみに当時のレイカーズのロゴは色がイマイチだった

 

レイカーズが恐れていたのは62勝をあげていた前季王者のシクサーズだった。BOSはもはや倒せない敵では無いと考えていたのだ。

しかし油断しているベイラー&ウエストに悲劇が襲い掛かる。

レイカーズはBOSから2勝あげることは出来たが、優勝経験豊富なBOSには敵わなかった。

4勝2敗でレイカーズを下し、BOSは見事王座奪還を果たした。

Russell自身はキャリア12人目にして10個目のリング獲得。さらに黒人HCとして初の優勝を果たした。

この年、スポーツ・イラストレイテッドのスポーツマン・オブ・ザ・イヤーを受賞。ファイナルでまたしても敗北したウエストは『もし私がリーグの選手から1人を選ぶなら、私の選択はRussellで無ければならない。Russellは我々を驚かすことを止めようとしない』と賞賛を送った。

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13."Last Battle"

1968-1969シーズン、Russellはついに34歳を迎え、コンディション管理もままならない状態となっていた。以前より6.8kgも増量していたRussellは、ケネディ暗殺事件やベトナム戦争の激化など、不安定な状態のアメリカにも幻滅し、妻との関係も悪化するなど、心身共に疲弊していた。

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あるRSの試合後には激しい身体の痛みを訴え、急性疲労と診断される。

痛みと疲労の中で出場し続けるRussellだが、平均9.9得点 19.3リバウンドとキャリア初の10点未満になり、BOSもRussell加入以降最低の48勝を記録。

前季王者はまさかの第4シードでPOに参加することとなった。

ついに黄金時代の終焉を感じさせるBOSの相手はシクサーズ。前季で激闘の末敗れただけに、シクサーズにとっては絶好のリベンジチャンスだった。

だが、彼らには肝心のあの選手がいなかった。この年のシクサーズにChamberlainの姿は無かったのだ。 

前季終了後にChamberlainがトレード要求し他チームへ移籍していた。要求の理由としては定かではないがオーナーとの間でいざこざがあった為と言われている。

Chamberlainが離脱したシクサーズに対し、BOSはPOという舞台で本来の姿を取り戻していた。

Chamberlain無くしてRussellと対等に張り合えるはずもなく、第4戦こそ一矢報いたものの、BOSが4勝1敗で勝利。

続くニックスとのディビジョン決勝も4勝2敗で制し、ファイナルに到達。

 ファイナルの相手はまたしてもレイカーズだった。

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この年のレイカーズは55勝をあげており、レイカーズにとって初のホームコートアドバンテージを保有した上でBOSに挑む機会となった。

POに入りパフォーマンスこそ上げてきたものの衰えを隠せないRussellに加え、レイカーズ側がホームコートアドバンテージを保有。さらにレイカーズにとってプラス要素はもう1つあった。

オフにシクサーズを去ったChamberlainはレイカーズに加入し、ベイラー&ウエストと共にBIG 3を形成していたのだ。

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こうしてBOS vs LALの構図は同時に"Battle Of Titan"でもあった。

選手兼HCのRussellは、最初の2試合でウエストにダブルチームをしないよう指示。しかしこれが仇となり、第1戦 第2戦で53点 41点と猛攻を食らい2連敗。

エストへのダブルチームを行い、ようやく第3戦に勝利。

迎えた第4戦、残り7秒BOSが1点ビハインドでレイカーズのポゼッションでスタート。しかしベイラーがボールをこぼしてしまい、BOSのスローインでスタート。BOSはRussellが考案したジョーンズに3重のスクリーンを仕掛けてシュートを打たせるセットプレーを展開。

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↑(さっきも使った写真で申し訳ない、昔の選手は良い写真が少なくて...)

 

これをブザーと同時にジョーンズはヒットさせ劇的勝利。シリーズをタイに戻した。

その後レイカーズは第5戦に勝利しリーチをかけるも、BOSも意地を見せ第6戦勝利。

シリーズの決着はレイカーズホームでの第7戦に委ねられた。

 

しかしレイカーズは火に油を注ぐ事態を起こす。

レイカーズ球団オーナーの指示により、レイカーズのホームアリーナはまるで優勝したかのような装飾が施されていたのである。

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↑当時のアリーナ

 

これがBOSの選手達を奮い立たせるハメになってしまい(ちなみに、この優勝前提の装飾にはウエストも腹を立てていたらしい)、第3Q終了時点でBOSが12点差をつけていた。

当時のリーグの基準ではこの点差から逆転は厳しいものだった。だが、それほどレイカーズも甘くは無かった。

第4戦で足を痛めていたウエストだが、逆境に強い彼はここから怒涛の反撃を開始。

残り3分には3点差にまで追いついたが、この逆転を予感させるタイミングでアクシデントが起こる。

リバウンド争いの中でChamberlainが着地時に足を挫いたのだ。ベンチに下がったChamberlainをよそに試合は2点差でBOSが勝利。41点 13リバウンド 12アシストと大活躍のウエストだったが、勝利には至らなかった。

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ちなみにこの年からファイナルMVPという賞が誕生。優勝したのはBOSだが、記念すべき初代ファイナルMVPはウエストだった。現在までの受賞者で、敗北したチームから選ばれたのはウエストのみである。

この日21リバウンドの活躍を見せたRussellは、試合後に取り乱していたウエストに近寄り、ファイナルMVPとなった彼を宥めたという。

Russellにとってこの優勝はキャリア13年目にして11度目の優勝だった。

そしてこれがRussellにとって最後の優勝であり、最後の試合だった。

Russellは引退を発表したのだ。

しかし、優勝と共に去る彼のキャリアは美しい終焉とはならなかった。

 

14.引退と王朝の崩壊

1969年ファイナル第7戦終了後、ある議論が巻き起こった。

ほぼ全ての試合でフル出場していたChamberlainがこの試合では4Qに6分しかプレイしていなかった。足首の捻挫によりベンチに下がったのだから仕方ないように思えるが、Russellは怪我がそれほど重傷には見えなかった。

『仮病だった。彼は逃げ出した』

公の場でRussellはそう言い放った。

NBA史上最大のライバルでありながら、プライベートでは親友だった2人の関係はこれをきっかけに犬猿の仲に。

以降、2人が直接話すことは無くなった。

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また、Russellの引退宣言はあまりにも唐突で、一方的なものだった。

『ボストン市民には何の恩も無い』と優勝凱旋パレードにすら参加せず、BOS関係者とも関係を断ち、ボストンの街は混乱した。

ファンに向けてのコメントを一切発表しなかったRussellだが、スポーツ・イラストレイテッドから1万ドルを受け取ってインタビューに応じると、ボストンの記者やファンは裏切りとすら感じるようになる。

Russellと共に黄金時代を築いたアワーバックすら引退は知らされておらず、これがアワーバックのチーム経営に失敗をもたらした。

アワーバックはドラフトで9位指名でジョジョ・ホワイトという選手を獲得。

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ご存知の方もいる通り、彼は後に殿堂入りを果たす名選手(逆に9位指名で殿堂入り選手を指名するアワーバックも流石)だが、Russellが去るのであれば間違いなくセンターを補強しているはずだった。

Russellの離脱はチームにとって先発センター&HCを失うことを意味し、翌シーズンには34勝という沈み具合でPO進出すら叶わなかった。

だが、Russellは誰にも引退することを伝えていなかったもののBOSの選手達は以前から勘づいており、それがチームを団結させ、優勝出来た要因の1つだとサム・ジョーンズは語っている。

 

BOSで最後の3シーズンはHCも兼任していたRussellは2度の優勝を果たしており、コーチとしてはかなり優秀な成績だった。だが、1973年から指揮したシアトル・スーパーソニックスでは球団史上初のPO出場を実現させたが、それ以降成績は伸びず、POを逃してしまった1977年に解雇。その後指揮したサクラメント・キングスでも成績は振るわず、1シーズンで終えている。

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如何だっただろうか?

選手として非常に稀な成功を収め、個人記録やチーム全体の成績を見れば順風満帆なキャリアだったと思える一方で、数字以外の面を見ると意外と冷酷な一面も見えてくる。

ではもう少し掘り下げてBill Russellという人物を見てみよう。

 

選手としてのRussell

Russellの守備は当時のリーグの概念からかけ離れたものだった。当時のセンターとは得点源である一方、守備力が評価されるセンターなどほとんど存在しなかった。まして1on1の守備で評価されるならともかく、マークすべきセンターをフリーにしてダブルチームを仕掛けるなど、奇策としか言いようが無かった。

長身とガード級の身体能力を兼ね備えていたからこそのスタイルだった。

さらにRussellの守備の評価が高い理由はやはりブロックだろう。

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Russellのブロックは味方へのパスを兼ねていることも少なくなく、ブロックする際に味方のいる方向に意識してボールを叩いていた。元々速攻を得意としていたBOSの選手達にブロックしながらパスが出せれば当然素早い速攻に繋がる。

彼のブロックを『芸術の域だ』と評価する専門家もいるほど、Russellの守備力は高かった。

また、Russellは先述の文章からも読み取れるように、クラッチタイムや重要な一戦で本領発揮出来る勝負強さを兼ね備えていた。Russellが在籍していた間のBOSはシリーズ最終戦に縺れ込むことが11回あったが、この11戦全てで勝利し、シリーズ勝利を果たしている。またこの11試合の平均スタッツは18.0点 29.4リバウンドと、キャリア平均の15.1点 22.5リバウンドから明らかにギアアップしている。

また、PO全体的にもRSと比べてスタッツを伸ばしており、大舞台になればなるほど成績を伸ばせるのであった。

だが、そんな彼だがプレッシャーは人一倍感じていたらしい。試合前に嘔吐することが度々あり、チームメイト達はRussellが吐かないと逆に心配していたほどだと言われている。

なのに何故活躍できるのだろうか...

 

Russellという人物

究極のチームプレイヤーと称されることもあるRussellだが、社交的な人物というわけではなかった。

チームメイトや友人らには社交的な一方で、記者やファンには冷たいことで有名で、サインを求められても応じることは無く、記者に対しても不機嫌な態度を見せることが多かった。

とある専門家から『最も利己的で無愛想で非協力的なスポーツ選手』と批判されたこともある。

また、アスリートとしては重要なのだが、極端な負けず嫌いであり、Chamberlainが1965年にリーグ初の10万ドル契約を結んだ際、すぐにアワーバックのもとに行き10万1ドルの契約を要求している(ちなみにアワーバックは要求に応えた)。

 

だがRussellのこういった一面にはアメリカの時代背景が少なからず関係している。

幼い頃から両親が人種差別的な言動を受けているシーンを見続け、自身もNBAでスターとなって以降も受け続けていた。

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ホテルや飲食店へ入ることを拒否された経験もあり、Russellは人種差別に対して異常に敏感になった。被害妄想とも言えるRussellの異常なまでの差別に対する嫌悪は、ファンからの賞賛の言葉すらも受け止めることが出来なくなっていた。「偽善的な賞賛ではないか」「白人は皆 黒人を避けている」と思い込むようにまでなり、自分を否定し続ける世界に対し、世界に対し恩など感じないという気持ちを抱く。

「ボストンに借りなど無い。子供に微笑んだり親切する必要も無い」と発言したRussellに対し、ボストンファンと記者が激怒。この発言が一部のボストンファンを暴走させ、Russellの家に侵入し荒らすという事件があった。Russellはこの事件すらも『人種差別のフリーマーケット』と称し、ボストン記者に対しても「反黒人主義者」「人種差別主義者」と呼ぶようになり、これに対してある記者は「Russellこそ差別主義者だ」と反論した。

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 メディアやファンから嫌われていたRussellは過去のキャリアからは考えられないような隠遁生活を送っていた。

引退後長年に渡ってボストンの地に降り立つことは無く、1972年にRussellの永久欠番となった時も1975年の殿堂入り式典の際もRussellが姿を見せることは無かった。

Russellがようやくボストンの地に立ったのは1990年代。徐々に和解の方向に向いてきており、Russellは何度かボストンを訪問。1999年には長年使わていたボストン・ガーデンからTDガーデンへ移転する為、再び永久欠番式典を行おうという動きが強まった。

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満員の観客に囲まれ約30年の時を経て新しいホームコートに立ったRussellには長時間に渡るスタンディング・オベーションが送られ、6番のバーナーが新アリーナに掲げられた。

この式典にはBOS伝説の1人 ラリー・バードや、カリーム・アブドゥル・ジャバーらが出席していた。

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そしてこの式典の場にもう1人の偉人がいた。

Wilt Chamberlainである。

 

Chamberlainとの関係

リーグ内では"Battle Of Titan"と呼ばれ、熾烈なライバル関係を築いていたものの、私生活では親友で、感謝祭にRussellがChamberlainのもとを訪れるのが恒例だった。

f:id:LBJ1107ryo:20171202010103j:imageRussell自身は2人がライバル関係とされることを嫌っており、2人でいる時はバスケットの話は一切しなかったという。だが先述の通り、ラストバトルとなった1969年ファイナル第7戦終了後のRussellのコメントをきっかけに関係は一気に崩壊。20年以上経過しRussellが公式に謝罪するまで、2人の関係が修復されることは無かった。

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修復された後は良好関係が続いており、Chamberlainが急死した際2番目に知らされたのがRussellだったらしい。

 

Russellの業績

2009年オールスターの際にある発表があった。

NBAはRussellの11回の優勝という偉業を讃え、Russell自身は1度も受賞しなかったファイナルMVP賞を『Bill Russell NBAファイナルMVP賞』と改名すると発表したのだ。

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もし初期の頃から同賞が存在していたなら、この賞も多数受賞していたことだろう。

 

最後に記録面で特に注目すべきものをいくつかピックアップし、紹介しよう。

 

キャリア平均スタッツ

平均15.1得点

平均22.5リバウンド

(Chamberlainに次ぐ歴代2位)

平均4.3アシスト

平均出場時間 42.3分

(Chamberlainに次ぐ歴代2位)

FG 44.0%  FT 56.1%

 

PO平均スタッツ

平均16.2得点

平均24.9リバウンド(歴代1位)

平均4.7アシスト

平均出場時間 45.4分

(Chamberlainに次ぐ歴代2位)

 

その他

リバウンド王 4回

史上2位となる1試合51リバウンド

(1位はChamberlainの55リバウンド)

1957年のウォリアーズ戦で前半だけで32リバウンド(歴代1位)

ファイナル歴代最多記録となる1試合40リバウンドを2度達成

1959年ファイナルのシリーズ平均29.5リバウンドはファイナル最多記録

シーズンMVP 5回

(1位はジャバーの6回)

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記録を見ただけでも如何にRussellが現実味の無い選手か分かるだろう。

もちろん、当時のNBAショットクロック導入以降試合展開が早まってきており、リーグ全体的なリバウンド本数が増えていたことも、RussellやChamberlainの超人的記録達成の手助けをしていることは間違いない。だがそれを差し引いても余るほど栄光のキャリアを送っている。

だが、Russellを語る上で11度の優勝に匹敵するほど評価すべき事項がもう1つある。

人種差別の考え方が蔓延していたNBAにとって、Russellは初の黒人スター選手であり、他チームが黒人選手を獲得し始めきっかけとなっている。さらにアメリカ4大スポーツ史上初の黒人HCとなり、スポーツ界における黒人達の立場を向上させたのは紛れもなくRussellだった。

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Russellは現代で活躍出来るか?という愚問があったとしよう。

恐らくそれは不可能だ。

身体能力が高いセンターとはいえ、当時と現代では平均身長にも差があり、206cmのRussellが身体能力が高いことなど現代ではそれほど注目されない。

グリフィンやレブロンの方が、遥かに速く・強く・高く動ける。

だが、過去と現在を比べることはスポーツ界(特に進化を続けるバスケットボール)において無意味だろう。

ジョーダンらの時代と現代でさえ、大きな差が生まれる。ヴィンス・カーターやノビツキーやジノビリが今日も活躍しているのは、アスリート達のコンディション管理等が昔と比べ格段に徹底されているからである。Russellが34歳で引退を余儀なくされたのも、そういった点が関係している。

だが、当時のリーグにとって超新星であり、特に守備に関する常識に革命をもたらしたのは事実だ。

彼ら無くして現在のNBAが無いことを私達は理解しておかなければならない。

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さて、そんなこんなで終わったんですが、なんと今24560文字。

通算得点なら歴代26位のユーイング(24815)に迫る数字だ。

 

ここまで読んでくださった方には本当に感謝します。

ありがとうございます。

そして、読破おめでとうございます(・ω・)

 

この8連覇列伝は今後もアワーバック等の他の人物にフォーカスした視点から記事を書こうかと思っていますので、是非。

 

 

ということでまたいつか。byレブ郎

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NBAにまつわる小さな話

こんにちは、LeBlog総合責任者のレブ郎です。

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さて、今回は暇な時間にふと思いつきで書こうと思い、書き始めた記事なので、収集がつかない可能性があります。笑

少しでも明日からのあなたのNBAライフに影響があれば...

※この記事の内容は一部レブ郎の記憶とネット情報のみで掲載している部分があり、最新の状態とは異なる内容の場合もあります。見つけた方はTwitterの方で連絡下さると助かります

 

1.薬物違反(ドーピング)の話

スポーツ選手として共通の規則であるドーピング(薬物使用の禁止)。近年で記憶に新しいのは(僕の中では)H・ターコルー。

ただ、これに引っ掛かった選手のコメントで時折あるのが「自覚は無かった」の類のもの。要するに規則違反の成分が入ってると知らずに摂取していたということだ。もちろん、自覚が無かったからと言って許されることではないのだが、全ての成分を把握しておくのも難しい。

管理不足と言えばそれまでである。

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ところでこの規則違反、何故発覚するのか疑問に思う方もいるのでは?

毎試合の前に検査を行うわけではない、当然自己申告するはずもない、では何故?

 

これは2005-2006シーズン開幕前の労使協定で制定されたもので、シーズン中に4回 全選手を対象に検査を行っているのである。検査のタイミングは当然知らされず、ランダムに行われているのだ。

今でこそ薬物違反を犯す選手は少ないが、バード&マジックの時代が訪れる前にはスター選手の薬物違反が相次いで、リーグ全体のイメージが汚されていた頃もあるので、非常に重要な規則だと言える。

 

2.ちょっと複雑な3秒ルールの話

 世界共通ルール『オフェンス3秒ルール』に加えNBA独自のルール『ディフェンス3秒ルール』。

皆さんご存知のルールだが、実はもう少しルールは複雑なのである。

そこを簡潔に説明しよう。

 

①オフェンス3秒ルール

 

ペイントエリア内に3秒以上留まってはならない。

これだけではルールとしては厳しすぎる。何故かお分かりだろうか?

ルールというのは屁理屈を言われないようにしなければならないのだ。

 

例えばハイポストでパスを受けたプレイヤーがいたとしよう。

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既に片足はペイントエリア内に入っている。ドリブルやステップ、コンタクトを駆使しながら相手のスキを作り出す。

そして、放とうとしたその時 ──

ピーッ !!

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『オフェンス3秒バイオレーション!』

ポストプレイを行えば大抵ペイントエリア内に足を踏み入れることになる。ドリブルやピポットを踏み.....

そしてシュートモーションに入る時、既に3秒に達する可能性は少なくないはずだ。

これまでにNBAで手からボールが離れようとしている場面で3秒ルールが適用されるのを見たことあるだろうか。第3者から見ればそう見える場面はあるかもしれないが、審判はシュートモーション中に3秒経過したと判断することは無い。

何故なら

『選手がシュートモーションに入り、ゴールに向かって連続して動作をしている間はカウントは停止し、動作が止まったらカウントが再開される』というルールがあるのだ。

数字的には、

ペイントエリア内に侵入してから2.9秒の時点でシュートモーションを始めた場合、ゆっくりとステップを踏んでいようがシュートを打とうとしている動作の間は3秒ルールはルール上適用されないのだ。その代わり、レイアップの動作を行った結果、守備に阻まれ打てずにパスコースを探し始めるとその時点ですぐにカウントは再開、3秒ルールが適用されバイオレーションとなる。

また、少し話が変わるが、他にも適用されない時間はあり、オフェンス側のチームがフロントコートでボールをプレイし始めるまではカウントされない。つまりバックコートでドリブルをつきながら7秒かけてフロントコートに運んできたとしても、その間はペイントエリア内に居続けても問題無いのである。

 

②ディフェンス3秒ルール

これも同じくオフェンス側のチームがフロントコートでボールをプレイし始めるまでカウントされない。

また、ペイントエリア内に留まる場合でカウントされないのは、

・相手選手とワンハンドの距離にいる場合

・相手選手がシュートモーションに入っている場合

である。

 

またマークマンがボールを持っている間はペイントエリア内に自分がいても必ずワンハンドの距離にいる必要は無いが、他の選手にパスした場合はすぐにペイントエリアから出るかマークマンに対しワンハンドの距離にならなければならない。

(個人的な話だが、レブ郎がNBAにハマり始めた中学生の頃、何故か中学生の僕はディフェンス3秒ルールを気にして出たり入ったりしていた。そして自分でもおかしいなと思い、NBAを知らないチームメイトに『ディフェンスって3秒ルールあったっけ?』と聞いたところ『なんやそれ』と不思議な顔をされた)

 

③ちなみに。

オフェンスとディフェンスの両方の3秒ルールの適用範囲であるペイントエリアだが、実はもう少しだけ適用範囲がある。それは仮想3秒レーンと呼ばれるエンドラインから1.2m伸びた『見えないペイントエリア』である。

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お分かり頂けるだろうか?

少しエンドラインから飛び出している部分、ここに留まっても同じく3秒ルールが適用されるのである。

バスケ経験者ならピンとくるだろうが、プレイ中3秒を気にしながらなるべくゴール近辺に留まるにはペイントエリア内から1度両足を出してカウントリセットする必要がある。

(シェーン・バティエのようなヘルプディフェンスやテイクチャージの上手い選手はこの方法でゴール近くに長く留まっていることがある)

そしてそのカウントリセットをエンドラインから出る/入るで行えないように設けられたのがこの仮想レーンである。

なので極端な話、エンドライン外の1.2m以内の部分に留まり続けても3秒バイオレーションを吹かれることになるのだ。もちろんNBA選手はそれも知った上でプレイしているので、ここでコールされる選手なんていないだろうが...

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3.トレント・タッカー ルール

バスケは時間がよく止まるスポーツである。数秒どころか0.1秒単位で計測される。このコンマ数秒が勝敗を分けた試合も数多く、時間に関するルールがここまで厳しいスポーツはあまり無いのでは?と思える程である。

そんな時間に関するルールに「トレント・タッカー ルール」と呼ばれるものがある。

 

例えば『残り0.1秒 同点 サイドラインからのスローインでスタート』という場面だったとしよう。皆さんは何を思い浮かべるだろうか?

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1990年、0.1秒単位の時間計測が始まったこのシーズンのCHI@NYKの試合で"事件"が起きた。

 

トレント・タッカーというNYKの選手が右45度の位置でキャッチからすぐに3Pを放ち、見事に成功。

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ここで少し考えてほしい。

『パスを受けて3Pを放つ』という動作を0.1秒で行えるだろうか?

どれだけクイックリリースな選手でも恐らく間に合わない。

そして当時コミッショナーだったD・スターンがこのショットがノーカウントではないかと疑問を持ち、時計メーカーとニックス&ネッツの選手に協力を依頼し、シュートを打つのに『最低限必要な時間』を検証。結果的に0.3秒が必要な時間と定められた。

そして翌シーズンからは『トレント・タッカー ルール』という0.3秒未満のインバウンズではダンクとタップのみカウントされるルールが制定されたのだ。

つまり0.2秒以下で時間が止まれば、選択肢は基本的にアリウープのみとなる。

 

 

どうでしたか?

全部知ってた方にはただ無駄な時間を過ごしただけだと思いますが、知らなかった方には少しでも新たな発見となれば...

 

 

では、また。

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